1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

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【 パパ・ママの想い 】

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パパの
阪神大震災




パパとの最後のお別れ

実は、最後に会ったのは、地震の前の日の1995年1月16日でした。

1月16日は月曜日(振り替え休日)で、次の日の17日(火)から平日でした。
その日の18時頃、新神戸駅で手を振って、「またねー」と軽い 挨拶をしただけでした。
というのは、1月17日は会社があるのでパパは岩国へ戻り、ママとチビたちは実家の西宮であと1週間過ごし、次のweek endに迎えに行く事にしていました。

だから、地震の有った時刻には、パパ一人岩国にいました。

5時46分に家が全壊して、おばあちゃんとママと将くんと優ちゃんが生き埋めになったとき、パパは岩国で寝てました。いつになく岩国もゆれたので、目がさめて、テレビのスイッチを入れました。

6時半頃のNHKニュースでは、京都・大阪が震度5との情報のみで、神戸付近は何も情報が有りませんでした。





この写真は、3月に撮ったものです。向かいのマンションのベランダから撮影しています。
2階建ての家の、2階部分が完全につぶれています。画面中央の少し左上に、屋根に穴があいているのが見えます。

これは、生き埋めになった4人を助けるために、外からあけた穴だそうです。本人達の証言では、外へ出たときにはすでに明るかったとのことで、約1.5時間位閉じ込められていたらしいです。




ママと将君と優ちゃんが生き埋めになった部屋

たんすの下敷きになった将君のこと、救急病院での対応、宝塚への避難、警察による検死、葬儀の準備など、いろんな事はすべてママが一人でがんばりました。

…と言うように、

パパが将君が死んでしまったことを知ったのは、数時間あとです。さらに、会えたのは18日の午前2時頃です。

葬儀社の人に顔をきれいにしてもらって、言われなければお布団で寝ているようにしか見えませんでした。

優ちゃんがお布団に寝かされている将君を、一生懸命起こそうとしていました・・・


生まれたときも死んじゃったときも、すぐに会いにいけなくてごめんね。
いつもパパは何もしてあげられませんでした。



●我が家へ帰った直後

・いつ帰るかの決断

将君が死んでしまって、お葬式を挙げて、あっという間に5日間が経っていました。

気分的にはずっとこのまま、ここにいて会社も行きたくないし、岩国へも帰りたくありませんでした。

そんな中ママが明日帰ると言い出し、震災1週間後で急遽岩国へ戻りました。


マスコミについて

震災後山口県へ戻ると、新聞社の取材が待っていました。少なくとも岩国市で震災で死亡したのは、うちの子だけでした。

しかし、取材されても、心境を語る気になれるわけも無く、すべてお断りしました。ひどいときには会社まで取材申し込みがあったりもしました。さすがに、総務部の方がお断りしてくれたそうです。



●慰霊祭について

下の写真は、1999年の1月17日 震災慰霊碑前での写真です。

この年は、特にまとまった慰霊祭はなく、各自慰霊碑へお花を添えに行きました。このとき取材を受けたものです。

毎日新聞 1月18日夕刊の阪神版に大きく載りました。記者の方は大変気を使いながら取材をされていました。それがわかったので、こちらも丁寧に将君のことを話させてもらいました。


実は同じ場所で、某在阪テレビ局にも取材をされました。こちらはいきなりカメラを回しながら「すっかり元気になりました」というコメントを無理にでも引き出そうとしているのがわかり、意図的に全部はずしてあげました。

当然news映像にはなっていません。


 

 

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