1995年1月17日(火曜日)午前5時46分
阪神、淡路地方で大きな地震がおきました
阪神・淡路大震災
です。
一瞬にしてたくさんの家、ビル、高速道路などが倒壊し、6433人(2004年1月現在)の尊い命が失われ、たくさんの方が怪我をし家を失い仕事を失いました。
私達の大切な息子も、あの瞬間、たまたま帰っていた私の実家で、倒壊した家の下敷きになり家族でただ1人、天国へと旅立ってしまいました。
1歳半でした。
とってもかわいい盛りで、パパや、ママ、双子のゆうちゃんが大好きでした。ゆうちゃんもしょうくんが大好きでした。4人で笑って過ごしていたそれだけで幸せした。
なのに、たった1人で、天国へ行かせてしまい1歳半からの人生を送らせてやれなかったことは親としてこれほど辛く苦しいことはありません。
自分の命に代えても守ってやるべき子どもを失った悲しみと後悔と自責の念はいくら時間が経ったとしても消えることはないでしょう。
震災で亡くなった「6433人の死」は、『6433人』というひとかたまりの死ではなく6433人分のそれぞれの命であることを感じてほしいと思います。
そしてまた、その6433人のそれぞれの命についてその人の周りにいた人たちそれぞれの立場での数え切れないほどの
悲しみがあるのです。
私達にとって大切な大切な息子「しょう」という1人の人間がわずか1年半ではありましたが家族に愛され生きていたこと、そして、多くの悲しみの中で亡くなってしまった事実をたくさんの人に知ってほしいと思います。
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9年がたった今、表面的には震災前の生活に戻ってきているように見えます。けれども、未だに、
多くの方が家族を失って悲しみ、怪我の後遺症で苦しみ、生活再建で苦しんでいらっしゃいます。時間が経てば経つほど、その悲しみ苦しみを出すことはできなくなります。
『いつまでも過去のことを考えて行かず、前を向いて生きなくちゃ』
家族を失った人は、『いつまでも悲しんでいると亡くなった人が成仏できないよ』
というちょっとした言葉に傷つき悲しみを自分の中に閉じ込めて生活していくしかないのかもしれません。
そうして生きている姿は、一見立ち直って元気になったかのように見えますが、その傷は心の奥底でいつまでも消えることはありません。
目に見える復興は、大切かもしれませんでも、本当に大切な心の復興を見過ごしている気がします。
このページが、震災だけではなく、家族を失った人たちの心の傷を知り考えるきっかけになっていただければうれしいです。
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私たちの、震災は、私が、岩国から実家のある西宮に里帰りをしたときから始まったと思っています。ここでは里帰りをした時の事から書き残していこうと思っています。
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