〜初めての手紙〜 1995年6月12日
将君へ
ママね、聞きたいことがあるの。まだ、1歳半だったから ママの言っていることどれだけわかってくれるかわからないし お話が、まだできないから何か言いたくてもママにちゃんとわかるか心配だけど、1月14日 山口のおうちから新幹線で新神戸に着いてタクシーに乗った時、すごく泣いていたよね。降りようとしていつまでもタクシーの中から後ろを見て降りたそうにしながら泣いたよね。将くんがあんなにひどく泣くのは初めて。あれは、大好きな新幹線をもっと見たくて泣いてたの?それとも、これから地震が来るのがわかって、怖くて行きたくなかったの?そして、1月16日の夜、また、新神戸でパパ一人だけが、山口に帰るために車から降りたときすごくすごく泣いたよね。それは、この駅に新幹線があるのを覚えていたからそこから離れたくなかったの?それともパパと離れたくなかったの?それともあと11時間後に死んでしまうのがわかっていたから助けを求めていたの?そうだとしたら ごめんね。将君の気持ちわかってあげれず…。パパと優ちゃんと4人で山口のおうちに帰ればよかった。次の日、将君の元気なお顔を見ることもなく 朝早くに地震で死んでしまいました。パパとママと双子の優ちゃんと離れてひとりぼっちで…。もっと、早く地震に気が付いて将君の方に行ってあげればよかった。そしたら、ママの厚みでタンスの下の将くんは、隙間で助かったと思うよ。ママだったら 大人だから頑張れるもの。将君と優ちゃんの声が聞こえるだけで頑張れたのに。死んでしまったとしても将君の20倍以上も生きて楽しいことも経験しておいしいものもいっぱい食べて将くんと優ちゃんを生んだ喜びも知って もう十分よ。33年も生きたんだもの変わってあげたかった。将くんは、やっといろんなことができるようになり わかるようになって お話も少しできる様になって「うーたん」と「ちょーくん」とお互いの名前を言えるようになったばかりなのに ゴメンネ、助けられなくて。
揺れている時に聞こえたうなり声 あの声の後すぐに死んじゃったの?地震の怖さはわかったの?タンスが倒れてくる恐怖はあったの?そして、いつ家がつぶれたかわからなかったけれど、その家がタンスの上につぶれてきたとき痛いと感じたの?苦しかったの?苦しかったよね?死んでしまったんだものね 苦しくないはずないよね。ママや、おばあちゃんが呼んだ声は、聞けたの?パパ、ママ、助けて!って思ったの?怖かった?
ごめんね 途中でタンスを持ち上げようとするのをあきらめて。ただ、ぼーっとして誰かに助けを求めていた。ごめんね 苦しかったね。あの時、もっとタンスを持ち上げてあげればよかった。でも、タンスの上に乗った梁が屋根が重くてできなかった。そばにいたのに何もしてあげれなくてごめんね。ママは、将くんを見殺ししてしまったの。そばにいたのにね約1時間半後ぐらい 外が少し明るくなったころに助け出した時には もう冷たくなっていた。病院で冷たい冷たい廊下にそのまま寝かせられ 普通ならば先生がしてくれる心臓マッサージをママがして、それが原因で戻ってこなかったの?ママ、もっと心臓マッサージ 練習しておけばよかったね ごめんね。
パパが新幹線とミッキーを持ってきてくれるから頑張ってって言ったの聞こえたの?どうして こう簡単に死んでしまうの?何を思って死んでしまったの?「死」という言葉さえ知らないのに。ママの姿が見えないと「ママーママー」とママの姿を探してトイレをドンドンたたいていたのに。パパやママや優ちゃんのいないところで一人で泣いているの?どうしてる?まだ、苦しいの?ママは、死んだらそばに行ってあげれるの?教えて、今、楽しい?お友達はいるの?それだけでもいいから教えて。
今の生活
他人が見たらおかしくなったと思うだろうけど、今までと同じように将くんと優ちゃん二人分のご飯を作って五月人形子も出したし、将くんに着せているつもりで ハンガーにかけている洋服も優ちゃんが着替える時には、着替えさせています。将くんにもいっぱいいっぱい話して過ごしています。
優ちゃんは、地震の時よりも5センチぐらい大きくなりました。ちょうどあの時の将くんと同じぐらい。将くんもきっと5センチぐらい大きくなっているよね。優ちゃんが、お顔が描けるようになりました。将君のお顔を描いて「ちょーくん」と教えてくれます。はさみも使えるようになりました。将君の使ったことのないはさみです。でも、優ちゃんは、ちゃんと「ちょーくん」と言ってはさみを将君の写真の所に置いています。ママやパパがうっかりしても ちゃんと「ちょーくんのものもちょうだい」と言っています。写真を抱きしめたり頬ずりをしたり ママは、まだ優ちゃんの中に将くんがいて 大好きでいてくれることがとてもうれしいです。もうすぐ、2歳のお誕生日。ちゃんとケーキを2個焼いてお祝いしようね。だって、将くんと優ちゃんの2人の誕生日だものね。プレゼントは何が欲しいかな?
5か月経つけど ママは、ほとんど外に出ていません。だって優ちゃんと2人だけで外に出たことなかったもんね。いつもいつも3人か4人(パパと)だったもの。優ちゃんとだけ楽しく遊ぶのがいけない気がします。いつもいつも我慢していた将くんだから、ママが、おいでって言ったら走ってきていたから どこかでママと優ちゃんだけいいなぁと我慢している気がしてできません。 お腹に入った日からずっとずっと一緒で 生まれてきてからもママは、半分こと言って教えてきたから、普通なら一人を思いっきり抱っこして抱きしめてあげるのにいつもいつも半分か順番だった。将くんが死んだからって 優ちゃんが100で将くんが0なんてできない。やっぱり 半分づつでいたい。
ねえ、聞こえてる?歌の好きだった将くんと優ちゃんのために大きな声で歌ってあげているのを。喜んでくれている?一度でいいから ゆうれいでもいいから 元気だった時みたいに楽しくこの部屋や公園で遊んでいる姿を見せて、そしたらママ、お歌を歌ったりおもちゃで遊んであげたり お外に連れて行ってあげるのに。どこにいるの?
この先 月日が経つと少しずつ元気になっていくらしいけれど それが 一番嫌だ。なんで元気になってしまうんだろう?将君のことも きっと少しずつ少しずつ記憶から薄れていくのかな?それが辛いし、そうなっていくママが許せなくなる。そして、一歳半だった優ちゃんが 将君のこと忘れていくのがすごくすごく辛い。自分が双子であって将くんがいたことを人にも自然に言える子になってほしい。そして、少しでも多く将君のことを覚えていてほしい。そのためにもつらくて見れない写真を出してきて優ちゃんに見せている。今は、つらくて見れないビデオも優ちゃんのために見ようと思う。つらいけれど いつまでも 優ちゃんの中に将くんを覚えていてもらうためには、それしかないと思う。
私は、まだまだ、立ち直れない。優ちゃんには 本当に申し訳ないと思う。体は優ちゃんに、心は将くんという生活が続くと思う。
でも、いつか優ちゃんに「優ちゃんがいてくれたから パパやママが元気になれたのよ」と言ってあげれるようになりたいと思う。
タイムマシーンがほしい。そして、1月16日に戻りたい。そして、そのまま 山口の家に帰りたい。それしか将君が帰ってくる方法がない気がする。
今の生活
上記と重なるけれど
他人が見たらおかしくなったと思うだろうけど、今までと同じように将くんと優ちゃん二人分のご飯を作って五月人形子も出したし、将くんに着せているつもりで ハンガーにかけている洋服も優ちゃんが着替える時には、着替えさせています。将くんにもいっぱいいっぱい話して過ごしています。 |