1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

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育児日記(工事中)

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二人との出会いについて

出娠、出産に至るまで、本当にたくさんのハードルがありました。二人を妊娠したことに関しても、選ばれて私達のところへ来てくれた子供たちだと思っています。

妊娠の仕組みを詳しく知れば知るほど、この子達と会えたのは、奇跡のような気がします。 少しでも、妊娠にいたる条件が変わっていたらこの子達には会えなかったのです。私は二人との出会いを大切にし感謝していきたいと思います。

妊娠してからも 生まれてからも そしてしょうくんを亡くしてからも この事を心の中にしっかりと刻んで生きたいと思っています。二人が私達のところに生まれてきてくれてお母さんになれた事を心から感謝したいと思います。

そんな二人だからこそ、母親としては二人に同じよう人生を歩ませてあげたかったし、私のお腹に宿ったときから一緒だった『双子』としての人生を楽しませてあげたかった。ママやパパにはわからない、心のつながった兄弟になっただろうと考えると、本当に悔しいです。今は、この世界と天国とに離れてしまったけど、二人の心の中にお互いの事がいつまでも生きていてほしいと願っています。

私達が子供達の事を書き始めた一番の理由は、しょうくんとゆうちゃんがいた、楽しかった2年2ヶ月(妊娠期間を含む)を残したかったからです。妊娠がわかってその子供が双子とわかってから私は双子ちゃんのママになりました。妊娠期間やしょうくんのいた一年半の間はもちろん、しょうくんが亡くなってからこの先ずっと私は双子のママです。

妊娠、出産、双子の育児をしていた2年2ヶ月は私の人生のなかで最高に幸せな日々でした。 でも今、この2年2ヶ月のことを書く事は一番辛い作業になってしまいました。でも大切にしたい2年2ヶ月です。

ゆうちゃんは 今ではしょうくんとの生活を覚えていないようです。悲しいけれど仕方がないのかもしれません。ゆうちゃんにしょうくんとの生活を伝えるのは私達親の役目だと思っています。記憶が薄れないうちに少しでもたくさんのことを書いておきたいと思っています。

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