1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

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【 パパ・ママの想い 】

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PAPA&MAMA&YUU ROOM

このお部屋は、パパとママの子供たちへの想いとゆうちゃんのしょうくんへの想い(ママが感じた)、
そして、ずっとそばに寄り添ってくれていた家族やお友達への想いを紹介しています。


ゆうちゃんのしょうくんへの想い


小学校三年生

2003年3月25日

今日は、お友達のお誕生日会に呼んでもらったので親子で参加させてもらった。そこには、ゆうちゃんがいつも仲良くしているお友達もいれば、初めてお話するお友達もいたようだ。

初めて話すお友達は、たまたま、同じ苗字だったから、お互いの名前と顔は知っていたようで、あっという間にお友達になっていた。

最後のほうに、ゆうちゃんが、その子に言っていた「兄弟が、いたけれど死んじゃったんだ・・・」
その子は、私たちの家族のことを知らない。その子はびっくりしたように「ウソでしょ・・・」と言っていた。

ゆうちゃんは、他のお友達に、「本当だよね!」と同意を求めていた。そのあと、私の顔を見て「本当だよね」と聞いてきた。お友達は、半信半疑の顔をして私を見つめていた。
私は、「本当だよ、ここで地震があったの知ってる(そこのは2学期に引越ししてきたから)」と聞いたら、「知っている」と答えたので、「その地震で死んじゃったんだよ」って話した。きっと、衝撃的だっただろうな・・・。ごめんね、○○○ちゃん・・・。

でも、そうやってお友達にしょうくんのことを話しているゆうちゃんの姿を久しぶりに見た。ちょっと感動した・・・。しょうくんもゆうちゃんが自分のことを話してくれていることをしって喜んでいると思うよ。

今日は、お誕生日会があったり、子どもを亡くしたお友達から電話がかかってきたりで色んなきっかけがあってしょうくんの話をゆうちゃんとした・・・。
お友達のところの姉妹を亡くした女の子が、亡くなった姉妹に会いたいから天国へ行きたいと泣いたという・・・。その話を横で聞いていたゆうちゃん・・・。あとで、そのことを話してあげた。

「わかるわぁ・・・ゆうちゃんもしょうくんに会いたい!」と即座に答えた。そうだよね、回りのお友達にはみんな姉妹がいるんだものね。お友達と遊んでは、自分の兄弟が今ここにいないことに自分では意識しないぐらいだけど悲しいと思っているんだよね。

「ママも、しょうくんが死んだ時、死にたくなるのど悲しかったんだよね・・・」なんて、私に同意を求めてきた。きっと、その思いは、ゆうちゃんにはわからないだろうな。ママが兄弟を亡くしたゆうちゃんの思いをわかってあげれないように・・・

でも、ゆうちゃんには、ママの気持ちが一生わからない人生をすごして欲しいと思う。こんな悲しい思いをするのはママだけで十分だからね♪

3月は風邪で寝込んで10日ほど寝込んだり、昨日からぎっくり腰で動けなくなったりと、最悪の月だった・・・。でも、ママを心配してくれるお姉ちゃんのゆうちゃんの姿を改めて見ることができてママは感動したよ。

でも、今、しょうくんを失っていたら、きっとゆうちゃんは、自分の悲しみも大きいのにきっとママを支えてくれようとするだろうな。私は、そんなゆうちゃんの辛い思いを気づいてあげれないままそんなゆうちゃんに頼ってしまうだろうな。ゆうちゃんの心の傷を気づいて上げれる余裕もなく、それ以上にゆうちゃんの心の傷を大きく根の深いものにしてしまうだろうな・・・

もっと、しっかりしなくちゃね♪


2003年2月10日

すごく久々の更新です。
抜けていた時のことは、あとで書こうと思っていますが、とりあえず最近のことを書こうと思います。

最近、すごくしょうくんのことを言うようになった。一時、あまり話さなくなったし、「しょうくんのことを考えない時がたくさんあるけどいいの?」って言い始めた時があって(幼稚園から一年生のころ)あまり、無理に押し付けてもよくないと思い、「いいよ、ママも考えない時があるから・・・」と言った。その言葉に安心したようにそれからは、あまりしょうくんのことを言わなくなった。

私も気をつけて言わないようにしてきた。
学校では、命の大切さを学習する一環として低学年は、自分の存在が家族にとってどれだけ大切なのかということを学び始めた。

お腹に命が宿った時にどれだけ嬉しかったかというインタビューから始まり、小さい時の写真や思い出の品を学校に持っていってお母さんから聞いた話を発表したり・・・

友達から、ゆうちゃんの事をもっと見てあげないというアドバイスを受けたこともあって、なるべくゆうちゃんが大切だと思う本当の気持ちを言葉に出すようにしてきた。

ゆうちゃんも、たくさん質問してくるようになった
「ママ、どうしてゆうちゃんを生んだの?」
「ママの子に生まれてきて嬉しかった?」
「しょうくんとゆうちゃん地震でどっちが死んでほしかった?」
「ママは、ゆうちゃんのことどれだけ好き?」
「子供ができる前からゆうちゃんとしょうくんが生まれてくるってわかっていた?」
「地震の時にゆうちゃんも死んでいたらどうしてた?」
「ママ親子時間しよう!」(ママのおひざに赤ちゃんのように横抱っこして抱きしめあうこと)

同じような質問を何度も何度もしてきた。一度に何回も聞いてきたし毎日に毎日同じ質問をしてきた
そのたびに
「ママは、ずっと赤ちゃんがほしかったけどできなかったの、だから二人ができた時に本当に嬉しくて泣いたんだよ」
「子供がいないとパパと二人でつまらないでしょ、すごく子供に会いたかったの」
「パパとママが結婚してなかったらゆうちゃんは生まれてこなかったんだよ、結婚してすぐに赤ちゃんができていたらそれもゆうちゃんじゃなかったの、あの時に二人がママのお腹に来てくれたからゆうちゃんが生まれたんだよ、来てくれてありがとう」
「地震でゆうちゃんが聞いていてくれたから、ママは今生きているんだよ、生きていてくれてありがとう(^o^)」
同じ事を何度も何度も言った。あるときは、家事をしている手を休めずに何気なく、あるときは、しっかりと抱きしめながら・・・」そんな生活は、今も続いている。

震災のあった年から8年経った今年の1月17日、ゆうちゃんは9歳と6ヶ月・・・。
お正月があけたころから、テレビで震災関係の番組が多くなり何気につけていたテレビからいろんな情報が見れた。

ある日、地震予知についての番組があった。あの地震の前にいろんな前兆があったという話だった。以前からそんな番組を見た時に私は言っていた「わかっているならもっと早く言ってよねぇ・・・(怒)」その時は、ゆうちゃんは何も言わなかった。でも、今年は、真剣に怒り出した。「何で今頃言うの!もっと早く言っていたらしょうくん死ななかったのに・・・」

本当に怒っている姿を見て、私はびっくりした。こんなに地震に対して怒るゆうちゃんは初めてだった。テレビの画面をどんどんたたいて何度も何度も怒っていた。そして、しょうくんいあいたいと泣いた。

そのころから、兄弟を求めるようになった。最近になって弟か妹をほしいと言い出した。その時の私との会話でしょうくんが兄弟だということを改めて思い出したようだ(わかっているけどこのときにこころからしょうくんの存在を認めたようだった)

その時から、「しょうくんがいてくれたら・・・」という会話が増えてきた。私も一緒になって「いたらいいのにね」と話すから余計に思いが大きくなってきたのかもしれない

今、大好きなゲームボーイの話を学校でするようになった。それも今まではほとんど話さなかった男の子たちと話すようになったことで、男の子と話す楽しさを知ったようだ。そのころから頻繁に「しょうくんどうして死んでしまったの?」「ママが悪い、タンスの前に寝かしたから!」何度も怒られた。私は否定するつもりもないので、そうだね、ごめんね」と謝った。

「しょうくん生きていたら、ゲームボーイ一緒にできたかな?」
「一緒に学校行けたかな?」
「いじめられたら守ってくれるかな?」

それからもたびたび、「しょうくんがいたら・・・」という会話をするようになった。

1月末から、私が震災遺族の方が集まって市民団体の方たちと立ち上げたNPOに参加することになったこともあって、ゆうちゃんも震災について今まで以上に触れることになった。

今日は、ちょっと早いけど、つき命日の法要をした。お経の途中、いつもゆうちゃんはひとごとのようにきちんと聞こうとしていない、きっと、あの時間、あの雰囲気に何かを感じてわざと色々していような気がする。そして、いつも私やパパにたくさんくっついてくる。今日も、私の顔をみていつものように私のひざの上に乗ってきた。最初はごそごそと動いていたけれど最後の方は、急におとなしくなって自分から手を合わせたりしてた。そして、私の耳元で「しょうくん生きていてほしかったね」とささやいた。

お寺さんが帰った後、ゆうちゃんが言った「しょうくんが生きていたら、ゆうちゃんは女子高に行けないね」「なんで?」という問いに「わかってるでしょ、しょうくんと一緒に学校に行くには、女子高だったら駄目でしょ・・・」

ゆうちゃんの中でのしょうくんへの思いは、きっとこれからも大きくなったり小さくなったり、あるときは否定したり・・・。きっと年齢とともに変化していくでしょう。それは、私たち大人が感じている気持ちときっと一緒かもしれない。

ゆうちゃんは、ゆうちゃんなりにしょうくんの死を受け止めようとしているのだろう。
ママもね、ゆうちゃんとしょうくんが一緒に学校に行っている姿を見たかったよ・・・・

今のゆうちゃん、しょうくんの存在を確かめえようとしているだけじゃなく、自分自身の存在も確かめようとしている。自分が親にどれだけ愛されているのかを必死で確かめているような気がしてる。たくさんの質問をしてきてそれに答えている


「パパとママが結婚しなかったらゆうちゃんは、生まれなかったんだよね。結婚してくれてありがとう・・・・」そう言ってくれた。

大好きなゆうちゃん・・・親が子供を愛すること、言葉に表さなくてもわかるだろうと想っているのはきっと大人の考え方、子供は、まだそれがわかっていない。だから、たくさん言ってあげる、

「ママとパパの大事な大事なゆうちゃん・・・、生きていてくれてありがとう。世界で一番大好きだよ。そして、これからも ずっとずっとず〜〜〜っといっぱいいっぱいいっぱい大好き!!」

 

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