しょうくんの最後の日
1995年1月16日(月)
この日はしょうくんが、生きていた人生最後の日です。この日1日ですごくたくさんの人に会いました。まるで、さよならを言うために会ったように思えます。いえ、あんなにたくさんの人に会ったから逝ってしまったのかもしれないと、自分を責めました。
しょうくん最後の1日は、私が切迫流産で、約1ヶ月半入院していた時に同室だった人達と、子供達をつれての同窓会から始まりました。パパも一緒のお出かけです。
朝、一番近いお友達がうちに来てくれました。まだ、準備ができていなくてしばらく待ってもらって、バタバタしてパパの運転で出かけました。集まるおうちは、同じく双子ちゃんのおうちでした。前に集まったのはその前のゴールデンウィーク、みんな随分大きくなっていて、ビックリしました。そこで、お昼を食べて、随分ゆっくり遊ばせてもらいました。しょうくんとゆうちゃんのお昼は、生面タイプのおうどん…。みんなに、そんなの食べさせてるのなんて、ちょっとビックリされてしまった。でも二人は大好きでした。しょうくんは、ミッキーが大好きでそこで見させてもらったミッキーの英語のビデオがとっても気に入ったようでしょうくんが亡くなったあとよっぽど買おうかなって思いましたが、値段を聞いてあきらめました。そして、ブロックセットに入ってたぞうさんもお気に入りで、ずっと持っていました。それは、震災後はじめて岩国に戻ったときに、一番に買いに行きました。
帰りは、3時過ぎになりました。お友達を送って、そのあと、しょうくんはまた寝ました。家に着くと、また荷物を詰め、おばあちゃんと弟家族をのせ、次は私のおばあちゃんのお見舞いに行きました。車で1時間ほどかかる山のほうの病院でした。
着くと丁度早めの夕食の時間でした。別室に食事を運んでそこでみんなでたくさん話をしました。
そして、記念写真を撮りました。最後の家族写真です。
この時着ていた、私のワンピースのボタンをしょうくんはずっと触っていました。だから、このワンピースをママの思い出としてしょうくんにプレゼントしました。天国でも気に入ってくれているかな?
しょうくんは、ずっとママに抱っこされたまま、離れようとはしませんでした。その分、ずっと抱っこしてあげれたから、ママはうれしいです。
しょうくんもきっと何かを感じていたのよね。
窓の外には夕焼けがきれいでたくさんの鳥が飛んでいました。その時、私は、今度来るときまでひいおばあちゃんは元気かわからないので、しょうくんとゆうちゃんと会えるのも最後になってしまうかもしれないな、なんて考えていました。状況は違いますが、ひいおばあちゃんとしょうくんはもう会うことはありませんでした。そして、その時のことが私の心の中でとっても悲しい思い出になってしまい、それから、私は、おばあちゃん(二人のひいおばあちゃん)のお見舞いに行く事ができないまま約3年後にしょうくんのもとに旅立ちました。会いにいってあげれなくてごめんなさい。きっとしょうくんを可愛がってくれていると思います。
そして、病院の支払いを済ませて、私達は帰りました。
家に帰る途中に義妹の実家があったので、きゅうにお邪魔する事になりました。いとこが産まれた、夏以来でした。そこで、しょうくんは出していただいたお饅頭を食べました。そして、最近、パパやママ以外に泣いてしまってほとんど誰にも抱っこしてもらわなかったのに、とっても機嫌がよくみんなに抱っこしてもらいました。その時、撮ってもらったビデオがしょうくんの最後のビデオになりました。最後の顔は楽しく笑っていたそうです。しょうくんらしい最後のビデオだね。
私は、まだそのビデオを見れそうにありません。しばらく、ゆっくりさせていただき、パパを新神戸の駅まで送って帰ることにしました。 |