しょうくんの最後の夜
1995年1月16日(月)
このような微笑でしょうくんを見ていた写真に救われます。
パパと別れたあと、私の弟が運転する車で、私の母、弟家族、そして私とゆうちゃんは、阪神高速を使い帰りました。途中で、湾岸線が見えました。弟に「これは何?」
と、聞いたところ、「湾岸線で、これに乗ると大阪の『海遊館』は、すぐだよ」と、教えてくれました。色んなことがわかりかけて、動物が大好きだった二人のために、今度の、ゴールデンウィークは、ぜひ海遊館に行きたいと、話しました。
それから、私にとって、海遊館という言葉を聞くと、心が痛みました。一緒に行くつもりでいけなかった場所でした。
しばらくして、色んな想いからしょうくんをあの時行けなかった海遊館に連れて行ってあげたくなり、遺影とお骨をつれて、海遊館にいってきました。涙、涙で辛かったけれど、つれてきてあげれたという満足感も味わえました。しょうくんも楽しんでくれたでしょうか?
車は、結構早く家に着きました。食事をしていなかった私たちは、近くのコンビにでおでんを買って来て、広間で食事をしました。
その日、具合が悪かったのか、車に酔ったのか、しょうくんは、すぐに食べたおでんをもどしてしまいました。でも、はきやすい子だったので、そんなに心配することもなく、
食事の後もおじいちゃんと遊んでもらったりして、最後の楽しい時間を過ごしました。
そこにあった陶器の犬(セントバーナード)のお気に入り置物を出してきて遊んでいました。あまりにも大好きなので、私はしょうくんに、『しょうくんが大好きだから今度は、おじいちゃんにワンちゃんのぬいぐるみを買ってもらおうね』というほどでした。
そして、しょうくんはおじいちゃんにかたぐるまをしてもらいました。私は、あまりにもほほえましかったので、すぐにカメラを持ってきて、その様子を写真に取りました。ゆうちゃんもかたぐるまをしてほしいといったので、私がゆうちゃんをかたぐるまして、その様子を母に写真にとってもらいました。
そのとき(夜の9時半ごろ)撮った、写真がしょうくん人生最後の写真になってしまいました。
ちょうど、その頃、主人から岩国に着いたという電話がかかってきました。
そのあとも、二人は、まだ、寝る様子もなく、2階にある二部屋を行ったり来たりしながら、遊んでいました。その時に、私の友人から電話が入り、しばらくあっていなかったので、あおうという約束をしたり、近況を伝えたりしてなか電話をしている間に、おばあちゃんが出してくれたカレンダーの裏に落書きをしたり、しょうくんは鉛筆で畳に直接書いたりして、遊んでいました。母が、後になってあの時に、やめさせないで、やりたいように、書かせてやってよかった、としみじみ話してくれました。
その日は、よく救急車が通る日で、救急車の「ピーポー、ピーポー」の、音に合わせて、人差し指を自分の頭の上で(救急車のサイレンの光が回っているように)まわして、喜んでいました。ご飯を食べている時も、寝る直前も、救急車のサイレンを聞きながら踊っていました。その時のしょうくんの姿を、今でも救急車のサイレンを聞くと、昨日のようによみがえってきます。
11時近くなって、やっと二人は寝ました。私は、二人を布団の中に入れずに、寝たままの場所、布団の足元のあたりの布団の上に寝かせたままにしておきました。
そして、パジャマの上から、就寝用に使っている色違いのベストを着せました。
いくつかボタンが取れていたり取れかかっていました。
それから、二人を布団に寝かせました。その日は、主人がいなかったので、二人が私の両側に来るように、寝かせました。その時の寝かせた場所が、しょうくんの運命を変えてしまったのです。
しょうくんを寝かせた場所とうのが、前の日まで私が寝ていた場所でした。
前の日に地震が起こっていたら、私がタンスの下敷きになっていました。
そのことが、どうしても悔やまれます。大人の私なら、もしかしたら、タンスの重みに耐えられたかもしれません。私が、もう少し違う場所に、しょうくんを寝かせていれば助かったかも知れません。
また、その日、母は、ひどい風邪を引いていました。子供達にうつさないでと、私が言っていたので、母は、私と子供達に、1階の一番奥の部屋で、寝ることを勧めました。でも、私は、それを軽い気持ちで断りました。今まで、そこで寝たことがなかったから、なんとなくいやだったのです。
でも、そのへに寝ていれば、しょうくんは助かっていました。その部屋は、ものが置いてなかった上に、崩れることもなく原形をとどめていた部屋だったのです。
そんな母の言うことも聞かずに私は、2階の部屋に子供達を寝かせてしまったのです。
私のいくつかの選択のせいで、しょうくんは死んでしまったのです。ちょっとした選択の違いで、ゆうちゃんのほうが死んでしまっていたかもしれません。それも、困ります。
今となっては、私が、選択したことを、後悔するしかないのです。
☆結婚式についてきてしまったこと
☆主人と一緒に岩国に帰らなかったこと
☆母の勧めどおり、1階で寝なかったこと
☆しょうくんをタンスの横に寝かせてしまったこと
☆夜中に目がさめたときにしょうくんの位置を変えてやらなかったこと
☆地震ということがわからずに、じっとしていてそばにいるしょうくんを守ってあげれなかったこと
☆一人だけ天国へ逝かせてしまったこと
☆自分が、かすり傷ひとつなく元気だったこと
☆6年経った今でも、こうやって生きていること
☆そして、これからも死を選ばず生きて行くことにしたこと
私は、いつかしょうくんに会うときまで、このことを後悔して申し訳なく思いながら生きて行くんだと思います。 |