その後
しょうくんの死を告げられて、しばらくその場で、泣き崩れていた私に、父は「そろそろ行こうか」といいましたが、私は、その場を動くことができませんでした。
その時、ずっとそばについていてくださったOさんが、離れて住んでいらっしゃるお子さん達の事が心配だからということで、帰られました。かんたんにお礼を言って、お名前だけをお聞きするのが、精一杯でした。
しばらくして、お医者様、が来られて、「たくさんの人の処置をしないといけないので、この場所を動いてください」といわれました。私達は、泣く泣くそこを離れることにしました。そのときに、その時使っていた、「手動の人工呼吸器のポンプをください」
と頼みましたが、「数がないので、あげれません」という、返事。
仕方がないので、最初にうってもらった、注射器をもらうことにしました。
近くで、一緒に頑張っていた、ご家族から、名前を聞かれました。
その御家族は、しょうくんの事を忘れませんといってくださいました。
私も、心からその10歳の男の子の心臓が動くことをお祈りしました。
そして、「しょうくんの分も生きてください」と、伝えました。
その男の子はどうなったのでしょうか?もし、可能ならお会いしたいと思っています。
そして、私達は、その場を離れることにしました。
抱き上げた時に、しょうくんの洋服は、心臓マッサージをしていたので、すごく乱れて、切り裂かれた洋服が、はだけていました。
私は、父に、「しょうくんの洋服がこのままでは、かわいそうだから、きれいにしてあげたい。」と、告げました。
私は、カーテンの中の診察室に連れて行き、あいていたベットの上に寝かせ、切り裂かれていた洋服を下の形のように、寄せて、ペンギンのタオルで体を包んであげました。
しょうくんの顔は、傷一つなく、苦しい表情もしていなくて、ただ、眠っているようでした。
あの地震の瞬間、しょうくんが、苦しまずに天国に旅立ったことをただ祈るばかりです。
それから、たくさんの人がいるロビーを、通り抜けて、外へ出ました。
そして、すぐにゆうちゃんを負ぶった母や弟家族が、玄関の前で立っているのを見つけました。
私達は、トイレに入りました。その時のことで覚えているのは、ゆうちゃんをおんぶしている母に、しょうくんを預けるときに、おんぶに抱っこをさせて『大丈夫?』
と聞いたことでした。
電話
そのあと、私は、主人に知らせる為に、入り口のすぐそばにある公衆電話に行きました。何人かの人が、並んでいましたが、どうにか電話をかけることができました。
一番に、主人に電話しました。しかし、呼び出し音はなるものの、誰も出ません。
2,3度かけましたが、一緒でした。あとで、主人に聞いた所、まさか、しょうくんが亡くなっているとは、知らず、電話のかかりにくかった会社へ、今日は会社を休むかも知れませんと、車で伝えに行っていたようです。
そのあと、私は、主人の実家へ電話しました。
電話は、つながりました。そして、『しょうくんが死んでしまった』と、伝えました。すぐに私は『申し訳ありませんでした』と、誤りました。とっさに、この言葉が、出てきた事には、あとで、考えると、よく出てきたな、と思いました。
そして、父が、非難先になる、寮に電話をし、しょうくんの事、会社のこと、そこが、今どういう常態かということを聞いていました。
次に、義妹が、実家に、自分達の事、しょうくんが亡くなったことを伝えました。
後ろにたくさん、人が並んでいたので、私達は、電話を終え、外に出ました。
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