1月17日(火)から19日までのこと@
だいたいの事はおぼえていますが、細かいことなどは、記憶が飛んだりしていて、お通夜までの何日かが前後されて書いてしまうかもしれません。一応、日にちは区切っていますが、この三日間は、ひとまとめになります。このときのことは、うまく言葉を整理して、書くことができません。いくつかに区切って書いていきます。
【 1月17日】
最初の部屋で、はじめにパパへ電話をした後、私達は、3階にある別の部屋へしょうくんを連れて行きました。その部屋は、さっきまでの部屋よりも随分小さい部屋でした。(後になって、よく考えると、そのときの部屋は、以前に、主人を父の会社の人に紹介する為に花火大会にいったときに、みんなで過ごした部屋でした。写真も残っています。その事実に気がついたときには、とてもショックを受けました。)
それから、しばらく時間が経ちました。その間に、寮の方々が、色々手続き、(お寺に連絡をとってくださったり、警察に連絡してくださったり)していてくださったようです。申し訳ないのですが、私は、ほとんどそのことについて記憶がありません。時々、いろいろ聞かれて、それにこたえていたような気がします。
しょうくんを寝かせた、部屋でみんなが集まり、テレビから流れる映像を見ていました。
崩れた家々、火事の様子、亡くなった人たちの名前・・・
ただ、ただみんなでテレビを見る時間・・・・。私は、しょうくんのそばにいながら、顔を触ったりしながら過ごしました。
★検死
8時ごろ、警察の方が、検死に来てくださいました。私達は、部屋から出るように言われました。しょうくん一人を置いて部屋を出ることが絶えられなくて、行きたくないと言ったのですが、全員でてくださいとのこと、私は後ろ髪を引かれるような気持ちで部屋を出ることにしました。出る前に、警察の方に「お願いだから、体に傷をつけないでください」とお願いしたら、「大丈夫です」といってくださった。
それからしばらくして、検死が終わった。死亡原因は、『窒息死』・・・。あの時のほとんどの方は、体全体に崩れてきた柱などが落ちてきて押された「圧死」。しょうくんは、倒れてきたタンスの引出しの丸いもち手の出っ張りが、丁度のどの所にあたり、それで息ができなくなっての『窒息死』・・・。丁度、のどの下あたりに、丸いあざがありました。そして、おでこの髪の毛のはえぎわのすり傷・・・これは、多分、私がしょうくんの上に乗っているタンスを持ち上げようと、その辺の棒切れをタンスの下に入れて、「てこ」にした時に、私がつけてしまったであろう傷だと思います。ショックでした。自分の手で、わずかとはいえ、しょうくんの顔に傷をつけてしまっていたなんて・・・。もし、あの時に、まだ、意識があったとしたら、きっと『ママ、痛いよ!』って、思っていたかもしれません。今、書いていても、そのときのことを思うと、胸が苦しくなります。書くのをやめてしまいたくなります・・・・。
ごめんね、しょうくん。いくら、あやまっても、償いきれない、でも、謝るしかないの・・・。
そして、病院ではさみで、切られている洋服はかわいそうだからと、母が、ゆうちゃんたちのために持ってきてくれていた新しいトレーナーを着せた。その時は、まだ、体が少しやわらかかったので、洋服も着せやすかった。そのときのトレーナーには、きりんなどの動物がたくさんついていました。
★ドライアイス
葬儀屋さん?が、ドライアイスをもってきてくださった。これも、数が足りないので、今度はいつもって来れるかわからないとのこと。ドライアイスを新聞紙に包んでしょうくんの周りに置いてもらいました。ドライアイスが解けないように、コタツ以外の暖房はつけずに過ごしました。小さな体にあんなに冷たいドライアイスをいくつもくっつけてしまって、しょうくんの体は、凍ってしまいました。なぜか、頬についいていた水滴も、気がつくと氷になっていました。しばらく経って触った、しょうくんの頬は、硬く冷たかった・・・。その感触は、私が想像していたいつもの「やわらかいほっぺ」ではなく、全くかけ離れた感触でした。あの時のショックは、絶対忘れません。
そして、枕もとにかれたろうそくとお線香が、とても悲しかった。 |