1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

【 阪神大震災 】

1月17日の想い
  2000年 2001年 2002年
  2003年 2004年 
震災の時のこと

ママのせいで
岩国から西宮へ
新神戸についてから
実家での時間
将君の最後の日

パパとのさようなら
最後の夜
阪神大震災
生き埋め

救出
将君を外に
連れ出すまで
将君発見
将くんとの対面
病院に行くまで
心臓マッサージ
パパ、早く来て
将君の死
みんなが病院へ
電話
駐車場で死者50人
避難先へ
避難先に着いて
パパとの連絡
検死/パパが来るまで
パパとの対面
関東の地から
避難先での生活
お風呂・納棺
お通夜・お葬式

10はじめに

お通夜
ゆうちゃんしみ
お葬式
喪主パパの言葉
出棺
火葬場で
それぞれの想い
31 2004年遺族代表の言葉
きょうだいを亡くした方の思い
NPO法人「1.17希望の灯り」
(HANDS)のこと
震災モニュメントマップ
大震災こども追悼コンサート
震災関連情報&リンク
新聞掲載記事の紹介
心のケア関係
(サポートグループなど)

震災遺児のためのケアハウス
「レインポーハウス」

 
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★本・資料・リンク
阪神大震災関連図書

 

 

 

お葬式 のときのこと

お葬式 1995年1月20日(金)

一瞬にたくさんの方が亡くなった阪神淡路大震災、どれだけの人がお葬式というものをできたのでしょうか。人が亡くなったときにあたりまえのように行われるお葬式なのに、あの時に亡くなった人たちにはそれさえもしてあげれなかったのです。

あの時の事を思い出すと、本当に異常でした。私がしょうくんのためにしてあげたお葬式は、その中の一つです。普通、お葬式といえば、だいたい形が決まっています。でも、あの時亡くなった方たちの、お葬式は、本当にさまざまだったと思います。

きちんとしたお葬式をしてあげれなかった家族の想いも一言では言い表せないと思います。

 

戒名は 『仲光院釈将友愛童児』です。

『将』はしょうくんの『将』
『愛』はパパとママに愛されてきた証の『愛』
『仲』は、二人が双子として私のお仲にいる時から一緒で、とっても 仲良しだった証の『仲』
『友』は、家族でたった一人だけ旅立ってしまうしょうくんに、天国で沢 山のお友達が出来ますようにという願いを込めて友達の『友』です。

戒名の一番上につける『院』をどうするかときかれました。普通、『院』と言うのは、生きているときに何か立派なことをしたかたにつけるのだと、簡単に説明を受けました。その時、私は、「しょうくんが私たちの代わりに死んでしまった」=「守ってくれた」という言葉が、頭に浮かんできたので、そのことは、『院』をつけるに値するとおもい、何の迷いもなく、『院』をつけていただくようにお願いしました。

私の思いが沢山つまった自慢したい戒名です。でも、本当の名前は『将』。

戒名を見るたびに、もうひとつの名前がついたことに心が痛みます。

お葬式の時の思い出として、チューリップがあります。しょうくんは震災で亡くなりました。あの時は、亡くなった方が、あまりにも多く、祭壇は用意できないと葬儀やさんに言われました。お花も、用意できないし、宗派も指定できない、お葬式ができるだけでもいいほうといわれました。そうですよね、お葬式をしている間にもたくさんの方ががれきの下で亡くなったままだったのですから・・・・・たまたま避難した先が宝塚ということで被害が少なく、火葬できたのですが、あのまま西宮にいたら、しょうくんは毛布に包まれトラックで運ばれ、後で遺骨を引き取りに行くことになっていたのではないかと思っています。そんな中で、父の知り合いがしょうくんのために、色々お世話してくださり、祭壇の変わりに、知り合いのお花屋さんに頼んでくださって、お花いっぱいのお葬式をしてくださいました。最後にお花を入れるときに、あんなにたくさんのお花の中から、私は、チューリップを選びました。理由はしょうくんがチューリップのお花しか知らなかったからです。『咲いた、咲いた、チューリップの花が、並んだ並んだあかしろきいろ・…』この歌を泣きながら歌いながらチューリップを選んでいれました。

 

 

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