1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

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【 学校との交流 】
中学校2年道徳の副読本 
2009年版「あすを生きる」
に掲載していただきました
 
福岡県中間中学校 訪問

福岡県中間南中学校 訪問

石川県N小学校5年生 訪問
大阪府高槻市 阿武野中学校
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授業案の紹介『TOSSランド』など
感想をお待ちしています

授業でHPを使ってくださる方は、こちらからご一報くださいね(o^-')b


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学校からいただいた感想のお部屋 2へ(2012年11月22日から) 

みなさんからいただいた感想をHP(ブログ)に掲載させていただいています。
掲載していいよとおっしゃっていただける学校は、感想を送っていただけるときに
その旨を書いていただけると嬉しいです。宜しくお願いします。

※学校名は、基本伏せさせていただいておりますが ご希望があれば 掲載させていただくことも可能です。


兵庫県 H中学校 2年生からいただいた感想



兵庫県H中学校2年生の先生からメールをいただきました。

その先生も、震災を体験され、避難所の運営にも関わり、様々な惨状を目の当たりにされたそうです。したことは忘れようもありません。先生になられて何とかして震災を生徒達に伝えたいと模索されていたそうです。今年1月に「命の尊さ」をテーマにして、震災について考える授業をしたいと考え、本やインターネットでいろいろ調べていらしゃった時に「将君のホームページ」を見てくださったそうです。

『同じ子供を持つ親として、子を思う親の思いの深さや、将君の命の重さを思うと、涙が止まりませんでした。我が子のことを思う時、ホームページに書かれている一言一言が一層心にしみてくる気がします。しかし教室では、自分に注がれている愛情の深さ・大きさに気づけない子供達もいます。そんな子供達に、命の大切さを考えることを通じて、自分自身を大切に思う気持ちを育てて欲しいと思っています。授業では、教師が細かい質問をして生徒が答えたり、教師が教え込むという形はとらずに、何よりもまず教師と生徒がホームページに書かれた文章をじっくりと読み、お母さんが将君を思う気持ちに触れた者としての思いを共有したいと考えています。2004年1月14日』

というメールをいただきました。

いただいた感想を紹介させていただきます。

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兵庫県H中学校2年生のみなさんへ

阪神大震災が起こったのは、みなさんが、幼稚園のときだったんですね。中学生になったみんなにとって、命の大切さと言っても、きっとぴんとこないかもしれませんね。でも、これから生きていく中で、何か辛いこと悲しいことが起こったときに、中学校のときに学んだ命の大切さについての色んなことが、ふっと頭をよぎって辛い自分から抜け出すための力の一部になったときに、初めて今回の授業の結果が出てきたといえるのかもしれませんね。

私たちの経験をつづることで少しでも多くの方に、命あることのありがたさを感じるきっかけになっていただければうれしく思います。

皆さんからの感想を読ませていただきました。一方的に発信しているHPですが、こうやって受け取ってくださって、返してくださる方がいらっしゃっることは、とても心強く、また、違う視点からいろんなことを考えるきっかけになります。ありがとうございました。

2004年4月12日


1
1人1人の命を大切にしなければいけないと思うし、命というものは自分のものでもあるが、その1人のものではなく、親などいろんな人が、その命に対して、なくなれば悲しむ大事なものだと思う。命というものはいつなくなってしまうかわからない。けど、その命をみんなで守っていくことも必要だと思う。一つの命があるということに感謝して、大事にしていかないといけない。他の人の命も尊重する考えを持って生きるべきだと思う。
2
地震によって尊い命が奪われた。将君ももっと長い間、生きていたかったかもしれないけど、お母さんがこんなに後悔したり、天国のことを心配したりしてくれて、本当に幸せだと思う。最近は変なニュースばかりをテレビで見るけど、僕は命を大切にしてこれから生きていこうと思った。
3
あの震災の時のことは、ニュースとかでいっぱい取り上げられていたけれど、実感がありませんでした。けれどこうして将君のお母さんがこんなに将君のことを思っていて、いろんな人に知ってもらいたいと思っていることを知って、改めてあの震災の恐ろしさや形で見えるもの以外の復興のことについて考えるようになりました。そして絶対に忘れてはいけないんだと思いました。もっともっと命の大切さについて考えていかなければならないと思いました。心の復興はその傷を負った人だけが負うんじゃなくて、みんながその傷を受け入れてあげることが復興につながるんだと思いました。知らないところで、いろんな人がそういった傷を負っていることに、あまり気づくことができませんでした。そして、今自分が何をしなくてはならないのか考えていかないといけないと思いました。そして、私もこのことをいろんな人に伝えていく必要があると思いました。
4
私はお母さんの気持ちものすごくわかります。けど全部はわかっていないかもしれません。けど私は、この授業をやって、人の命の大切さや、人ひとりの命の重さを教えてもらい、そして命というものがわかった気がします。私が住んでいた所はあまりゆれていなかったと思います。けど私が起きた時、私の上にお母さんがいました。その時は、何をやっているんだろうと思ったけど、今は、助けてくれたんだなと思います。子どもを心配しない親なんていません。だから、私は、お母さんに何も責任はないと思います。じつは私も、男と女の双子です。今回の授業で、もし兄がいなくなったらどうだろうと改めて考えたりしました。すっごくさびしい気持ちになりました。けど今私達は生きているから、しっかり生きていかないとだめだなあと思いました。
5
将君のお母さん、震災から10年がたちました。私は当時5歳でした。でも、はっきりと覚えています。小さかったけれど、小さいなりにショックでした。私達は、将くんを通して震災のことを勉強しました。私は親ではないので、自分の子どもを亡くしてしまったやりきれなさは、はっきりわかりません。でも、きっと将くんは、お母さんやお父さんに「ありがとう」って言ってくれていると思います。本当にそう思うのです。それは、お母さんの将君への手紙を読んでそう思いました。将くんはとっても大切に、そして愛されて育ったのでしょう。今でもこうやって将くんのことを思ってくれているお母さん、お父さん、ゆうちゃんに、きっと感謝の気持ちでいっぱいでしょう。震災についてを学習したと同時に、命の大切さも学びました。人間ひとりのためにこれだけの愛をそそいでいるのを見て、「ひとりの命って大切だなあ」と思っています。だから、これから先、私も大切にするし、将くんのお母さんも、大切に将くんの分も生きてあげてください。
6
僕は震災の被害が少ない所に住んでいたけれども、その日のことをけっこう覚えています。それ以上にこわい思いをしたって思うだけでビックリです。僕は親になって子どもをなくしたことはないけれど、大切な人をなくした時の気持ちは分かります。その悲しい気持ちをみんなに知ってもらおうとするのは勇気があると思いました。これからも頑張ってください。
7
命は最後はどうせなくなってしまうものだと思っていたけれど、それまでの生き方を大切にしないといけないことが分かった。それに将君のお母さんのホームページを見て、いつも何となく生きているけれど、生きていることはすごいことだということが分かりました。今生きていることに幸せを感じられるように、毎日大切に生きていかないといけないなぁと思いました。大切な人が死んでしまっても、周りの人たちのおかげで、生きようと思ったのはすごいと思います。たぶん将君は将君のお母さんが長生きしてほしいと思っていると思います。だから、これからも2人の母親として頑張ってください。私もホームページを読んで、自分も周りの人から大切にされているのかなあと思いました。私ももっと周りの人を大切にしていこうと学びました。
応援しています。
8
私は震災の時、幼稚園の年長でした。私の住んでいた場所は、将君の家と比べると、少しのカスリ傷って感じです。そして私の心の傷は、将君のお母さんとは比べものにならないぐらいちっぽけなものです。私は、うっすらとその日のことを覚えています。家で飼っていた金魚の水がこぼれていたことぐらいだけど、それだけでかなりショックでした。将君のお母さんは、将君という世界に1人しかいない、たった1人の息子を、たった1人の命を失ってしまったんですよね。私なら、将君がいなくなってしまったことが悲しくて立ち直れないと思う。「悲しい」ということばかりで、将君のお母さんのように、自分が悪かったとか、考えれないと思います。ただ悲しくて、ずっとおちこんでいるんだと思います。けど、それを見て一番悲しむのは、将君なんですね。私は、将君はいつでもお母さんのことを見守っていると思うし、天国でいつまでも生き続けているんだと思います。私は、これから生活する上で、「将君という人がいたこと」「将君以外にもたくさんの人が傷ついたこと」を、心の底にしまっておき、一生に一回の人生を、大事に過ごしたいです。
9
私はこの将君のことについて授業で知って、すごく悲しい気持ちになりました。だから、私生活の中で、命を粗末にするようなことは絶対しません。私のまわりの人が簡単に「死ね」とか言っているのを聞くととても心が痛みます。もちろん私はそんなことも言いません。そして、命の尊さ、大切さを、そんなことを言う人たちに伝えていければいいと思いました。これからもがんばって生きていって下さい!! 私もがんばって生きます。
10
私は、将君のことを知って、改めて「命」というものの大切さを考えさせられました。今生きている私たちがしなきゃいけないことは、自分はもちろん周りの人の「命」を大切にすることと、人生を大切にすることだと思います。だから私も「生きている」という喜びと、震災で亡くなった人たちの命を背負いながら、今を一生懸命生きようと思いました。これからもいろんな人に将君のこと、伝えていって下さい。
11
私は授業で将君のことを知って、一人一人持っている命は、周りの人からとっても大切にされているんだなって思った。それに一人亡くなるだけでたくさんの人が悲しんでしまうから、命は人のも、自分のも大切にしていかなければって思えるようになれました。だから、これからは今生きていることを今まで以上に良かったなって思えるようになりたいです。
12
私は、地震を体験していません。だから震災がどれほど怖いのか、実の所あまりよくわかりません。でも、怖さを聞いて震災のことは忘れないようにします。恐ろしい出来事であったけれど、その中にある人の優しさもあるからです。私の祖母が家の中でタンスの下敷きになりました。絶体絶命の時、マンションの友達がとんできてくれたそうです。祖母はその方が来てくれていなかったらどうなっていたかわかりません。「生命」はすぐに壊れてしまいそうで、怖いですが、守っていくこともできるので、前向きに生きていく心があれば大丈夫だと思います。
13
将君のお母さんはとても将君のことが大切だったんだなあと思いました。将君のお母さんは、将君が死んだ時ショックで立ち直ることができないと思っていたと思います。だけど、多くの人に支えられて立ち直ることができたので、人の力はすごいんだなあと思いました。
 私は小さい頃におじいちゃんが死んでしまったけれど、小さい頃なのでよく覚えていないので、人が死ぬというのがあんまりよくわかりません。だけど私はその時とても悲しく思っていたような気がします。でも死んでしまった人もその人と一緒にいたかったかもしれないから、どっちも悲しい思いをするんじゃないかなと思ったりしました。どっちも悲しい思いをするのなら、私も将君のお母さんのように、自分の中にいなくなってしまった人のことを思いだして、いつまでも一緒にいられるようにしたいなと思いました。
 将君は妹さんがいるから、将くんの分妹さんが生きていれば、将君も天国で悲しむこともないと思うので、将君にしてあげれなかった分妹の優ちゃんをかわいがってあげて下さい。
14
私はホームページを少しだけ見ました。いっぱいいろいろなことが書いてあったり、写真がのせてあったり、授業で紹介されなかったようなことなどもいっぱいありました。カキコミしようとしたけれども、途中でフリーズしてできませんでした。
 今まで私は「いのち」ということは考えたこともありませんでした。たぶんそれは私が(私の周りも)命の危機というものに立ち会ったことがなかったからだと思います。でも、HPや、学校の授業でいろいろと考えていくうちに、私の中の「いのち」というものの価値観が変わりました。今生きているということが、どんなに特別なことか、この世に生まれてきたことがどんなにうれしいことかなど、すごく深く考えるようになりました。やっぱり命というものはすごく大切でとうとい、お金には換えられないものなんだなと思うようになりました。
15
この授業を通して一番よく分かったことは、命の大切さや地震の恐ろしさ、家族の大切さがよく分かりました。自分の命は、自分だけが大切に思っているのではなく、周りにいる家族や親せきも大切に思ってくれていると思うと、やっぱり大切にしないといけないなと思いました。
 それに、将君のお母さんはすごいと思いました。将君のためにホームページを作ったり、大勢の人の前で話をしたりして、お母さんの気持ちは絶対将君に伝わっていると思いました。
 やっぱり命はとてもとても大切なものだから、私も周りの人の命も大切に思わないといけないなと思いました。それに、普段生活している上で、そんなに命について深く考えなかったけど、この道徳の授業でちゃんと考えることができ、よかったと思いました。
17
 私は今まで命の尊さをここまで考えたことはなかったと思います。小学校の頃から道徳の授業でそういったことを学んできたし、避難訓練の度に先生方の話す震災の実体験等も幾度か聞いているので、考える機会はたくさんあったのですが、なぜか今回ほど深く考えさせられたことはありませんでした。
 私は命というものは自分の所有物に近い感覚で見ていました。そうではないのだと道徳などで教えられましたが、いまいち納得できず、その価値観は変わりませんでした。でも今回の授業で、やっと納得することができました。そしてその重みというものを実感しました。それからその大切さは誰でも同じなのだということも改めて感じました。将くんが亡くなった時の家族の悲しみはそれぞれ深いものだったし、落ち込むお母さんを気遣う優しさもそうでした。全ての人は同じように尊び、尊ばれているのだと、今までなかなか理解しづらかったことがすんなりと理解できました。
 今回の授業では、本当に色々なことを学び、考え、感じることができたと思います。将君のお母さんが震災を忘れないように、私も今回学んだり考えたりしたことをずっと忘れずにいたいと思います。そして、今私のそばにいる家族や友だちや先生方を大切にしていきたいです。
18
僕はこの授業をして、命の大切さや亡くなった人への悲しみが少し理解できたと思います。
 将くんへの手紙の中で、将くんが亡くなってしまって後悔した話を読みました。それを読んで、将君のお母さんがどれだけ悲しんだかということが分かりました。しかし、将君のお母さんの本当の悲しみは分かりません。でも、将君のお母さんの手紙を読むことで、命の大切さや命を失った時の悲しみを学ぶことができました。
19
道徳の授業で初めて将くんのことを知りました。毎年1月になるとテレビのニュース等で、震災でなくなった人の遺族のことを報道していますが、その中で、1995年1月17日、震災の起こった日に生まれてきた男の子のことをテレビで目にしました。それは僕の弟の友だちで、今小学3年生です。よく遊び、しゃべったり、とても元気な子で、もちろん震災のことなど全く知りません。
 しかし、将くんのように、その日に突然命を失ってしまった子が数え切れないほどいる、ということを知った時に、とても複雑な思いになりました。
 震災と聞くと、一見不吉な事故のように考えてしまうけれど、その中で生まれた命と、ボランティアなどの活動を通したあたたかい心があったことも忘れずにいたいと思いました。
20
将くんはきっと生きていると思う。違う世界ではなく、将くんのお母さんや家族を支えるために、いつもそばにいるはず。いつも生きている人々のエネルギーになっていると思う。月日がたった今でも、将くんはずっと生き続けている。
 僕の父は自衛官で、母は看護婦。震災の時、伊丹に住んでいて、二人ともずっと働いていた。とてもさびしくつらい日が続いたけど、名前も知らないボランティアの人達はすごくあたたかかった。将君とお母さんは、いっしょにあたためる側の人になってください。今もどこかで悲しんでいる人を助けてあげられるのは二人です。これからもがんばってください。どうしてもつらくて悲しくて仕方なくなったなら、すぐ横を見てください。いつも自分を支えてくれる将君や家族がいるはずです。
21
命はとても大切で重いものだと思った。今までそんなに考えなかったし、今よりかは軽く見ていた。でも、将君のことについて考えるようになってからは違った。私は、最初に将君の話をしてもらった時、自分ではよく分からないけど泣きそうになった。「かわいそう」「悲しい」の一言では言い切れない気持ちだった。先生は泣いていた。家に帰って将君あての手紙をお母さんに見せたら、お母さんも涙浮かべてた。そこで私は考えた。
 きっとお母さんや先生は、将君のお母さんと自分を重ねてたんだと思う。きっと私には分からない何かの想い。私はこれをきっかけに、いろんなことをいろんな時に考えていきたい。自分がよくて、それでよかったじゃなく、広い視点でみてみたい。そしていろんな人と考えていきたい。将君は絶対お母さん、優ちゃん、お父さん、親せき全員の幸せを祈ってるんじゃないかな。これからも今まで通り強く生きていってほしいんじゃないかなと思う。そして、世界のいろんな人たちに伝えてもらいたいんじゃないかな。そうして一緒になって考える。そうすると何かが見えてくるはずだと私は思いました。これからも一生懸命に生きていきましょう。
    

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