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2004年1月、娘への思いを綴った本「ゆうへ〜生きていてくれてありがとう」をきっかけに将君のホームページを授業で使ってくださった、岡山県のG小学校のT先生から、「今年も将君のホームページを授業で使わせていただきました」感想を添えて御連絡いただきました。
一度だけでなく、今年も私たちのホームページで授業をしてくださったこと、感謝しています。この時期、心が不安定で沈みがちですが、皆さんからいただいた感想を読ませていただくと、私の思いを綴ったHPが皆さんが、命を考えるきっかけになっていることが伝わってきて、元気をもらうことができます。ありがとうございました。いただいた感想を紹介させていただきます。小学校6年生の感じる心、考える心が私が思っていた以上にすばらしいものだということを感想をいただくたびに感じています。。もう、自分を責めて生きていないことだけを皆さんにお伝えしたいと思います。子供たちのために、生きる抜くこと、それが私の今の元気の力のもと担っています。 |
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将君のお母さん、ぼくはぼくのお母さんに聞いてみました。「もし先に子どもが死んだら」って聞いてみたら、お母さんは「悲しい」って言っていました。他にもいろいろと言っていました。将君のお母さんも将君が亡くなってそんな気持ちだったと思いますが、元気を出してください。優ちゃんのためにも生きてください。長生きしてください。それと、将君のためにも。 |
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将君がいなくなって大丈夫ですか。今日の道徳の勉強をして、将君のお母さんの手紙は感動しました。きっと将君も天国で読んでると思います。将君は天国へいっても、将君はお母さんのそばにいると思います。 |
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私は初めて将君のことを知りました。家族4人の写真を見て、私はみんな明るそうだなあと思いました。でも、阪神大震災が起こって将君だけが下敷きになったのはかわいそうと思いました。私も親じゃないけど1番下の弟がやっと歩き出した頃、熱いお湯でやけどをしました。その時、私が見ててってたのまれたのに、見てなかったから、代われるものなら代わってあげたいと思ったけど、現実はそうはいきません。でも、今は完全ではないけど少しずつ治ってきています。でも、将君の場合はたったひとつの命が地震のせいでうばわれたのは想像もつきませんでした。「将くんへ」という手紙を読んで私は涙が出てきそうになりました。将君は、短い人生だったけど、あんなやさしいお父さん、お母さんがいていいなあと思いました。「ゆうへ」という本は持っていないので読んでみたいです。私は、将君はきっと天国で元気にしていると思います。 |
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初めまして。私は道徳の勉強をして将くん、優ちゃんのことをはじめて知りました。「ゆうへ」という本を読んで私は感動して涙が出ました。私は、阪神大震災のことをあまり覚えていません。お母さんに聞いてみると「恐かった。寝ていた私やお兄ちゃんをだきしめたよ。」と言っていました。本を読んでわかったことは、「人生には苦しいこともあるけれど、みんな乗りこえて生きているんだ」ということです。将君のお母さんは、将君が亡くなったとき、とても悲しくて苦しい日々をおくっていたのですね。でも、あとから、こうすれば将君は生きていたかもしれないと思っても、仕方がないことだと思います。優ちゃん、お父さんも同じ気持ちだと思います。本にも書いてあったように「強い心」「やさしい心」を大事にしてほしいと思います。生きていくことは大変だけど、それができることは幸せなんだと私はわかりました。これからも、将君のことを忘れないで、優ちゃん、お母さん、お父さんで幸せに暮らしてほしいと思います。 |
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とても幸せだった家族をおそった地震。地震って本当に恐いものですね。私が住んでいる岡山県はあまり地震が起こらないので、私は本当の地震の怖さを知らないかもしれません。ですが、新潟中越地震やスマトラ沖大地震の直後の地方の様子を見ると、地震の怖さがよくわかるような気がするんです。私が住んでいるところにもし大きな地震が起こったら、私はどうするんだろう?もし将君のお母さんのように大事な人を失ったら・・・絶対すごく悲しむと思います。でも、将君のお母さんは将君の死にばかり気持ちがいってしまって、自分の横で将君の分も生きてくれている優ちゃんの存在をわかってあげられなくなってしまっていたんですね。きっと優ちゃんも将君のお母さんと同じくらい悲しんでいたと思います。その気持ちに気づいてあげられたお母さんは、今までよりももっと前向きに生きていけると思います。がんばってください。(うまく言えませんが・・・) |
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私は今日この話を聞いて、本当にお母さんはかわいそうだと思いました。そして、将君も。小さいのに大きなタンスが倒れてきて、本当に痛い思いをしたと思います。そして、お母さんが「代われるものなら代わってあげたい」という気持ちもすっごくわかる。でも、将君はそんなこと思っていないと思います。将君は「ぼくの分も長生きして、優ちゃんやお父さんとずっと幸せに生きていってほしい。」と思っていると思います。もし私が死んだら、私はこうお母さんやお父さんに伝えると思うから。だから、自分をそんなに責めず、将君の分も幸せで、長生きしてほしいです。 |
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すごく幸せそうな家族がいっしゅんのうちにあんなふうになってしまって、すごくかわいそうだった。「ゆうへ」の本を少し読んだだけでも、将君といっしょに今も住んでるように書いていて、すごくママさんの気持ちが伝わってきました。阪神大震災の時にわたしの家族は、今と同じ岡山県に住んでいて、笠岡でもすごくゆれたらしいです。岡山でもすごくゆれたなら、神戸はすっごくゆれたと思います。将君と優ちゃんがやっと産まれて、すごくうれしかったというのがすごく伝わってきました。将君が今、天国にいってなかったら、私たち6年生といっしょぐらいかなあ?優ちゃんも将君がいなくなってから、とてもさみしかったと思いました。あと、「ゆうへ」の本を読んで、すごくいい本だなあと思いました。先生も「ゆうへ」を読んで涙が出たそうです。これからもいつまでもお幸せに・・・ |
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私は将君のことを知って、とってもかわいそうだなあと思いました。かわいそうといっても、言葉にできないくらいです。将君のふたごの女の子の優ちゃんもきっと悲しんでいると思います。将君への手紙も見させてもらいました。そして、一番に思ったのが、将君のお母さんは、優ちゃんも将君もとっても愛しているんだなあと思いました。でも、将君のお母さんが悲しんだら、将君も悲しむんじゃないかなあと私は思いました。だから、将君のお母さんもつらいと思うけど、元気を出して将君が天国で幸せになるように祈ってあげたらいいなあと思いました。 |
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私は、阪神淡路大震災のことをあまり考えていませんでした。でも将君のことを勉強してすごくいろんなことをいっぱい考えました。将君が亡くなってすごく絶望的だったと思います。私が親だとして、もしそんなことがあったら、何もしたくなくなります。私は、神様すごくいじわるなことをするなあと思いました。勉強中、泣きそうになりました。もし、私が将君みたいになっていたら・・・と考えるとすごく恐くなりました。将君が亡くなったのは自分のせいだと思わないでください。そう思ったら将君がすごく悲しむと思うんです。将君のことは毎日思っていてあげてください。そして優ちゃんのことも大事にしてあげてください。 |