●ママの気持ち(日記から)
こんな感じでいつも抱っこしていましたv(^o^)


イラスト by すずらん さん
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震災から8年目
2002年1月17日から2003年1月16日まで

2003年 5月


六甲山夜景(神戸六甲アイランド)


2003年5月27日
先日、私がお手伝いさせていただいているNPO「1.17希望の灯り」の総会に参加させてもらった。そこは、震災だけではなく事件事故で大切な人を亡くした家族も参加している。総会のあと、交流会(勝手に残って話していただけ)があったのでそこにも参加した。震災・明石歩道橋事故・中華航空機事故・須磨児童連続殺傷事件のご遺族がいらっしゃいました。お会いするのは2回目の方もいらっしゃいましたが、初めての方もいらっしゃいました。

そこで、それぞれの思いを話し、亡くした理由は全く違うけれど残された者としての思いは、一緒である事を確認しました。

2歳のお子さんを亡くしたお父さんが「子どもがとったセミのぬけがらが捨てられずに未だに残しているし、冷蔵庫にもその時のものが色々入ったままです」と、おっしゃった。実は、我が家にも同じようにいろんなものが冷蔵庫や冷凍庫に入ったままです。みんな一緒なんだ、そうなんだよね、捨てられるわけないよね。だって、亡くなった子の使ったものはもう増えないんだものね。

その後、みんなで夕食を食べに行きました。そこで、女性4人は、それまで以上に打ち解けてそばにいた男の人たちは、あまりの盛り上がりに唖然としていました(笑)

みんな、大切な人を突然失い、一度は生きていく望みを失い、死を望み、人をうらみ、ねたんで生きてきた人がほとんど。なのに、今、ここでこんなに笑っている。その時だけの笑いかもしれないけれど、心から楽しんで思いっきり笑っている自分達をみんなで「私達、頑張っているよね、すごいよね。」なんて話してた。そして、みんなの中にまた落ち込む事があることもわかっている。落ち込む自分と元気で頑張っている自分、その正反対の自分を受け入れるまでにそれぞれが言葉では言い表せないぐらいのたくさんの思いで生きてきた。

そこは、言葉に言わなくても理解してもらえる理解してあげれる、ほっとできる場所だったような気がする。経験したもの以外は決して入れないそんな時間だった。今、ここに来てくれている人、そうでない人で一人だけで悩んでいる人もたくさんいると思う。

悲しみを外に出す事が苦痛な人もいるだろう。でも、出したいと思っても出せない人、出す場所がない人もいるだろう。そんな人が、悲しみを出せる場所を作れたらいいねと話していた。

自分達の辛かったときを知っているから、今辛い人たちのために何かをしたいと思っている。

また、みんなで会っていろんな話をしたいよね。

2003年5月7日
今、家をきれいにしたい病にかかっています。でも、気持ちだけが大きくてぜんぜん行動してないんだけど・・・、というかちょっとだけやり始めてそれでとまっているので、かえって家の中が中途半端に汚い(涙)

一年に何度かは、この家をきれいにしたい病にかかる私。でも、あまりのものの多さにぜんぜん片付けきれないでここ3年が過ぎている。

GW中も洋服等随分整理したけれどまだまだ余計なものが家中に残っている。物が捨てられない性格なので捨てようと思ったときに思い切らないと、「いつか使えるかも・・・」なんて、ついつい いらないものまでコレクションしてしまう癖がある(汗)

捨てられないものの中に、子供が作ったもの書いたものがある。将君のことがあってから、どうしても子供が使ったものを大事にしたいという思いがあるので年々増える子供のものをどうしたらいいかと困ってしまう。

私が、ずっとゆうちゃんが作ったものを大切にしていることをしっているからゆうちゃんも自分の作ったものを私にくれる。「ママ、ゆうちゃんの作ったものって、ママの宝物なんだよね。大事にしてね♪」なんて言いながらプレゼントをしてくれるとますます、捨てられなくなる。

震災後からの8年半の間に描いた絵もほとんど残している。さすがに最近は、きれいに描けたものだけを厳選して残すようにしているけれど。。。

そんなものを含めて本当にたくさんのものが詰まっている我が家。大切なものだけ残して処分していかないと、いつまでもおしゃれな生活ができないかもしれない・・・。子供ができる前の友達を呼んで、手作りのケーキを出してその日の気分でカップを選んでお茶をしていたおしゃれなあの頃の生活を、すこしずつ大人になってきたゆうちゃんにも経験させてあげたいと思う今日この頃です。

この気持ちいつまで続くんでしょうか(笑)

2003年5月5日
4日に行った六甲山の展望台に「いしころ亭」というお店があった。いろんな種類の石で作られたアクセサリーや置物、そして石がたくさん並べられていた。

石といってもいわゆる天然石でちょっとした宝石感覚ですごく素敵だった。でも1.5センチ×2センチほどの石が300円から800円。さすがにそれを何個も買えないので、すくい取りというちょっと小さめの石を木のスプーンですくって買うことにした。値段もお手ごろですくうというゲーム的要素も加わってゆうちゃんも大喜び。

とりあえず本物の宝石として本人はすっかり喜んでいた。家に帰ってきて色ごとに(詳しい鉱石名がわからないので)わけて手作りの宝石箱をつくり大事そうに眺めて満足している。

そして、どうしてももう一度行きたいというので、今日また六甲山へ行ってきた。展望台のすぐそばにあるカンツリーハウスにいってつりをしてのんびりしながらもって行ったお弁当を食べた。そして、リフトにのってそのまま展望台へ向かった。お天気もよくすごい人だった。

そこは、昔からある展望台を今年の4月18日にリニューアルしたらしく、とってもおしゃれなきれいな建物のお店が並んでいた。

我が家のお気に入りのスポットになりそうです。

2003年5月4日
今日は、夜から六甲山に夜景を見に行ってきた。夜だというのにすごい車がいた。(夜景だからよるにひとが多いのは当たり前?)

昔からある展望台が、4月18日からきれいになってオープンしていた。とってもおしゃれな素敵な場所でした。ほとんどがカップルで(*^.^*)家族連れは少なかった。時間も夜10時前だったから当たり前かぁ・・・
久々の六甲山の夜景はとってもきれいでした。

今日は、お庭でバーベキューをして、そのあと「はるかちゃんのひまわり」と震災の年から咲いている「我が家のひまわり」、そして命のアサガオ第2弾を植えました。

はるかちゃんのひまわりはどんなお花が咲くんでしょう・・・楽しみです。

優ちゃんが言いました。
『「はるかちゃんのひまわり」と「命のアサガオ」があるでしょ?将君の何かはないの・・・?』

そうなんだよね、将君のなにかはないんだよね・・・。私の中でもずっと気にしていたこと、なんだか1歳半という小ささに悲しくなりました。

1歳半で終わってしまった将君の人生の続きを作ってあげれるのは残された家族かなとちょっぴり前向きに考えることにしました。

2003年5月3日
我が家(パパの)の長かったGWも後2日で終わります。前半思いっきり遊んだので後半は、ゆっくりしています。

先日、6月21日公開(関西先行)の河瀬直美さんの「沙羅双樹」という映画の公開前の特別試写会のご招待を受け観に行ってきました。
その映画は、双子の一人を神隠しという形で失った家族が苦しみながらもその死を受け入れて前に進み始めるという内容です。

彼女は、昨年の1月17日NHKの生活ほっとモーニングで私達家族が取り上げていただいて特別番組を組んでいただいたときにゲストに来ていただきました。そのとき、たまたま彼女は、この「沙羅双樹」の映画のシナリオを書き終えたときでした。同じ双子の一人を亡くした家族である私達のためにお忙しいスケジュールの中、ゲストを引き受けてくださったようです。

彼女とは、その後も何度かお会いしていろんなお話をさせていただきました。そして、映画が完成したということを知りどんな風に子供を失った家族を描くんだろうとすごく興味がありました。

今回、特別試写会に招待していただいたこととってもうれしかったです。

映画は、とても難しいテーマでそれを描ききることは大変だったと思います。子供をなくした人だけに限らないのですが、同じ経験をしていても思いはそれぞれです。性格も生き方も捕らえ方も全部違います。特に、子供を亡くした人はその思いについてとても敏感です。受け入れてほしいという想いが強いためそのときの自分の考え以外の考え方について強い拒否感を持つ方も多いと思います。

悲しみの真っ只中にいる方にとって、この沙羅双樹の映画を受け入れることは難しいかもしれません。
あの会場でこの映画を観た方のうちどれだけの方が子供を失った気持ちを理解できたのでしょうか、そして前向きになるということを簡単に受け止めてほしくはないと思いました。

映画で表現されている奥深くの想いを感じてほしいと思います。

彼女との出会いは、今まで将君の死についてしか考えていなかった私に生きている意味、生きていく意味を考えるきっかけにもなりました。どうもありがとう。

彼女の公式ホームページはこちらから
そして、映画のホームページはこちらからどうぞ

カンヌ映画祭コンペティション部門ノミネートされたそうでびっくり(^o^)