●ママの気持ち(日記から)
こんな感じでいつも抱っこしていましたv(^o^)


イラスト by すずらん さん
ママの日記 目次』へもどる

震災から8年目
2002年1月17日から2003年1月16日まで



2003年 2月

2003年2月17日
HAPPY BIRTHAY PAPA !
今日は、パパの○才の誕生日。仕事でお誕生日会できなかったので、週末にゆっくりしようね(^o^)

今日は、先日、取材を受けたNHKのニュースの放送日だった。テレビ見るのが恥ずかしくてじっくり見てないの・・・。コメントは、いつかゆっくり書きます。多分・・・(^^;;;

最近、いろんな事が頭の中ぐるぐる回っている。本当にいろんな事・・・。内容も、すごくまじめなものから、人に話すのも恥ずかしいぐらいなものまで・・・

家の中、きれいに片付けたいなぁ、いらないけれど捨てれないものがいっぱい♪まだ使えそうなものも、たくさんあるの。
オークションに出そう(^o^)と思ってダンボールにたくさんつめてある(^^ゞ。 でも、写真を撮ったりするのがめんどくさくてそのままになって、家族みんなに邪魔にされている。いっそうのこと捨てようかと思って見たりするけれど、これだけ全部売ったら(売れたら)、一つぐらい自分のほしいものが買えるかなぁ・・・?って思うと捨てられない(笑)

子供が、ためたモーニング娘。のブロマイド(くじ引き)も山ほどあるよ・・・。時間見つけて出してみよう!!


そういえば、今日、ホットカーペットの上に寝転んで勉強をしていたゆうちゃんが言った。
「優ちゃん専用の机があればねぇ・・・」ヾ(・・;)ォィォィ
「2階の部屋にある、入学する時に買ったあの机は優ちゃん専用の机じゃなかったの?」
私のその言葉に
「あ、そうだった・・・」と、一言!!
あの机は、飾りか!!と激怒しそうになった私だった(笑)


また話は、変わって・・・
人間って、ずっとこだわっていたこと、あるとき糸がきれると、本当にどうでもよくなるもので今まで一生懸命頑張っていたことが、突然、ばからしく思えたりする。みんなは、そんな経験したことあるのかなぁ?

ずっとずっと大好きでいたおかずが、ちょっとしたテレビを見てから、食べられなくなったり・・・。昨日まで、素敵に見えていたお気に入りの洋服が、朝起きてみると、着たくない!って思ったり・・・。

ずっと、大切な思い出があるからと大切にしてきた品物が、ある時、ふっと自分の中で意味がなくなってしまったり・・・。

家の掃除をしていると、子供の頃からの思い出の品物が出てくる。何十年も大切にしてきて結婚する時にも、何度かの転勤のときにも捨てられずにもってきた物。いつかは、捨てるんだろうな・・・。そんなものたくさんあるんだよな、私。私って物を捨てられない人だから(笑)たとえば、中学校の時に集めていたキティちゃんやスヌーピーのハンカチや小学校の時に流行っていたメモ帳交換で集めた一枚ずつのメモ帳・・・。

今は、どこにしまいこんだのかも分からないほど普段の生活で、なくても全然困らないものばかり・・・。たった一枚の紙切れだったりするけれど、それを見たら何十年もタイムスリップしてしまう。他人にとってはただの古いメモ帳だけど、私にとっては、大切な思い出が詰まったメモ帳・・・。

家が汚いとふっと心の余裕がなくなって、大切な思い出が詰まったものまで捨ててしまいたくなる。思い出だけを大切に残すことができ、それ以外のものを全部捨てることができたらすっきりするだろうな・・・。

思い出というものが、いろんなものに詰まっていなければ、必要最低限のものだけを残して全部捨てたいと思う今日この頃です。

もう少し、暖かくなったらいろんなものを処分してすっきりしてみようかな?見えるものも見えないものもね・・・(笑)それができると家の中も心の中もすっきりするだろうな!!


2003年2月11日
今日は、久々に心斎橋までお買い物に行って、久々にモーニング娘。のショップに行ってきた。今日は、予約していたブロマイドを取りにに行くだけのはずがなんやかんやとたくさん買ってきてしまった。

14日のバレンタインは、パパは仕事の関係でいないので、ちょっと早いけれど今日みんなでバレンタインをした・・・といってもケーキを買ってきて食べただけだけど・・・。
来週は、パパの誕生日も控えているのでプレゼントはその時にまとめて・・・(^^;;;

この間、近くのスーパーのワインやチーズ専門店で木箱に入ったワインセットを買った。「福木箱」とって、いろんな種類のワインが12本で10000円!!なんかお得のような気がして衝動買い。

そうそう、昨日車で海に行って写真を撮ってきた。目で見るのとデジカメのレンズで見るには、ずいぶん雰囲気が違っていた。デジカメの方がきれいだった。ちょっとした角度で同じ時間なのに随分雰囲気が違って撮れた。


   




2003年2月9日
ずっと心の中で引っかかっていたことが、1月17日に溶けはじめた。命日が終わってインターネットで何かしたくて、その何かを探したくて色々検索をした。「ボランティア」「阪神大震災」「遺族」・・・・。検索結果で私の目に留まったものがある。モニュメントウォークを行ったり神戸市役所の隣にある東遊園地で行われている1.17の集い遺族の方たちが集ってお手伝いをしているという記事。私は、早速そこに記載されていた電話番号に電話をした。そこで、担当の堀内さんという方といろんなお話をさせていただいた。

そこで、東遊園地にある現在、神戸市で亡くなった方たち(当時神戸市に住所があった人を含む)だけの名前が刻まれている場所に、震災で亡くなった人たちすべての名前を刻む話がありそれに向けて、神戸市長さんと話し合っている最中だと聞いた。思わず、うちの子も載せたいと言ってしまった。とりあえず、私は、その計画のお手伝いをすることになった。初めて電話をしてから2日後の1月22日にその計画を神戸市長さんが了解をしてくださって本決まりになった。そして、私がその記者発表に同席して遺族代表としてコメントをするということになった。「え?」と戸惑う私に、堀内さんは、今回の決定したことを市を通して遺族に伝えることができないから、メディアを使って伝えってもらうことしかできないと言った。それには、ただの記者発表よりも遺族が出てきた方がインパクトが強くなるらしい。神戸市から他の市へ協力のお願いが出来きたら一番いいのだけど、行政のなんたらかんたらで(よくわからない!)で無理だそうです。今でも、納得がいっていないんだけどとりあえず納得するしかなかった。堀内さんは「やりがいがあるだろう!」と言った。私は、「確かにすぐに形になると嬉しいですけど・・・」と断れる雰囲気をつくる隙を与えない。こうやって、みんな堀内さんのペースに乗せられてきたんだろうなて思った(笑)。そうやって、私は、気がつくと、この計画『開かれたモニュメントの扉』の運営委員準備会の一員になっていた・・・(^^;;;

それからが、忙しかった。記者発表のときに記者の方々に配る資料として、今回の東遊園地のモニュメントに将君の名前も載せてもらえるようになったことについての今の自分の気持ちを自分の生い立ち(震災以降の)共にコメントとして書かなければならなかった。そして、記者発表のときに話す原稿も作らないといけなかった。

初めて、その1.17希望の灯りという存在を知ってから記者発表までの間は、わずか10日しかなかった。「希望の灯り」のことも、そのモニュメントのことも、今回の計画の経緯も全く知らない白紙の状態だったので、パソコンで検索していろんな情報を得た。堀内さんがどんなかたかもわからず記者発表をするという神戸市役所がどんなところもわからない不安だらけの記者発表・・・。とりあえず、堀内さんに直接お会いして一度お話させてくださいとおねがいした。記者発表の2日前に神戸市役所でお会いすることになった。

ゆっくりとお話させていただいて、みなさんとお昼ごはんもご一緒させていただいて不安が少しだけ軽くなった。


1月29日、記者発表の日、優ちゃんもその場に行きたいといった。記者発表は、3時から神戸市役所で。その時間にそこに行こうと思ったら学校を早引きさせないといけない。1月17日も学校を休ませたばかりでちょっと抵抗があったけれど、堀内さんの「社会勉強だよ」という言葉を聞いてそうだなって思った。学校では、教わることができないことだから。私がこれから頑張っていこうと決めた仕事がどんなものかを自分の目で見て理解するにはすごくいい機会だと思った。4時間目が終わって一緒に神戸市役所に向かった。

少し早めについたので、事務局のある部屋で待機していた。いよいよ時間になり一緒に記者発表をする人たちと記者クラブというところに移動した。私は、将君の写真を持って行っていたので私の横にその写真をおいた。最初に、堀内さんが経緯を説明し、次に市役所の人がコメントした。そして、妹を亡くした人が気持ちを伝え私の番がきた。目の前には、記者の方が並んでいたし、テレビカメラも何台かあった・・・。コメントを用意していたものの、それを読む練習を一切していなかったので、思ったまま話していった。さすがに、あんな場所で話すことがないのですごく緊張した。

そのあと、質問コーナーがあり、それに答えて無事終わった。約45分ぐらいだったかな?その後、市役所の南隣にあるモニュメントに移動して撮影会があった(笑)将君の写真をわざとらしく持ち歩いている私の姿・・・。今回の件について、協力させてもらうにあたって『広報活動』と割り切っている部分があるので、そのわざとらしさも許すことにした(笑)。

心情的なものをつくるのは許せないけれど、それ以外のことについては、ほとんど気にならない私でした。

翌日の産経新聞・毎日新聞・神戸新聞・朝日新聞、翌々日の読売新聞、サンテレビと関西テレビ(?)で紹介されたようです。テレビに関しては、友達は見たと教えてくれたけれど私は確認することができなかったす。


命日が過ぎてからから、今日までの約20日間はこんな感じで忙しかった。

いろんな思いがあって、いろんな人に色々言いたいこともあるけど、こうやって生きていくための目標になるかもしれない出会いがあってそちらに気持ちが持っていけそうなので良かった♪


その後、あるテレビ局の方から連絡が来た。今回の件について、私がいろんな人にお知らせしているところを取材させてくださいと・・・。放送予定日は、2月20日朝関西ローカルです。詳しくは、はっきりしてからお知らせします。来週後半に取材があるのでそれまでは、ちょっと気分的に忙しいかな?


2003年2月7日
久々の日記・・・
今日、朝、ショックなことがあった。ひとことで言えば、「信じてたのに・・・(涙)」です。信じていたから頑張ってこれたしその信じる気持ちを頑張っていく力にしていたから、ショックは大きかった。

でも、これで本当に気持ちの整理がつきそうです。長かったけどね。色々迷っていたけどこれで迷うことなく前を向いて生きていけそう(^o^)自分の信じる道を歩いていこうと思います。また少し強くなったかなぁ・・・?(笑)こうやってママは、また強くなるのでした。

そういえば、パパがゆうちゃんに話してた。昔はママは、かわいかったんだよ(性格)って・・・。それだけ、私は強くなったと思う。結婚して17年、色々あったからね。「奥さんは強し」じゃなく、あくまでも
 『母は、強し』 だからね・・・(^o^)