●ママの気持ち(日記から)
こんな感じでいつも抱っこしていましたv(^o^)


イラスト by すずらん さん
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震災から8年目
2002年1月17日から2003年1月16日まで




2002年 9月

2002年9月30日
もう、9月が終わってしまった。(今、AM0:30)今月は、まじめに日記を更新した自分をほめてあげよう(^o^)

今月も、初めての方が、何人かがメールを下さったり掲示板にカキコしてくださったり・・・。そして、素敵なメッセージをくださいました。そんな時、いつも思います。HPを開設してよかった、って。

今では、とっても仲良くなったみんなも一番最初は、『始めましてのメール』だったり、『掲示板へのカキコ』だったり・・・。最初は、緊張してのお話(お返事)だったけど、今では、色々アホなこと話したりして楽しんでいる。私にとって、HPは一つの出会いの場です。

そして、みんなにいろんな事を教えてもらっている。落ち込んだ時には、元気をくれたり一緒に考えてくれたり・・・。ホント、いつもいつも感謝しています。

やさしさいっぱいのみんなの中で、たくさん元気をもらって、次ぎ歩き出す力を蓄えています。ネットだけでしかお話できないけど、いつかいつか機会を作って会いたいな。きっとね、会ったことないのに、ずっと昔からの友達みたいに色んな事、話せると思うよ。

みんな、これからもよろしくね。

最後になっちゃったけど、掲示板のレス、おさぼりしていてごめんなさい。もうしばらくできないかもしれません。早く、家をきれいにして、落ち着いてパソコンができる日が来るといいな。って、今でも十分パソコンやっているけど・・・(^^ゞ


2002年9月29日
今日は、テレビで秋のアニメの特番をやっていた。その中で、『アルプスの少女ハイジ』の中で、病気で立つことができないクララが始めて一人で立てたというシーンが出てきた。

いくら練習をしても立つことができない、私の足はもう立つことができないと泣き崩れるクララに、ハイジが怒った。「立てる足を持っているのに立とうとしていない、甘えている!」って・・・ハイジは、クララを突き放してしまうシーン。

クララは、そんなハイジの言葉にショックを受けるが、結果的に一人で立つ事ができた。それを見たハイジは、心からそれを喜んでいた。

やさしさだけは、前に進めない、厳しさがあるからもう一歩、前に進む事ができるという事も改めて知った。厳しい言葉の中に隠れている何かもみつけて生きて行きたいな。その何かは、きっときっと大きな意味のある大切なもののような気がするから・・・。

最近、連絡をとってないみんなぁ\(^o^)/元気にしている?遠くて会えない人もいるけど、またメール送るね。きっと、いつか会って話せる日が来る事を祈って・・・。


2002年9月28日
今日は、大阪に出かけてきた。この間、大阪にいったときにブーツをはいている人を何人か見かけたので、私もブーツを履いてみた(^o^)

でも、今日に限って?なんか蒸し暑くて・・・、ブーツ暑かった(^^;)ふくらはぎダイエットに丁度よかったかな(笑)

今、衣替えの真っ最中。ついでにいらない服も処分して整理もしようと思っている。そう思うと、部屋中洋服や、その他小物でいっぱいになってしまった。いつになったらきれいに片付くんだろうとちょっと気が重い。でも、この機会に色んなものを処分してすっきりした家にしようっと(^o^)

短いけど、今日はこの辺で・・・さあ、お片づけがんばろうっとd=(^o^)=b


2002年9月27日
今日、コンビニで買い物をしたら『巨人優勝記念ピンバッチ』をくれた…。1000円以上買ったらプレゼントしてくれるらしい。でも、阪神ファンの私としては、「(-。-;)・・・・」だった。「阪神の地元でそんなもん配るなよな!」っていうのが、私の感想でした。優勝した時から配っているって事は、優勝する前から作っていたんだよね(当たり前だけど)、なんて思ったら気分悪かったなぁ。もらって怒る人もいただろうな…。そういえば、渡してくれたおにいさんも、ちょっと遠慮がちだった(笑)
あまり、書くと悔しいからって、言われそうだからやめとこ…。

今日も、優ちゃんのお友達が遊びに来てくれた。優ちゃんの大好きなお友達。パパとお友達を天秤にかけた時にパパが負けてしまったの(笑)ついこの間まで、お友達よりもパパが好きだったのにね。パパもきっと寂しいだろうな。そのお友達がくると必ず2階の自分の部屋にこもって「リカちゃん」で二人何やらやっている。大騒ぎするわけでもなく、でもすごく楽しいみたいでずっと降りてこない。私が、部屋に入ろうとすると、「入ってこないで」と言われてしまう。いつかそんな日が来るとは思っていたけどね。

二人だけの世界で遊んでいる。きっと、大きくなった時に子供の頃の思い出話をする時には、その二人にとって「リカちゃん」の思い出は大きいだろうな。

友達のことでもう一つ・・・。これぐらいの子って、お友達と約束をダブルブッキングしてしまうことが多々ある(^^;)約束したことを忘れてしまうんだろうか?これは、年齢的なものか、性格的なものか…。ダブルブッキングして、遊べなかったお友達、ごめんなさい。


2002年9月25日
気がつけば、9月もあとわずか・・・。夏休みが終わってから、あっという間だったような、夏休みがずっと昔だったような・・・。ついこの間まで、あんなに暑かったのにすっかり秋らしくなってきた。

今日は、ひさびさに大阪にお買い物に行ってきた。パパの洋服を買いにいったのに、気がつけば自分の洋服もてに持っていた(笑)だって、ニットが695円だったんだよ。白と黒の2種類とジャケットを買ってしまった。

今日、昔の友達と久々に電話で話した。3時間半も長距離電話をしてしまった。でも、楽しかった。それぞれ色んな悩みがあってでも頑張っている。御互い頑張ろうね。友達っていいなって感じられた3時間半でした♪

私は友達を大切にしたいな。私にとって友達ってとっても重要な存在です。今まで、たくさんの友達に支えられてきたし、元気をもらってきた。それと同じように友達にとって支えになってあげれたらいいと思うし、元気を分けてあげれたらいいなって思ってる。

ゆうちゃんが、学校で「私の宝物」を発表したらしい。ゆうちゃんの宝物は、『家族と友達』だって。ゆうちゃんには大好きな大好きなお友達がいる。学校から帰ってきて毎日、そのお友達の話をしてくれる。そんな時のゆうちゃんはとってもうれしそう。ゆうちゃんもきっとそのお友達からたくさん元気をもらっているんだろうな。そんなゆうちゃんのお友達へ一言。

『いつも遊んでくれてありがとう。これからもずっと仲良くしてやってね。』



2002年9月23日
今日は、3連休の最終日・・・六甲山カンツリーハウスに行こうと思ったら、途中で渋滞・・・このままじゃ、現地についてもきっと混んでいるだろうと、急きょ予定を変更して戻ってきた。パパのパソコンを『AIR-H"』接続で使えるようにした。いつでもどこでもPCが使えるでしょ(^o^)その接続がちょっとややこしくてややこしいことが嫌いなパパは、何度やってもうまく接続できなくてお手上げ状態・・・。ゆっくりやればできるんだろうけど、いやだと思ったらイライラしてできなくなってしまう性格。仕方ないので、私と交代。私はすぐに人に聞いてしまうタイプ。すぐにサポートセンターに電話してやり方を教えてもらう人なんです。今回もサポートセンターに電話して、めでたくつながった(^▽^)v先週からの宿題をやっと終えた気分です。

夕方からは、パソコン屋さんに行ってきた。今私がすごく興味のあるASDLの体験コーナーがあったので、早速使ってみた。速さを比べるためにいつも開いているうちのHPを開いてみた。画像の読み込みがすごく早かった。んー、やっぱADSLに変えようかな?でも、きっと色んな設定を変えないといけないんだろうな。それがめんどくさい。パパは、キットやってくれないだろうから。

ADSL体験コーナーのパソコンの「お気に入り」にに、うちのHPを入れてしまった(^^;)ここだけの話・・・。もし、そのパソコンからこのHPを見た人がいたらどこのお店のパソコンか掲示板でいいから書いてね。って、そんな人いないかぁ・・・(笑)

♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:*:・''゜♪。.:* ♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:

HPのリニューアルのため少しずつ整理し始めてるけど、やりだすと思ってたように簡単にはできそうにない。量の多さもあるけど、精神的に結構辛くなることを忘れてた(笑)文章読んだり、写真を見たり・・・。最近は、日記以外の更新をやってなかったので忘れてた・・・(^^;)
書くことですっきりすることもあるけど、それは自分の気持ちを吐き出す場合かな?しょうくんのことを書き出すとやっぱり平常心ではいられなくなってしまう。本当に色んな気持ちがグルグル回っている。基本は、『頑張って生きていこう』だから辛くなっても気持ちをそっちに持っていこうとしている私。
でも、気持ちがなかなか素直にそっちに向いてくれなくて・・・(苦笑)
でも、でも 頑張ろうとしている・・・。


明日は、午前中急にお客さんがこられることになった。この散らかっている部屋どう片付けよう(;^_^A   今から片付けてから寝ようっと。



2002年9月22日
今日は、子供の運動会だった。総合的学習になり、授業数がかなり減ったの影響?か、運動会の練習にあてすぎると、勉強をする時間が確保できないようで、運動会もかなり縮小されていた。子供たちの出番もリレーと綱引きだけ・・・。リズム運動は、優ちゃんの学年はなかった。綱引きもあっという間に終わって寂しい運動会だった。これは、私だけの意見じゃなくいろんな人が言っていた。もう少し、考えてほしかったな。
運動会の愚痴はここまでにして・・・

今日は、運動会で久々に色んな人に会った。最近、ほとんど外に出てないから人に会う事もあんまりない。結構、家にこもっている生活をしている。でも、今の私は、ぜんぜん苦にならない。

最近、気持ちがゆらゆら動いて、なんだか落ち着かない。自分でもどうしたらいいのかわからない。いっぱいいっぱい色んなこと考えているんだけど、答えが出ない。いつも両極端の気持ちが行ったりきたり・・・。

きっと、しばらくこの状態は続くだろうな。ん・・・、頑張っているんだけどね。
これっていつかは、解決するのかなぁ・・・。ずっとこのままかなぁ?思わず、SMAPの『夜空ノムコウ』を思い出しちゃった。大好きな歌で、今年の1月にHPで使っていたんだけど、前向きなようでそうでないような・・・(笑)。



『あれからぼくたちは何かをしんじてこれたかなぁ・・・
マドをそっとあけてみる冬の風のにおいがした
悲しみっていつかは消えてしまうものなのかなぁ・・・
ため息は少しだけ白く残って消えた

中略

あのころの未来に僕らはたっているのかなぁ・・・
すべてが思うほどうまくはいかないみたいだ
このままどこまでも日々は続いていくのかな・・・
雲のない星空がマドのむこうに続いている
あれから、僕らは何かをしんじてこれたかなぁ・・・
夜空の向こうはもう明日が待っている・・・』

夜空ノムコウの一節です。

明日が待っているのはわかるけど・・・ホントこの通りです。いったいどんな明日が待っているんでしょう?ぐちゃぐちゃに絡まった糸を一本ずつほぐして行っています。すべての糸の絡まりをとったときにどんな風になっているのかな?一本の糸が切れずに取り出せるのかな?それとも、ぶちぶちに切れていてもう、つなげることができないのかな?

一本の長い糸が切れずに絡まりをほぐせることを祈っている私です。そう信じていると、きっとつながった長い糸をみることができるよね。心の傷は消えることはないけど、キット埋めることはできるよね。


かわいいでしょ(親ばかだけど・・・)こんな子が一人死んじゃったんだものね
でも、すごく頑張ってきたし、これからも頑張って生きて行こうと思っているからね。

今日は、すごく涼しい一日だった。すっかり秋。暑さ寒さも彼岸まで・・・。ってよく言ったものだと思った。そういえば、今は、お彼岸の真っ最中なのかな?この間のつき命日の時のお経もいつもとは違っていたし・・・。でも、お墓を持ってない我が家にとって、お彼岸ってなんだか、ピンとこない。みんなキットお墓参りするんだろうな。


今、HPのリニューアルを計画中で、今日どんなページがあるのかピックアップ整理してみた。まだ、すべてじゃないけどね。それを1ページずつチェックして古いままリンクされているもを訂正して・・・、文章を整理して・・・。新しく、書き足して・・・。目標は、来年の1月17日・・・。ちょっと、暗い日記になったけど、元気だからね。大丈夫(^o^)

今週は、予定が色々入ってる。今度、パパの洋服を見に大阪まで出かけてこよう。久々の大阪・・・。20日ぶりかな?

SMAPの追加公演のチケットは、落選したからお金が戻ってくる(^o^)なんかうれしい。それにしてもSMAPって、FCでもチケットが取れないって聞いていたけどやっぱりそうなんだ・・・。


2002年9月21日
この間、久々に短大の時の友達と連絡をとってから、今度、関西にいるメンバーだけで同窓会をすることになった。今日、メンバーの一人から連絡があった。これまた、3年半ぶりかなぁ・・・。

同じ関西に住んでいるんだから、その気になったらもっと会えたのにとちょっと反省・・・。子供もみんな大きいしね。

その友達って、めちゃくちゃ面白い。その友達に限らず短大の時の友達はみんな楽しい子ばっかりだった。私が一番大人しかったかな?(そうだよね、みんな・・・同意を求める)今日も、またまた電話で盛りがった。会うのは何年ぶりかな?関東に住んでいる友達と会えないのは残念だけど今度みんなで会えるといいね。

いつもいつも連絡をとっていたわけじゃない。年賀状のやり取り+忘れた頃の電話など、ほとんど連絡をとってなかったけど、いつも頭の中にはどうしているかなって思ってた。

将君のことがあった時に、わざわざ新幹線に乗って山口まで会いに来てくれた友達、あの時に自分のご両親の体験を話してくれたこと忘れない。震災のすぐ後、お葬式の日に、テレビで将君の名前を見たといって、パパの会社の連絡先を調べて会社に電話して、私たちが非難している場所の電話番号を聞いてくれて、電話のつながりにくい中、連絡をくれた友達。自分のいとこも震災で亡くなったと連絡をくれたり素敵な本があるんだよとわざわざ送ってくれた友達・・・。そして、電話をくれたり、お手紙を書いてくれたりしてきてくれた友達・・・。いつもいつも気にかけてくれていたよね。
私は、なかなか返事やお礼をいう気力がなかったから、そのままになっていた。

3年半前、ココに引越ししてきた時にもみんなで会おうという話がでた。でも、私自身が将君を亡くした悲しみをまだまだ引きずっていてどんな顔してあったらいいのか、みんなと楽しい話題ができるか自信がなくて結局その話は消えてしまった。

でも、今回は、そんな心配が全然ない。あった瞬間に、きっと色んな話で盛り上がるだろうな。普段、ほとんど愚痴を言わない私も、きっとたくさん言ってしまうだろうな。笑いながらね(^o^)

それぐらい私の中でいろんな事が変わった。それは、ここに来ていろんな友達ができて自分を変えることできたから・・・

たくさんの友達がいて、それぞれに感謝の気持ちがたくさんたくさんある。一度にはかけないから今回は、短大の時の友達に限らせてもらいました。

友達って、100%自分と同じじゃないけど、それがまたいいんだよね。刺激になったり自分を変えるきっかけになったり・・・。

短大の時に比べて、元気でアホになった私。きっとみんなびっくりするかな?あの頃は、友達としゃべるのも苦手な方だったから・・・3人以上いたら自分から話すよりも聞き役に回っていたから・・・。

早くみんなに会いたいな♪

みんなと学校で毎日会っていたあの時からもう○年以上たったね。みんな変わってしまったかなぁ?会ってわかるかな、心配(笑)うそうそ、絶対わかるよね。


2002年9月18日 なんと! その3(笑)
今、震災を記録する会への手記を書いています。
原稿用紙に5枚ほど・・・。

そんなに短くまとめられるわけないやん!と
思いながらも書き始めた。
一通り書いてそれで要らない部分を削っていこうかな?
気がつくと、もう4枚分書いてしまった。
頭は震災モード・・・
眉間にしわ寄せながら書いてます。

将君のこと、ちゃんと残さないと
そういう思いで頑張っています。
辛いけど、それが私の役目。



2002年9月18日その2
今日、昔の友達から手紙が届いた。偶然、昨日パパとその子のことについて話してたのでびっくりした。久しぶりだったので電話してみた。しゃべったのは3年半ぶりぐらいかなぁ?もう、10年以上あってない。でも、その空白は感じなかった。
いろんな事を話した。同じようなことで悩んでた(笑)辛いことなのに、なんだかほっとして安心して笑ってしまった。
この辛さは、長引くよって言ってた。友達っていいね。離れていてもいつも気にかけてくれているし空白の時間を一瞬に埋めてくれた。きっと、本当の友達ってそんなもんなんだろうな。

あの時のみんなに会ってみたいな。同窓会する予定を立ててみようかな。キットたくさん元気もらえるだろうな。きっと、時を越えてみんなあの頃に戻れるだろうな。
お仕事頑張ってね、○○ちゃん (o^-')b


2002年9月18日その2
音楽を変えてみました。桑田佳祐の『波乗りジョニー』
真夏の音楽で、季節外れなんだけど、この音楽を聞いていると元気になるの、踊りたくなっちゃう(笑)
だから、秋らしくなった今日にあえてこの曲を使いました。

昨日、北朝鮮拉致問題で、行方不明になっていた方たちの安否がわかった。今朝から、ワイドショーで、家族の方たちの思いを伝えていた。その中のお一人、亡くなったとされている方のお母さんの言葉です。

『私たちは、この二十数年間、本当に辛い日々を送ってきた。そして頑張ってきた。元気でいようとしていないと、生きていけないぐらい辛い日々だった。そんな中で、泣きたいのも我慢して本当に踏ん張って元気でいようとしてきた。そうしないと生きていけなかった』そのことばが、本当に身にしみてきた。
どんなに辛くても、絶対明日は来る・・・。時間は止まってはくれない。だから時間とともに生きていくしかない。その生き方が大切だよね。

だから、今日の曲は、元気が出るために『波乗りジョニー』(o^-')b
そして、この壁紙、いただいたお花を撮って作ってみました(^o^)


2002年9月17日
今日は、月命日だった。

朝から家を片付けた・・・。改めて、家の中のものを捨てて模様替えをしたくなった。ものを捨てるのって思い切りがいるよね。何も考えず捨てれる人ってすごい。

私なんて、捨てようと思っても、これはいついつ買ったもので、こんな思い出がある。なんて考えちゃうからね。ますます捨てれなくなる。その物も、『捨てないでまだまだ頑張るから・・・』っていう目で私を見てる。(どこに目があるねん?!笑)しばらく、家がすっきりしそうにないね。

そうそう、昨日、ブーツを買いに行ってきた。買ったのはいいけど、まだちょっと早すぎた・・・。結局、まだサンダル履いて出かけてます(^^;)


2002年9月15日
今日は、六甲山のフィールドアスレチックに行ってきた。隣接しているカンツリーハウスには、よく行くけれど、アスレチックに家族で行くのは初めて。丸太の上をあるいたりロープをつかんで移動したり・・・全部で40種のアスレチックがある。幼稚園の年中まで、滑り台の上まで上がれなかったぐらい怖がりだったゆうちゃん・・・。怖い怖いと連発しながらも高いところに登ったり、大人でも、怖いと感じるようなものなど、ほとんどのものを頑張ってすることができた。成長したね、とパパと感動してた(^o^)

その後、優ちゃんの大好きな魚釣りをした。今日の六甲山は、すごく寒くて、長袖の上に上着を着ていても、震えるぐらい寒かった。気温は19度だった・・・。
もう、秋なんだね。また、コートを着て寒い寒いと大騒ぎする季節が近いんだなて思わせるような一日でした。明日は、筋肉痛になるかなぁ?・・・

♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:*:・''゜♪。.:* ♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:

毎年、10月ごろに思う。「あ、まだサンダルはいてる」って・・・(笑)。
思わず周りの人の靴を見る。サンダルの人を見つけるとなんだか安心する。

9月も半分が過ぎたので、そろそろサンダルをやめて、秋のよそおいにしようかな?今年は、ブーツでも買っておしゃれしてみようかなって思った。 


2002年9月14日
9月11日に某テレビ局で放送された「ハモネプ3全国大会」を見た。仲間が集まって、自分たちだけの声で、楽器の音を出して歌っていた。
その、優勝者の発表を見たときに、思った。みんな一つの目的に向かって、力をあわせて練習してきて、結果はどうであれ、それをみんなでやり遂げたという気持ち、仲間で一緒に感動できるって、本当に素敵だと思う。

大人になって(学校を卒業して)あんなに、一つの目的に向かって、友達と一緒に動いたことがあったかなって・・・。青春の真っ只中にいるようで、うらやましかった。一人で、頑張って感動することは今でもできるけど、友達と同じ目的に向かって全勢力を傾けることってできないだろうな。

友達と呼べる人は、すごくたくさんいるけど、今の私には、一緒に感動を得られる何かを一緒にできる友達がいない。特に何もやってないから・・・。せいぜい、町内対抗のバレーボール大会ぐらいかなぁ・・・(笑)。これから、また友達と同じ目的を持って感動できるものを探したいなと思った。

今日は、パパがウィンドサーフィンをするというので、ついていった。ウィンドサーフィンは、子供ができる前からずっとやっていた。なかなか、子供ができなかった私たちにとって、子供づれで来ている家族はとってもうらやましかった。お父さんのボードの後ろに子供がちょこんと乗っている姿はなんとも言えず、かわいかった。

二人が生まれたときに、その夢がかなうと思った。この夏、優ちゃんは、初めてパパのボードの後ろに乗った。といっても、海岸沿いをパパに引っ張ってもらっただけだけど・・・。その姿を見て思った。将君にもパパのボードの後ろに乗せてあげたかったなって。

この間、スーパーで双子を見つけた優ちゃんが私に、ボソッと言った。
「ママ、双子ってうらやましいね」って。私のほうが、どこに双子がいるの?という感じで「え?」というと、「ママ、あそこ、双子でしょ?」って教えてくれました。優ちゃんの中にも、やっぱり将君を感じる部分があるんだと、なんだかうれしかった。

おーい、将君、帰ってきて!!それが、ママの願いです。

自分が生んだ子供たちの成長を自分の目で見ながら子育てできる人、本当に幸せそうです・・・。
将君が、亡くなって7年半以上たって、元気でいることがふつうになっている。でも、大切な子供にいろんなことを経験させてあげれないし、子供の成長を見ることもできない。その辛さって、言葉では、言い表せない。

でも、元気でいようと思う自分、頑張ろうとしている自分・・・。たくさん頑張っているんだよ、泣かない様にしているんだよ。でも、時々悲しくなるの。楽しいことをしている時、笑っているときに、将君にいてほしいと思う気持ちが私の中に沸いてくる。それまでは、考えてないけど、楽しいときに一緒にこの楽しい時間を過ごしたかったと思う。
でも、それを言葉に出すことができないでいる。暗い私を出すことはもうしちゃいけない?将君のことを思って落ち込んじゃいけない?元気でいなくちゃいけない?今まで私の悲しい部分をたくさん出してしまった人達、ごめんなさい。私の中で、将君のことを話せる人は本当に少ない。私にとって、将君の話ができる人って、特別なんだ。でも、それでいやな思いをさせてしまったこともたくさんあると思う。

もし、いやじゃなかったら、これからも友達でいてね。たくさん、たくさん頑張るから、たくさんたくさん笑えるように頑張るから・・・一緒に楽しい時間を過ごしてね。

明日は、フィールドアスレチックに行く予定・・・。こんな時間まで起きていて明日、朝おきれるかなぁ・・・(AM1時55分)


2002年9月12日
今日は、ニュースでNYテロの追悼式典の様子がたくさん流れていた。
その中に「永遠の火」をともす場面があった。それを見たときに、広島の原爆慰霊碑でともされている「平和の火」の映像を思い出した。

平和のためにテロとたたかうという意味のことを演説で言っていたらしい。昔から、戦争という戦いで、本当にたくさんの人が犠牲になっている。ふつうに生きている人たちが、国と国との争いで、命を落とすことになることだけは、どうしても納得がいかない。

犠牲者の家族の一人が言っていたそうです。テロをなくすための対策のために時間と労力などを使う前に、いまだ身元が判明していない人たちの身元を判明させてほしいと・・・。犠牲になった方たちの家族にとって、それが一番の願いだと思う。

震災についてもそうだった、追悼式典の市長さんの挨拶は、犠牲者の追悼というものではなく、街の復興が中心だった。それがいけないとういうわけじゃないけど、それを訴えるのには場所が違うんじゃないかと思った。もっと、家族を亡くした人達の、気持ちをくんだ挨拶であってほしかった。

今年の1月17日に震災の起きた時間に、神戸の追悼式のある場所にいた。たくさんのろうそくがともされたくさんの人が集まっていた。午前5時46分黙祷をして、その時間をすごした。沈黙の時間・・・。言葉はいらない、それぞれの人がそれぞれの思いを抱いて涙した。追悼ってそんなもんだと思う。だから、追悼式典には、たくさんの言葉はいらない。

テロという、憎しむ相手がいる家族の死というのは、私には、想像もつかないぐらい、辛いことだと思う。喪失の悲しみだけでも苦しいのに、そこに憎しみが加わると、精神的に参ってしまうんじゃないでしょうか。

これ以上、平和に暮らしているたくさんの命が失われることだけは、避けてほしいと思います。


テロ関係のニュースを見ているとどうも震災と重ねてしまう。犠牲者の家族が映っていると、気がつくと自分は、テレビの中のその家族の中に混じってしまっている。まるで、当時の自分を見ているよう。


2002年9月11日
一年前の今日、9月11日NYでテロがあった。ニュースでアナウンサーが言った「もう、一年経ったんですね」って。私は、思った「もう一年、じゃなくてまだ一年なんだ」って・・・。犠牲になった方たちの家族や友人知人にとって、大切な人のいなくなった、時間は、まだ一年が過ぎただけ、来年も再来年もそのまた次も次も・・・、ずっとその人のいない生活が続く。私は、一年経ったときに、思った。長〜い階段をやっと一段登れたって。でも、目の前には、登りきれそうにない急な階段が、果てしなく続いていた。その前に立った時に感じた、この階段を登り続ける気力をうせてしまうほどの長い急な階段、これを登りきれるんだろうかって。でも、将君を失ってすぐには、そんな階段を登らないといけないこともわからなかったし。階段さえも見えなかった。まだまだ、一日一日を生きているのが精一杯だった。

人間って、なぜか、一年経つと、もう元気になる頃だと思うみたい。でも、一年が過ぎても何も変わらない。ただ、日にちが変わるだけ。

ある人に、聞かれたことがある。その日付の区切りが元気になる前を向く区切りじゃないんだったら、どんなときがその区切りになるの?って。
区切りは、人それぞれにあると思う。自分の中で区切りをつけるときもあるし、あとになって振り返ってみて、あのときから自分が変わったんだってわかることもある。たいていは、振り返ったときにその区切りがわかる。これは、大切な人を亡くした人だけがあてはまるわけじゃない。人間、きっとみんなそうなんだと思う。
しいて言えば、私の場合は、辛いことがあって、落ち込んだその後に、区切りがあるのかもしれない。落ち込んだきもちから起き上がるにはすごく強い力が必要。その強い力を作るために、いろんなことを悩んでその中から、何かを見つけて感じていく。それを力にしえおきがっていく。それが、時には、友達のちょっとした優しさのときもある。そうやって、起き上がったときには、昨日までの自分より、ちょっとだけ前を向いて歩き出している。私にとっての区切りはそんな日だったりする。


<ゲームボーイ報告(不定期便)>

今日は、早い段階で、優ちゃんが言った。「今日は、ゲームボーイするのあきらめるよ。」最近、ゲームボーイのために、色々頑張っていて疲れたのかな?一応、学校の宿題と塾の宿題とお片付けをして、だらだらと絵を書いていた。でも、寝る前に「ママ、トロッコって知っている?」って聞いてきた。どうも、ゲームの中に出てくるらしい。そのあと、長々と、内容について真剣に話してくれた。ゲームは、やらなかったけど、頭中ゲームボーイだらけでした(笑)


2002年9月10日その2
音楽・・・
音楽って、なんか不思議。同じ曲なのに、すごく幸せと感じるぐらい楽しくさせてくれるし、どん底に落ちるぐらい不幸な気持ちにもしてしまう。「おかあさんといっしょ」の中で歌われている「アップルパイひとつ」という歌がある。震災のちょっと前から毎日のようにテレビで流れていて、二人を前にしていつも踊りながらその歌を歌っていた。二人ともこの歌が大好きで、毎日笑って過ごしていた。震災後、ずっと「おかあさんといっしょ」が見れなかった。2ヶ月ぐらいして、優ちゃんのために、「おかさんといっしょ」を見ることにした。あの時歌った、「アップルパイひとつ」が流れてきた。一瞬にして、涙が流れ出た。その後、私は、また、しばらく、「おかあさんといっしょ」を見れなくなってしまった。
私は、その歌を聴くと一瞬にして、あの楽しかった時間に引き戻されてしまう。でも、あの時、あんなに辛くて聞けなかった歌を、今は懐かしい思い出として聞くことができるようになった。もちろん、私の気持ちの持ちようで、悲しみの中に戻ることもできるかもしれない。でも、楽しかった思い出は、時間とともに、再び私の中の楽しい思い出として心の中に残ってくれた。



2002年9月10日その1
今日は、学校のPTAの学校対抗バレーボール大会があった。メンバーのほとんどは、バレー部だけあって、すごい試合を見せてもらった。コートの中と外、試合をやっている人たちと応援している人たち一体になった気がした。もちろんど素人の私は応援組・・・、でも、楽しかった。このバレーボールチームは、夏休み前から、この大会までの期間限定のチーム。始めは、ほとんど知らない人ばっかりだったけれど、今日が終わってみると、気がつけばみんなお友達になっていた。私にとって新しい出会いかな?学年に関係ない出会いって、ほとんどないから、なんだかとってもうれしかった。しっかり打ち上げの話もでて、またみんなでいろんな話ができるのを楽しみにしています。 みんな、ありがとうね。


<ゲームボーイ報告(不定期便)>

今日も、優ちゃんはゲームボーイのために、勉強とお片づけを頑張りました。そして、約束の30分には、タイマーが終わる前に、自分から電源を切りました。わが子ながら、ちょっと見直したよ(o^-')b   この調子で、頑張れば、サンタさんが、ゲームボーイのソフトをプレゼントしてくれるかもね♪


2002年9月9日
今日、テレビで去年の9月11日に起こったNYのテロに関するニュースを見た。あのテロは、本当にショックだった。震災を思わせるようなビルの崩壊の映像を見たときに胸が苦しくなった。あのビルには、多くの人がいた。そして、いまだに行方不明のままの人もいるという。たくさん犠牲者の方、一人一人の家族の1年があっただろう。家族を亡くしたり、辛いことを経験した人に人は頑張ってという。いつまでも悲しんでいないで前を向いてと励ましてくれる。でも、人には、それぞれの悲しみの過程がある。同じ経験をしてもまったく別の過程です。

戦争や災害、事件、事故、病気・・・たくさんの死がある。遺された人たちは、その人のペースで頑張っている。一緒に手をつないで歩いてくれる友達が必要だと思う。それは、大変なことです。以前、子供の心のケアをしているある人に、私が、自分が心を許して何でも話せる友達ができたと伝えたことがあった。その人は言った「危険です。あなたの悲しみをすべて支えるには、すごい力がいるから。普通の人には、無理があります、」と。だから、専門家の治療をきちんと受けたほうがいいと言われた。

友達にたくさん元気をもらって、前を見れるようになったけど、悲しみが消えたわけじゃない。将君がいなくなった穴がうめられたわけじゃない。その穴にそっとふたをしているだけ、だから時々、その穴の上にたってしまったときにふたが壊れて穴に落ちてしまう。まるで落とし穴のように・・・

落ちてしまったときの自分を知っているから、落ちないように頑張ってる。その穴に近づかないように頑張っている。でも、時々、自分からその穴に近づきたくなる。そして、ふたを取ってその穴を覗いてみる。以前、たくさん苦しんで泣いて頑張ってその穴から這い出してきた自分の姿が見える。そして、安心する。私は、この穴に落ちても大丈夫。あのとき、みんなに助けられながらここから出てきたという自信が湧いてくる。

そのときに、手を貸してくれた友達に、きちんとお礼を言ってないけれど、いつも感謝している。こんな私のそばに居てくれたということ。遠くに居ても私のことを気にかけてくれているということ。ちゃんとわかっている。いつか、会ったときにちゃんとお礼を言わなくちゃって思っている。

NYのテロで家族や友人を亡くした方のそばにも、私のそばにいてくれた友人のようにそっと、支えてくれる人がいてくれることを祈って・・・

犠牲者すべてのかたの、ご冥福をお祈りいたします。


2002年9月8日
今日は、松浦亜弥のコンサートに行ってきた。特にすごいファンではないけど、チケットが手に入ったので・・・。16才という若さの彼女は、たった一人のコンサートにあれだけのファンの人が集まるだけあって、本当に輝いていた。
私に彼女ぐらいの年の子供がいてもおかしくないので、どうしても彼女を見ていると子供と同じ目線で見てしまう。優ちゃんにも、あんな風に輝いて好きなことができる人生を送ってほしいと思った。芸能界っていうことじゃなくてね。もちろん自分自身も、「もう○才だからあんなふうに輝けないわ(T.T)」じゃなくて、自分の年にあった輝き方をしたいと思った。ん・・・、自分の年よりも10歳以上、若い感覚で輝きたいな・・・。

辛いことがあって、ちょっと無理している自分もあるけど、きっと、無理していてもそういう生活をしているうちに、少しずつ自分でも気がつかないぐらいちょっとづつだけど、前に進めるような気がしています。

落ち込むことは、いけないことじゃない。悲しいときは、体全部で悲しんでその中にいてもいいと思っています。それが、自分の自然な姿だから。でも、絶対忘れちゃいけないこと、悲しむのは、悲しみを消化するためだということ逆戻りするためじゃないって事。悲しんでその悲しみからも何かを見つけるために悲しんで苦しんで・・・そして、また歩き出すための何かを見つけるために・・・。

私は、そうやっていろんなことを考えて見つけてきました。本当に悲しんだこともたくさんあるし、周りの人と会いたくないって思ったことも何度もあります。でも、いろんなことを感じてこれて、今の私がいます。悲しむことも落ち込むことも、次の笑顔を作るために必要なこと。絶対そう思っています。


今日、優ちゃんの学校の宿題に音読(声を出して読むこと)がありました。

金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」です。

私にできないことをあなたはできる。でも、あなたにできないことを私ができる。みんなそれぞれだけど、みんないいね。という内容の短い詩です。

私の周りにもいろんな友達がいます。ほんと、みんな元気で楽しくて個性的で(笑)みんな、私と一緒じゃないのに、一緒にいるだけですごく楽しいの。たくさん元気をもらっています。


2002年9月7日
今日も、いろんなことをした一日だった。お昼は、お庭で毎週恒例?のバーベキューをした。その後、ゆうちゃんは、塾へ。私は、来週あるバレーボール大会の練習へ・・・。学校の体育館って何であんなに暑いんだろう。ダイエットしている私には、いい汗かいたっていう感じだったけど(爆)でも、突き指をした。腫れて今もジンジンと痛い(T.T)。右手の親指の付け根で結構、生活に支障が出てる。

その後、試合の打ち合わせをして帰ってきて、20分の間にシャワーを浴びてすぐに優ちゃんの塾のお迎えに・・・

今日は、優ちゃんにとって、願いがかなった日だった。優ちゃんは、ずっとゲームボーイをほしがっていた。でも、やることをやらずにいつもだらだら遊んでいる優ちゃんを見て親二人で、ゲームボーイを買うとますます、やらないといけない勉強やお片づけをしないからと絶対買わなかった。あまりにもほしいほしいとうるさいので、塾の模試で算数も国語も○点以上取ったら買ってあげると約束した。その○点は、きっと取れないだろうという点数。でも、頑張ったら取れないこともないだろうという点数。今日、夏休み前にあった模試の結果が帰ってきた。2教科ともなんと○点以上だった。全体的に平均点が高かった模試だったらしいけどすごく頑張ったねとパパにほめてもらって、ハーバーランドに行ってゲームボーイを買ってきた。

ゲームボーイを買うにあったって、約束がいくつかした。

★今度の模試で○点以下だったら、次に○点以上取るまで一度ゲームボーイは取り上げられる。
★勉強をすべてやって、お片づけもしないとやってはいけない。
★勉強一時間に対してゲームボーイ30分できる。
★時間を守らなかったり、勉強などやらないといけないことをやらずにゲームボーイをやったら、没収・・・

結構、厳しいかもしれないけどこれぐらいのお約束をしないときっとだらだらとゲームボーイをしてしまうだろう。

第一日目、時間はきちっと守れたし、勉強も自分からやりだした。明日も早くおきて勉強をすると張り切っている。あんなに散らかっていた自分のお部屋もすごくきれいに片付けていた・・・。このまま、ずっとこの調子で頑張ってくれるといいんだけど・・・



2002年9月6日
今日は、めちゃ急がしかった。午前中、お客様がこられて、その後、ちょっと家を片付けて、お昼過ぎから、郵便局へ行き、そのまま、大阪へ・・・。

用事だけを済ませてとんぼ返りして、2時半からのスポーツクラブのエアロビへ。1時間、たっぷりと汗をかいた。

それが終わると、優ちゃんが、お友達を連れてきていたので、即、家に帰る。それから、シャワーを浴び、子供たちの相手をちょっとだけした。

5時半ごろ、お友達をちょっと送っていくついでに、銀行&お買い物へ。
家に帰ってきたのは、7時前。やっと、ほっとした。
本当に忙しい一日だった。

はぁ〜〜〜。明日がお休みで良かった。

♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:*:・''゜♪。.:* ♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:

アルバムを見た

みんなの笑顔の写真がたくさんあった
あんなに、楽しかったのに
あんなにみんな笑っていたのに・・・

何で、こうなっちゃたんだろう?

あの時間は、なんだったんだろう?
夢だったんだろうか?

とっても、切なくて辛くなった
見なけりゃよかった

♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:*:・''゜♪。.:* ♪。.:*:・''゜♭。.:*:・''゜刀B.:

元気だけど、前向きだけどふっと寂しくなる。
過去を振り返っても仕方ないけれど
今の現実を考えると、なんか暗くなる

でも、元気で頑張らないとね



2002年9月5日その2
トップの音楽を SMAPの『 freebird 』にしてみました。(歌詞はコチラから)

♪ 眠れない日々や胸を痛める出来事を通り過ぎていく程 幾度も飛び立つ事が出来ると確信して止まないでしょう♪

♪どこかに答えがあるのなら いつか飛び回ることを忘れてしまうよ♪

♪ 立ち止まる事も大事だと思うけれど 自由に飛び回るために♪


この部分が好きです。将君の死を考えたり、自分がこれからどうやって生きていけばいいのかというのは、私の中で、まだ、きちんと答えが出ていない。そのことについて、自分でどうしようもなくあせったりすることがあるけれど答えが出ないから、それを探しながら自分は生きていくのかなって、最近やっと思えるようになった。
その答えは、ずっとでないかもしれないけれど、自分にかかわってくれる人から何かを見つけて感じて答えを捜し求めて生きたいと思っています。

そして、それに疲れたときには、次に飛び立つためにゆっくり休んでもいいんだよね。頑張ってい続けることはできないから・・・。

音楽を聞いて歌詞をゆっくりと読んでいると結構いい事言っているよね。いつも一人で納得して「そうなんだ、そうなんだ。がんばらなくちゃ」とうなづいている私です。

他にも、素敵な歌詞を知っている人がいたら教えてほしいな(^o^)


2002年9月5日
お絵かき掲示板に描いた絵を、壁紙にしてみました(^o^)

でも、秋っていう雰囲気じゃないね。どう見ても春・・・。
まあ、いいか・・・

今日は、お化粧品を買い込んできました。変身しようと心に決めたので、まずは、化粧品を・・・。って、ずっとお化粧をしていなかったので、やり方を忘れてしまった(笑)お店の人に色々教えてもらってきた。

何をするにも、ある程度、細くないと何をやってもかっこよくないような気がして、ダイエットを決意(^o^)
今日は、スポーツジムに行ってきました。マシーンをして、そのあとは、プールで、『シェイプアップ ヌーボー』とやらを初体験。発泡スチロールのような2mぐらいの棒を持って水の中で運動をする。思ったよりも疲れるけど、あれくらいじゃ痩せそうにない。

目標、○s減。結構無謀な数字だったりして・・・(爆)

HP大々的に変えてみようかな?でも、それをするには、凄い時間がいりそう。そのうち、やってみるね。


2002年9月4日
今日は、めちゃ暑かった。暑すぎてとろけそうだった。
給食がまだ始まっていないので、学校から帰ってきたのは12時半ごろ。帰ってきた優ちゃんの頭をさわると、湯気が出そうなぐらい暑かった。優ちゃんは、今年初めて、『何で夏ってこんなに暑いの!』って真剣に怒っていた(笑)

毎年、9月の頭は、残暑という言葉がぴったりなぐらい暑い日が続く。
でも、2週目が3週目に入ったとたん、今までの暑さを忘れてしまうぐらい涼しくなる。この間、ちょっとだけ涼しくなったときに鳴いていたお庭の虫たちも全く鳴かなくなった。あの虫たちは、大丈夫かな?この暑さの中どこで過ごしているんだろう。
今年は、結局、ツクツクボウシの鳴き声をほとんど聞かないまま9月になってしまった。
せみは、卵を産んでから7年(種類によって違うらしいけど)経ってから地上に出てきて羽化する。今年、ツクツクボウシが少なかったって事は、卵も少ないって事で何年か後も、ツクツクボウシの少ない年が来るんだろうな。どうでもいいことのようで、ちょっと興味がある。

今日は、学校で夏休みに作った作品や自由研究の作品展があった。毎年思うけど、みんなすごい!何がすごいかって、それを作ろうと思う発想がすごい。私には思いつかないような、作品がたくさんあった。
でも、低学年は、どう見ても一人でやってないだろうなっていう作品が多々あって、安心した。親が手を出しているのはうちだけじゃないんだってね♪

ある意味で、普段しない親子共同の作業と思えばいいのかもしれない。親は、パソコン(我が家だけ?)子供は、テレビや漫画、テレビゲームとそれそれ好きなことをやって、かかわりがすくなってきているから、同じことを一緒にする時間って大切かもね、達成感も一緒(^^;)

我が家の、今年の自由研究は、近くの川を下ってきて、川の様子や生き物を写真にとって、模造紙2枚にまとめたもの。結構、大作に見える♪

子供たちもお父さん・お母さんもご苦労様・・・


2002年9月3日
子供が、一年生のときの担任の先生は、毎日、終わりの会のときに「今日、うれしかったこと」を子供に話さていました。何でも、よかったんです。一年生の考えることだから、本当に何でも・・・。

たとえば、
『今日、○○くんが、僕の鉛筆を拾ってくれました。○○君、ありがとう』
『△△ちゃんが、絵を描いてくれました、△△ちゃんがありがとう』

ほとんどが、そんな内容。でも、言われた子供は、本当にうれしいらしい。おとなしかった、優ちゃんでも、一年の間に何回かありがとうを言ってらえたようで、その日は、本当にうれしそうに帰ってきて、私の顔をみて一番にそのことを話してくれた。

他の学年などで、よく聞くのは、『きょう、○○さんが、掃除をしていませんでした』とかいう様な、つげぐちのような事。きっと、学校を出るときに何人の子かが、気分を悪くして帰っていただろう。

私は、『今日のありがとう』を終わりの会でやっているんだよと、子供から聞いたときに、素敵なことだなって思った。大人の世界でもそう。
自分と全く同じ人なんて、絶対いない。いろんな人が、たまたまかかわりあって生活をしている。

違うことがあってあたりまえ。でも、その自分と違うところだけを見つけて、相手を非難する人がすごく多いと思う。
人間の感覚は、同じじゃない。自分がよくても相手は、いい気持ちはしない事もたくさんある。また、その反対に、相手は、良かれと思ってしてくれている事だって、うっとうしいと感じることがあるだろう。それが悪いわけじゃない。

ただ、それを感じたときに、必要以上にそのことを非難したり、嫌ったりだけじゃなく、その人のよいところもみようとすればいいと思う。いいところを探してみると、絶対、あると思う。自分と同じ部分だって見つかるかもしれない。

でも、それをしようとしないで人の非難ばかりしてしまう。すごく悲しい。私もそう・・・。人のいやな部分を見て文句を言っていると、なぜか自分がどんどん辛くなっていく。絶えられなくなっていく。そんな時、深呼吸するようにちょっと見方を変えてみる。そうすると、やさしくなれる自分がいる。そうすると、その人を嫌いになれない。

昨日、友達といろんな話をした。自分とは違う彼女・・・。そんな私の持っていない大切なことをたくさんもらった気がする。

私は、普段元気に笑っている自分の中の辛い悲しい部分をここで吐き出そうと思って、HPを続けてきた。元気になっていく自分が、将君に申し訳ないような気がして、いつしか、子供を亡くした人たちと接して自分を悲しみの中に戻すことで、元気になっていく自分を否定していた。
もちろん、将君のことを話すことで心が安定したし、将君のことを話すことができるこのHPがあるから、日常を笑って過ごせるようになったのも確か。

このHPは、悲しみを吐き出せる場所として、私にとってすごく大切な場所だった。でも、今はちょっと考え方が、変わってきた。悲しみの塊のHPの中にも、今の自分の元気な部分を入れていきたいと思いはじめた。

今までも、自分の元気なスペースをこのHPの中にも作りたいと思っていたけれど、ちょっと抵抗があって踏み切れなかった。でも、去年であった友達のおかげで、そんな私の元気を表現することができないという壁が崩れた。

昨日、「元気になる掲示板」を作ってみた。将君のことを抱えて生きていく私も友達とランチに行ったり、馬鹿なことをやって大笑いしている私も、優ちゃんと一緒にモー娘。の曲をいい加減な振り付けをしながら踊って笑いこけている私も全部、そのまま私自身なの。

このHPを、将君のものだけのHPにするんじゃなくて、家族4人のHPにしたいと思っている。

みんな、元気をありがとう(o^-')b


2002年9月1日その2
今日で、とうとう夏休みも終わり。自由研究の最後の仕上げをして、無事に新学期が迎えられそうです。


友達が、言っていた。「大阪を離れられるかなぁ」って。
私は、結婚して関西を離れた。そのときは、結婚することがうれしくて、他の何も見えてなかったのかもしれない。広島・千葉・山口と転勤を重ね、3年半前に関西に帰ってきた。ずっと、夢見た関西での生活。

10年以上、関西弁から離れて生活してきて、私自身、だんだん関西弁を使わなくなっていた。(自分では標準語を話していたつもりだけど、周りの人には関西人?って、バレていた(爆))

ここに来て、パパも「こんなに関西弁うまかったけ?」なんてびっくりするぐらい関西弁にとっぷりと使った生活。今度、転勤したら、こんな生活もできなくなっちゃうのかなぁ・・・なんて、考えると寂しい。

本当は、ずっとずっと関西にいたい。もう、ここから離れたくない。ここは、将君が天国へ旅立った家。そして、たくさんの友達もできた。

でも、いつかはきっとここを離れる時が来るだろう。そのときまで、思う存分関西で楽しんで、友達とも楽しい思い出をたくさん作っていきたいな。

離れたこそ関西のいいところがたくさん見えた。10年以上関西を離れて再び関西に住んで思った。ここが一番私に合っているって・・・。

でも、友達とのことは関係ない。それぞれの町で、たくさんの友達ができた。そして、その友達と笑って泣いていろんなことを経験してきた。

いつも、その町を離れるときに、みんなと別れるのがつらくて、毎回、涙涙で別れてきた。また、この町を離れるときがくるんだろうか。出会いがあって別れがある。私には、会いたい友達がたくさんいる。引越しをするたびに友達が増えてきた。会うことは、あまりないけど、あの時、いっしょに過ごしたあの時間は、絶対忘れない。いつかおばあちゃんになって会った時に、同じ時間を過ごした私たちは、きっと、一瞬にしてあの時の時間にいっしょに戻れると思う。

気まずくなって、仲良くなれないまま別れてしまった友達にも、いつかは絶対気持ちを伝えたい。「ずっとずっと、気になっていたんだ」って。

いつか、いつか笑って話せる日が再び来る事を祈っている。この想いちゃんと届くといいのになぁ・・・。

届くように、人生を終えるまでに努力しなくちゃね(すっかりおばあさんになった気分・・・笑)自分にふりかかってくる出来事を避けることができないかもしれないけど、その時からの気持ちの持ち方と努力すれば、全てじゃないかもしれないけど、人生は、自分の手で変えることができると思っている。


今日、9月1日は、私の大切なお友達の、大切なお友達が天国へ旅立った日です。天国まで、その友達の想いが届くように祈っています。素敵な友達、みんなに感謝(^。^)


2002年9月1日その1
今日から、9月。なんだか、眠れなくてこんな時間(午前3時)まで起きています。普通の年なら、今日から学校。でも、今年は、9月1日が日曜日なのであさってから学校です。ゆうちゃんも、もう少しお姉ちゃんだったら、この幸せを喜べたのにまだ、もうひとつ、よくわかってないようで・・・。

さっき、ずっと、気になっていたことが解決しました。それは、なぜかうちのHPの音楽だけが聞こえないということ。せっかくお気に入りの曲を入れても自分で聞けないと、寂しかったから。さっき、曲が聞こえてきたときは、感激しましたq(≧∇≦*)(*≧∇≦)p キャー

あとおかしいのは、CD-Rが読み込めないということ。なぜか「ファンクションが違います」と出るの。外付けのCD-RWでも、CD-Rをいれて開こうとすると絶対フリーズする。音楽CDを作ろうと思ってもエラーが出て、今まで何枚、CD-Rをだめにしたことか・・・(-_-;)

何度、初期化してもおかしいのは、直らない。もしかして、根本的に使い方を間違っているのかなぁ?と心配になるぐらい。でも、買ってすぐには、ちゃんと使えていたので間違ってないと思うんだけどな・・・。

パソコンがおかしかったらそれを解決するのにすごい時間がかかる。原因もやり方もわからない私が一人でやっているんだから仕方ないか。


今日は、HPの音楽が聴けるようになっただけでも、良しとしましょう。
解決方法は、最新のwindowsの音楽を聴くソフトをup dateしたおかげ。
あぁ、よかった。

こんな時間まで起きていると、お腹すいてきた(-_-;)

そろそろ寝なくちゃね。明日は、夏休み最後の日。宿題もどうにかできたし、ゆっくり楽しいことでもしようかな。

今年の夏休みは、モーニング娘。のコンサートで始まって、本当にいろんなことをして楽しんだような気がする。秋も、できるだけいろんな事をして、楽しい思い出をたくさん作りたいな。

USJにでも行ってこようかな・・・。