ママの想い


こんなママでいたいな。現実は……

イラスト by すずらん さん

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震災から7年目


2月

2001年2月25日
今、阪神大震災のページをアップしていました。「納棺」のページです。それを書きながらそのときのことを思い出し、涙があふれて、キーボードをうつ事が出来ないほど泣いてしまった。久しぶりに大泣きしています。今も・・・。

姿が見えなくなってしまったあとも、すごく辛かったけれど、亡くなってしまってそばにいたときの将くんを思い出しても、胸が苦しくなります。将くんがそばにいたから、死を認めていなかった時間だったけれど、今あの時の事を思い出すと、あの時の将くんはもう天国へいっていたんだなって・・・。でも、将くんの体があったあの時でもいいから、戻りたいです。元気だった将くんにあえるのが一番だけど、亡くなっていてもいいから、将くんを抱きしめられたあの時でもいいから、戻りたい。

どうして、あの時に、もっともっと抱きしめてあげなかったんだろう。だれも何も言わないのに・・・棺に入れるまでの3日間、ずっと抱いていてあげればよかった。今、こんなに抱きたいのに、絶対抱く事が出来ない。あの時は出来たのにと思うと、すごく後悔します。

もっと、将くんの体の重み感触をこの腕で、感じたかった。将くんも、そうだと思う。ママやパパに抱っこされていた方が、よかっただろうね。生きている将くんにあえないのなら、せめてあの4日間に戻って、将くんを抱きしめたい。

昨日の日記に書いたけれど、もし将君が戻ってきてくれるなら、幽霊でもいい。お化けでもいい会いたい。死んでしまったけれど、将くんは私たちの子供です。生きていても死んでしまっても、それはかわりない。なのに、どうして多くの人たちは、早く忘れた方がいいとか、悲しまないでと言うんでしょうか?子供が、大学に通うために下宿する時、お嫁に行く時、親はなきます。寂しく思います。それと一緒。会えないことが寂しい。それに加えて、その子の人生を経験させてあげれなかった悲しみが加わるのです。

絶対忘れる事はできない、悲しまない事は出来ない。子供を思う気持ちは、死んでしまっても生きていても同じである事を知ってほしいと思います。



今日、将くんの夢を見ました。夢の中で、将くんは、こんな感じで遊んでいたよね。と想像している夢なんですが・・・ちょっと複雑(-。-;)

夢の中の将くんは、あの時と同じ1歳半か2歳ぐらい。阪神タイガースが試合に勝って、喜んで、「六甲おろし」の歌にあわせて、リズムを取っている姿を思い出している設定。私は、しっかり「六甲おろし」を歌っていました。
それなのに、そこで主人に起こされてしまいました(ToT)ダー。ショック・・・。

直接、将くんの夢では、ないけれど、夢の中で将くんの姿を見れたんだから、同じことか・・・d=(^o^)=b

今日は、久々に悲しかった。本当は、パソコンの資格をとる勉強をしようと思っていたけれど、出来そうにない。

たくさん、泣いたけれど、泣けるとすっきりする。泣いている時は、どうなるかと思ったけれどね。HPの更新は私にとって、辛いことだなと、つくづく感じました。
でも、私のやるべき仕事として、頑張らないとね。


2001年2月24日

お友達のお子さんが、学校で亡くなった妹のことで、お友達から色んなことを言われて心に大きな傷を作ってしまったそうです。そのことをきいて、以前の「将君のお化け」事件を思い出しました。

お友達みんなが、うちの家中いたるところで、「今、男の子のお化けを見た」と言って、大騒ぎでをしていました。優ちゃんは、ひたすら泣いているだけで、理由を話してくれませんでした。夜になって、お昼の事を思い出し、将くんが怖いと言って泣き出しました。そこで初めてお昼の事件を聞いたのです。

なんだか、悲しくて親子で抱き合って大泣きしました。将くんは、お化けなの?ときいたので、私は、違うよ天使だよと、話しました。前の幼稚園はキリスト教で、亡くなった人は、天国へ行って、子供は天使になると(本当はキリスト教では違うらしいんだけど)、先生が子供たちに話してくれていたようで、そのときの話をしたら、「そうだった。将くんは天使だった」といって、顔の表情が明るくなりました。

今日、また、将君の事をお友達が何かいってる?ときいてみました。
今は何も言ってないけれど、前は言っていたといいました。
なんて?ときいたら、言いたくないって・・・


でも、少し話してくれた。『仏壇の周りに幽霊がいるって
』言われたって・・・。
それで、お友達お子さんの話をしたら、その子も同じことを言われたの?
怖くないの?と聞きました。

ゆうちゃんにとって、その時、すごく怖かったらしい。悲しいよりも怖い方が
大きかったみたい。将くんの幽霊でも、ママの幽霊でも怖いと言っていた。

なんだか、ショックだったよ。まだ小さかったので、将君の事を覚えていなくて、
記憶が残っていないから


将君の事をあんまり思い出さないとよく言います。
そのことに自分でもなんだか、悪いと思うときもあるみたいで
「ママ、仕方ないよね、仕方ないよね。」を連発する。
「仕方ないね」と答えるけれど、なんだか寂しい。


今でも、そのことに関しては、心に傷を残しているようです。これから、ますますこんな経験をするようになるのかと思うと、いたたまれなくなります。

友達に、お化けのことを言うな、ということは、難しい事です。大人でも、気持ちを理解してもらうように説明するのは、大変です。100%の人には、きっと理解してもらいえないと思っています。

今、私たちが残された子供たちにしてやれる事は、何かあった時に、それを外に出せる雰囲気を作ってやる事、すべてじゃなくてもいいから、何で悩んでいるか話してくれるといいのですが・・・。そして、これからも色んな考えの人達がいて、色んな事を言われるだろうから、それに対して強くなれるような、信じるものを作ってやる事。

でも、それを、子供を失って悲しみの真っ最中の母親が、完璧にしてやる事も難しいかもしれない。

図書館で「『死ぬ』ということ」という本を借りてきました。子供向けの死を考える本です。大人が見てもわかりやすく、個人的に家で買おうと思いました。

兄弟を亡くした、子供たちのための、心のケアをする場所か、それを考えた本などがあればいいとおもいます。

今、うちのHPを学校の先生が道徳の授業で使ってくれました。九州の中学です。命の大切さと同時に、今回のことのようなことも、子供に伝えてほしいと思いました。学校で頼りにできるのは、先生しかいないんだものね。

日本では、死についてタブーになっています。最近やっと、少しずつ話すようになってきましたが、死について話をする事は、いけないことのようになっています。

でも、大切なことです。私自身も、そのことを勉強せずに大人になりました。突然やってきた死に対して、心のケアをする場所や、自分をどうコントロールしたら言いかわからないまま何年も過ぎていきました。このときに少しでも、死について何か知識があれば、もっと違った気持ちになれたと思います。

幸い、私は、HPを開設して、たくさんの同じ思いの人達にであい、随分癒されました。でも、ずっとそれができないで、何十年も1人で悩んでいらした方が、多いのでは、ないでしょうか?

せめて、これからの教育の中で、『死』について、話し合う時間を持つ事が出来たらいいと思いました。

兄弟を亡くした、子供たちのことを考えるメーリングリストを作ろうと思います。大きなことを考えずに、気楽な気持ちで、ネットで知り合った友達だけでも、そのことについて話せたらいいと思います。

2001年2月20日
みんなが、寝静まった真夜中
一人貴方の事を想う

貴方の笑顔、泣き顔・・・
貴方と過ごした、楽しい日々

もう一度、あの頃に戻りたい
心から笑って、遊んで幸せだった日々
毎日が本当に楽しかった・・・

貴方のことを想いふけていく夜
気がつけば、涙が頬を流れる

会いたい……

2001年2月17日その2
やさしい心・・・
簡単な言葉だけど、やさしい心をもちつづけるのはすごく難しい

やさしい心を持ち続けたいと思っているのに
気がつけば、怖い顔になっている

こんなに愛しているのに、こんなに大切に思っているのに
気がつけば、怒っている。

あの時の気持ちに戻って、やさしい心の積み木を
ひとつづつ、積んでいこうと思う。

そうすれば、あなたの笑顔が、もっと見れるようになるかもしれない。


2001年2月17日その1
月命日
今日は、月命日でした。でも、子供会の役員会があって、大忙しでした。本当なら、ボランティア講習会に出るはずだったので、お寺さんに12時に来てもらうことになっていました。役員会は、10時…、片付け準備のために大忙し・・・結局、遅れていて早めに帰ってきたのですが、なんだかイライラしていました。将くんの月命日の日に、何でこんな思いをして出席しなくてはいけないのか・・・、だれが悪いわけではないのに、1人で怒っていました。

本当は、ゆっくり月命日を迎えたかった・・・・。
子供会の役員をする事は、いやではないけれど、私の生活のかなで、一番大切に考えたい将君のことをこんな形でいいかげんに過ごしたくないと思います。
ほんとイライラした月命日だった。ごめんね、将くん・・・・。

パパの誕生日
夜、ゆうちゃんとはなしていて、今日はパパの誕生日だった事を思いだした。ときすでに遅し・・・。パパはすでに夢の中・・・。

明日、ケーキでも買いに行って、お祝いしてあげよう。パパは、まさか忘れてないよね。
忘れていたりして・・・・(@_@;)

6年前の2月17日、初めての月命日に、仏壇が来た。そのとき、「何で自分の誕生日に仏壇が来ないといけないんだ」と寂しそうだった。

笑顔
今日は、ゆうちゃんが具合が悪そうだったので、無理にピアノの練習をさせなかった。その分、ゆうちゃんと久しぶりに折り紙をしました。「ママ、一緒に折り紙をしてくれるの?」と予想外の喜びようで、その笑顔にびっくりしました。そういえば、最近、ゆっくり優ちゃんと遊んでなかったな。いつも、『ピアノをしなさい』ばっかリ言っていた。ちょっと反省(-。-;)。


2001年2月16日
心の傷と癒しのために
私は、『将くんの苦しみに比べたら、転んだぐらい、あたまをうったぐらい、大丈夫って…』と優ちゃんにずっといいつづけていました。比べないできたつもりだけど、よく怒られる自分と、怒られない将君・・・(怒りたくても怒れないんだけど・・・(-。-;))、その違いにいつしか不公平感を持っていったようです。


「ママ、将くんが同じ事をしたら、怒っている?」、「ママ、ゆうちゃんが、地震で死んでいたら、将くんと同じぐらい悲しい?」、「今、ゆうちゃんが死んだら、ママ悲しい?」この言葉の裏には、きっとママが自分を愛している事を確認したいと言う気持ちも入っているんだと思います。

あれから6年以上経って、あの時1歳半だった、優ちゃんも1年生…。それらのことが、どれだけ優ちゃんを傷つけていたか、最近わかりました。優ちゃんの口から、その事を聞かされた時は、ショックでした。私は、優ちゃんを思いっきりかわいがっているつもりでいたけれど、小さい頃に傷ついた心は、未だに残っています。

だから、その傷を埋める為に、思いっきり大げさに好きだと言葉で表現しています。心の中だけで、思っていても、それを感じ取る事は、子供には難しいと思います。

私は、優ちゃんも震災で亡くなっていた可能性が大きかった事に気がついたときに、生きていることを感謝するようになりました。
将くんに対して、生きていてくれたら何でもしてあげるのに、と言う思いがあって、優ちゃんは、まさにその生きてくれていたら…だったのです。

周りから見たら、きっと甘やかしてわがままに育てているように見えるかもしれません。でも、今の私とゆうちゃんの親子関係には、必要なことだとおもっています。物を必要以上に買い与えたりして随分甘やかしているところもありますが、将くんを失った時に、将くんには、ほしいと言うものを我慢させてしまった事を、すごく後悔しました。その反動が大きいのです。

最近、やっと生きているんだから、色んな事を経験させてやりたいと思える余裕が出来てきました。
でも、それは、生きているんだからすることがあると本人に言うことじゃなくて、私が、優ちゃんに人生を有意義に過ごさせてあげる為にしてあげることです。

「亡くなった子の分も生きるんだよ」なんてことを意識させて、しっかりした人生を歩ませる事は、今のゆうちゃんの心の傷に悪影響を与えると思っています。

私は、できるだけ、将くんと優ちゃんを離して考えてあげてたいと思っています。特に表面的にはね。心の中は、しっかり結び付けているけれど…。

兄弟を亡くした子供達は、大人が思っている以上に傷をもっていると思っています。その傷は、その子それぞれで、それを親である私たちが、気がついてあげるのも役目かもしれません。
なんて、偉そうにいっているけど5年ぐらいは、その事に気がつかなかったの、わかっていても出来なかったのかもしれない。
これは、急いでする事じゃなく、ゆっくりと考えていってあげないといけない大切な事だと思います。子供の様子を見ながら、その子に応じた接し方が一番いいんじゃないかな?

私は、常にゆうちゃんとの死を意識して暮らしています。突然、その日がやってきたときに後悔しない様にゆうちゃんに接していたいと思っています。
それと同時に、私が死んでしまった時に、それを乗り越えられる強い心も持ってほしいと思っています。
今の所、強い心を・・・と言うのは、まだ行動に移していません。

今は、甘くてもいい、優ちゃんの心にママは私のことを大好きだと言う自信をつけてあげたいと思っています。それができてから次のステップに進みます。


ピアノ
ピアノをさせている以上どうしても上手に弾いてほしくなるし、グループレッスンだと他の人と比較してしまう。
でも、両方をきちっと練習させるには、これからだんだん難しくなるグループと個人の両立は無理だと判断しました。だって、ピアノの練習のたびに、いっつも怒ってしまうのです

。一年生の子に、友達と遊んだあとの一時間の練習をきちんとできない…。一時間は弾くんだけど、細かい所にまで注意が行かない。それで、きのう個人はやめさそうと思って、優ちゃんに話したら、大泣きして、○○先生のピアノは絶対やめたくないと30分も泣いていました。
その姿を見て、昨日個人の先生に相談しました。春からグループレッスンは、一時お休みさせます。その間、個人レッスン一本にしようとおもっています。

2001年2月14日
バレンタインデー
今日は、バレンタインデー、将くんがいたらチョコの1個でも、お友達からもらえただろうか?なんて、寂しい思いで、過ごしていました。

お昼過ぎ、お花が届きました。山口の社宅で一緒だった、お友達から将くんへのバレンタインデーのプレゼントのお花です。すごくうれしかったです。バレンタインデーのプレゼントという嬉しさもあったのですが、遠くはなれているのに将君のことを気にかけてくれている事、その事が本当に嬉しかった。友達のこのような気持ちが、私をささえてくれています。


ボランティア講座

今日、震災遺児の心のケア施設のボランティア養成講座についてのハガキが来ました。応募者が、100人ほどあり、定員は40人、抽選によって外れたそうです。( ̄□ ̄;)。仕方ないけれど、なんだかその気になっていたので、残念です。でも、心のケアをする側の勉強はこれからの人生で、やっていきたい事だから、あせらずに気長にやっていこうと思います。でも、ちょっと残念(ToT)。

携帯電話
洗濯してしまった携帯電話、交換に行ってきました。結局、機種変更というとで、そのままのお金を払ってきました。割引も何もない・・・(ToT)ダー。いたい出費でした。
でも、主人に怒られず、その事で悲しまなくてよかった分、楽でしたv(^o^)。
洗濯機で洗ったと言ったら、トイレに落とした人は、結構いるんだけど、洗濯機と言うのは、だれもいない。まさか、私がはじめてって事はないよね。きっと、誰か、洗った事ある人いるよね。

明暗

先日、ハワイで起こった、水産高校の実習船と潜水艦の事故、あのニュースを見ているととっても辛い。どうしても私は、未だ行方不明の方のことを考える。自分の家族は行方不明、元気に助かった人がいることが、どんなに辛いだろうって…。表面上は、助かってよかったね、なんて言ったとしても、心から思えるようになるには、すごい葛藤があると思います。そう思えない人がいても、あたりまえ…。明暗を分けると言うけれど、今回の事故は、その言葉どおりだと思う。
国会で総理大臣がゴルフをしていて対処が遅れたと、すごく怒っている人たちを見た。まだ、海の中で行方不明になっている家族にとって、それこそ今、その事を議論している場合じゃない。そんな事で議論しているのなら、どうやって行方不明の人たちを探すかを話し合ってほしいと思うんじゃないかな?今、責任追及をしている場合じゃないと思います。ゴルフをして事故にあった人たちの事を考えていなかったと、いうのと、今、責任追及に時間を費やしていること、そんなにかわらない気がするのです。責任追及、そんなに大切な事かな?行方不明の方を、見つけることに全力を尽くしてほしいと思います。

ピアノ
今日のピアノ・・・発表会の衣装を決めるということで、子供達だけ部屋でレッスンを受けました。だから、親として子供がどれぐらい弾けているのか、怒られているのか 気にせずに過ごせて、すごく楽だった…。
でも、一つだけ気になることがある。練習しなかった曲を弾いている時に私たちが部屋に入ったら、ゆうちゃんは、音がでないように自分でぺダルを調節して弾いていた。賢いのか、ずるいのか・・・。怒られない為の知恵なのかもしれないけれど、ショックを受けた。練習していかなかった事が一番悪いのだと思うけれど・・・。今週は、それをきちんと練習させないといけないと、思っています。
ピアノって親が大変・・・みんなこんな思いで、ピアノを習わせているんだろうか?それともうちの子だけが、手がかかるんだろうか???



2001年2月13日その2
二人が、私のおなかに宿ったあの日
パパとママは幸せだった
毎日毎日、あなた達に会うのを楽しみに
その日が来るのを待っていた

そして、
はじめてあなたた達に出会ったあの日
パパとママは最高に幸せだった
毎日毎日、あなた達の成長する姿を楽しみに
暮らしていた

あなた達がパパとママの所に生まれてきてくれた事
これからも感謝して生きて行きます


2001年2月13日その1
今年から、ヤ○ハの人数調整の都合で、レッスン日と先生が変わった。発表会練習も始まったので練習が結構厳しい。今までの先生は、とってもやさしかったのですが、今回の先生は、結構、ビシ、バシと怒る。怒られたらかわいそうと思い。ゆうちゃんが泣くほど怒りながら練習させている。時々、ふっと思う。こんなのでいいのかな?って・・・・

原点に返って考えると、私がゆうちゃんにピアノを始めさせたきっかけは、あの頃、将くんを失って、ずっと泣いているだけの毎日だったので、ゆうちゃんと笑って過ごす事をしていませんでした。震災から10ヶ月…。ヤ○ハにいっている時間だけでもゆうちゃんだけを見て一緒に笑ってあげたいという思いからレッスンを始めました。顔で笑うように努力しても心から笑う事は出来なかったのですが、その時に担当してくださった方が、音楽は心のケアにもなると言ってくださいました。そんな事で始めたピアノ、いつのまにかにヤ○ハのペースにのって、怒る事が多くなってしまった。なんだか違うよなと、思う今日この頃です。確かに厳しく練習をすると上手になるかもしれないけれど、ゆうちゃんとのつながりを思い始めたピアノ…。怒ってばっかりじゃあ意味がないよね。

それに怒った後、必ず落ち込むの。生きていることに感謝しているのに、何故私は怒っているんだろうって……。

ゆうちゃんには、人生を振り返ったときに楽しかったと思える人生を過ごしてほしいの。今の毎日の生活は練習するまでピアノをしなさいばっかり言っている気がする。

発表会が終わった時に、もう一度このままレッスンを続けるか考えるつもりです。



2001年2月12日
(T.T )( T.T)オロオロ・・・・。
今とっても、凹んでいます。将くんの事以外で、久しぶりに大きな凹み・・・・(-。-;)

実は、パパの携帯を洋服と一緒に洗ってしまった。2週間前に新しく変えてばっかりだったのに・・・( ̄□ ̄;)!!もちろん、使用不可能。パパ怒るだろうな。ポケットから出しておいてよ!!と、言いたいけれど、確かめないで洗った私が悪いに決まっている。

今日は、せっかく張り切って、よる掃除機をかけたり片付けたりしていたのに・・・。夜、選択しなければよかった・・・。

明日の朝、パパきっと怒るよ。パパが怒ったらすごく怖いんだよ。でも、正直に言うしかないよね(+。+)。ため息・・・。久々に落ち込んでいます。

明日、新しい携帯と交換してもらってこよう。もちろん、お金がかかるだろうな。しばらく、無駄遣いなしの生活だ…。


2001年2月11日
『ありがとう』
この言葉は、簡単な言葉だけどなかなかいえない言葉。
子供が言葉を覚え始めた時に、ほとんどのお母さんが、
「物を頂いた時はなんていうの?『ありがとう』って言わなきゃダメよ」という。

その意味が分かる年頃になればなるほど、なんだけ照れくさくて言えない。
気持ちは沢山あるのに、なんだか『ありがとう』をいえないときがある。

私も、たくさんの人にありがとうを言いたいと思っています。

将くん
優ちゃん
主人
両親
私の周りにいる人達

こんなに『ありがとう』の気持ちがあるのに言葉に出来ない…
両親に『ありがとう』をいうときは、きっと涙でちゃんと言えないかも知れない。
だんだん年老いて来る両親を見て言っておきたいと思っている。

いつか、このHPを通じてでも言いから伝えたい。月並みな言葉だけど『私を生んでくれてありがとう』。その瞬間から私の人生が始まりました。この月並みな言葉に、たくさんの想いが詰め込まれている。私を生んでもらったから、私は、将くんゆうちゃん、そして主人に出会えた。


こんなにあたりまえで 、大切な事なのに、この事に気がつかなかった。気が付こうとしなかったのかも知れない。将くんを失って初めて、生きている意味を考えるようになった。
私は、子供達とであった事をすごく大切にしたいと思っています。何万人何百万人の子供がいる中で、たった二人だけ私達の子供に選ばれやってきてくれた。その事を大切にしたい。そして、その事もたちに出会うために大切な人、それは、主人です。主人に出会わなければ将君とゆうちゃんの母親にはなれなかった。それを考えると主人との出会いも大切です。そして、その原点を作ってくれた両親・・・両親のおかげで私が生まれた。
その事を考えると、感動する。

そして、それを将くんとゆうちゃんに受け継いだ私達・・・。将くんは、人生をほとんど歩むことなく天国へ行ってしまったけれど、私や、主人そしてゆうちゃんによって、あるべき将君の人生を見つめていきたいと思っています。


昨日、ゆうちゃんに、ママのの兄弟になるはずだったお腹の中の赤ちゃんのこと、パパの兄弟だった1ヶ月で亡くなったという、男の子の事を話しました。初めて聞いたゆうちゃんは、びっくりしていたけれど、こうやってその子供達の事を私達が伝える事でその子供達が、心の中で生きていくような気がしています。

一足先に天国で暮らしているお兄ちゃんたち、将くんをよろしくね


2001年2月7日その2
今日寝るときに、ゆうちゃんが「ママ、明日学校へ行きたくない」と言い出しました。理由と聞くと、「ここ3日ぐらい毎日、非常ベルがなるから、誰かが押したみたい、すごくびっくりして怖かった、『誰かが焦げ臭い』って言ったんだよ、ゆうちゃんもそう思った。また、明日も非常ベルがなるかも知れないから、学校には行きたくない」と教えてくれました。

ゆうちゃんは、非常ベルが大嫌い。幼稚園に入って、初めて避難訓練をして非常ベルを聞いて大泣きしたそうです。毎月あった、避難訓練のたびに泣いていたそうです。少し大きくなって、避難訓練にもなれて、泣く事もなかったようですが、突然の非常ベルに動揺したようです。

去年の秋、学校で震災に関する心のアンケートがあり、色んな項目の中に「小さな音にもビクッとする」という項目がありました。将くんのお葬式を終えて岩国に帰ってから、外を通る車の音にも敏感に反応して、血相を変えて私の所に走って来るようになりました。それから、音に敏感になったとうこともあります。

また、3歳のお誕生日に、目の前で家事を見ました。夜だったので炎上してる家は、大人も恐ろしく感じたほどでした。それを見て家までの1時間半の間、タオルを頭にかぶって一切顔を出しませんでした。その事は、今でも心の傷になっているようです。地震・火事のための避難訓練は、ゆうちゃんにとって、恐ろしい事を思い出す要因になっているのかもしれません。

ただ、怖がりな子と済ましてしまえばそれだけかもしれません。そんな子どこにでもいるよと言われると、そうかもしれません。私が気にしすぎているのかもしれません。でも、どうしても、切り離して缶がることは出来ません。もし、地震・火事が要因になっているのなら、どうにかして心を軽くしてあげたいです。でも、何の知識もない私は、ただおろおろするばかりです。

私も、子供も色んな意味で心のケアを必要としているのでしょうか?
せめて、ゆうちゃんにだけは、トラウマを取り除いてあげれたらと思っています。


2001年2月7日その1

私の心に突然やって来る黒い影
何をやっても取去ることが出来ない
昨日とは、全く違った今日

どうにかして、その影を取り除こうと
頑張るけれど、
頑張れば頑張るほど
その影は、私を苦しめる

その影を取り除いてくれるのは
あなたしかいない
あなたに会いたい…

この詩は、お友達のHPの詩を書く掲示板で書かせていただいた詩です。

レジャーテーブルの上で、近くにいた犬に向かって「湾、ワン」と言っている写真。

なんだか、今日は心が重い(x_x)
涙を流してなくほどでもなく、笑えないほど辛いわけでもないのに、心が重いです。ピアノの上に飾ってある将くんの写真(上の写真)を通りがかりに見た。毎日見ている写真だけど、今日の私はその写真を見ると辛くなる。『こんなに楽しい時間があったのに』という気持ちと、『将くんがいなくなってしまったのに、普通に生活をしている自分を振り返って、なんて冷たい母親だ』という、気持ちが、襲ってくる。


あんなに幸せだったのに・・・、あの日は、決して帰ってこない。いくら、気持ちをHPに書いても、あれから随分元気になった事を認めるけれど、やっぱりこの気持ちは、消えない。あの楽しかった日々に帰りたい。
あの日々は、絶対帰ってこないとわかっているけれど、あの時に帰りたい。そして、将くんとゆうちゃんの成長を見たい。一緒に笑って遊んで幸せだったあの頃に/…。

私が、いくら元気に頑張って、笑顔を見せてあげても将くんには、ゆうちゃんと同じ日々を送らせては、あげれない。

そんな想いが、写真の中の将くんの表情を見ると浮かんでくる。
私が、一生をかけて頑張っても、将くんの人生に見合うだけのことをしてあげれない。
今頑張っている意味も無駄ではないと思うけれど、どんなに頑張っても将くんに人生を歩ませてあげれない、自分の無力さがいやになってしまう。
どうしようもない事もわかっているし、頑張って生きていかなくちゃいけないこともわかる。
でも、今はだめ、この気持ちを癒してくれるのは、将くんあなたしかいないのよ。

『いつか、会える・・・』じゃなく、今すぐに会いたい。

2001年2月6日
今日、「日本語ドメイン」というものをとった。『 将 』という字で登録した。日本語ドメインの詳しい事も知らないけれど、早く登録しないと好きな名前が取れないということだったので、慌てて申し込みました。本当に申し込んでしまっていいのか悩んだけれど、あとで取れなくて悔しい思いをするよりもいいかという結論だった。はははっ、どうにかなるよね。

2001年2月5日

この空のどこかにいるかもしれないと
空を見上げる

いつか、きっと会える
その言葉を心のささえに
今を生きている

そんな、ママを
きっとどこかで見ていてくれているよね

だから、ママは
笑って生きていく
あなたのために・・・


この詩は、お友達のHPの詩を書く掲示板で書かせていただいた詩です。

2001年2月4日

昨日、高校の同窓会名簿が送ってきました。同級生の名前を見ていると、クラスの一番最後に『物故者』として、亡くなったかたの名前が書いてあった。その中に、知っている子の名前もあった…。あの子、死んでしまったんだ・・・。特に、仲良しというわけでもなかったけれど、ショックだった。もちろんなくなった原因までは書いていない。病気なのかもしれない、事故かもしれない、震災で亡くなったかも知れない。 生きている以上『死』はいつも隣にある。今までもたくさんの人が、家族の死を体験してきている。いずれ来る死…、わかっているけれど、そう、簡単には受け入れない。

インドで、大きな地震が起こったと、連日報道されている。阪神大震災のような大きな地震はもう来ないだろうと思った。でも、世界で起こっている。阪神大震災が、最大級の地震だとは、限らない。阪神大震災の10倍の地震が起こる可能性だってある。そのときにゆうちゃんを失う事になるなら、私も命は、ほしくない。そのときに、ゆうちゃんと共に、将くんの所へ行きたい。
これ以上、悲しい思いをするのはいやだ。