MAMA'S DIARY

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震災から6年目

5月-8月
8月31日
今日、知り合いの掲示板に書きこんで、これはいいと思い、今日の日記にそのまま載せることにしました。手抜きです(^^ゞ。

将くんとの思い出の品、たくさんありすぎて社宅に住んでいるときに6帖1部屋それでつぶれていた。歩く所がないぐらいにたくさん・…。
5年たっても、まだまだ捨てられずにいます。将くんと ちょっとでもかかわりのあるものは、ケースにいれてしまってあります。
でも、以前、子供を亡くされた人(もう70歳ぐらいの人)がね、自分の死後、子供のものを誰かに捨てられるかと思うと辛くて、自分で思い出の品を一つずつ焼きました、と言っていた方がいます。 その時には、私にはできないと思ったけれど、 いつかは、整理して自分が死んだときに、入れてもらう分と 優ちゃんに残しておきたいもの以外は、自分の手でどうにかしなくちゃいけないんだろうなって、最近思い始めています。
もちろん、そんな事ができるのは、まだまだ先になるだろうけれどね。 考えが、もうすっかりおばあさんになっています。

まだ、まだ自分の人生を楽しむ気にはなれない私です。
いつか私が将君のところへ行くときが来たときに、すこしでも後悔が少なくなるように、今は、残っている優ちゃんのために、生きていたいと思っています。 はは、やっぱりおばあさんみたいね(^^ゞ

優ちゃんには、いつか私が天国に旅立つ時に、その悲しみを乗り越えられる人になってほしいし、それを支えてくれる素敵な家族にめぐり合ってほしい。

最近、やっと将くんへの想いと優ちゃんへの想いがつりあってきたかな?
優ちゃんには、目で見て触れられる分、気持ちの上で将君のほうがちょっとたくさん占領している部分もあるけれど、以前のような差は無くなってきました。

ネットで知り合った、双子の一人を亡くされたSママのHPに出会えたおかげです。

ネットで知り合った天使ちゃんたちのママの天使ちゃんへの想い、びっくりする事もたくさんあります。比べるわけではないけれど、ショックを受けたりあせったり・…、そんなときに自分をもう一度離れて見つめなおして、将くんへの想いを整理しています。
以前は、私が亡くなった子への想いが一番強いと想ったりしていたけれど、HPなどを読ませていただいて、みなさん、ママ達のありったけの気持ちで天国への子供達を愛している事を感じました。表現方法や心の整理のし方は違うけれど、愛情は一緒ですよね。


8月27日
今日は、震災モニュメントの一つになっている、将くんの事を詠んだ句が紹介されている句碑を見に行ってきました。
この句碑の句を詠んでくださったのは私の親戚の方で、震災の前日夕方に私達家族4人と私の母、そして弟家族と一緒に遊びに行った家の方です。
その句には、その時の将くんが詠まれています。

今日は、その時方のお宅へ寄ってから出かけました。
あらから、5年8ヶ月たっていますが、そこのおうちへ行って、あの時のことが鮮明によみがえってきました。
将くんが食べたお饅頭の事、みんなに抱っこしてもらった事・・・・、実は、行くのが少し怖かったけれど、私の意思に関係なくそこへ行くことになってしまったということは、将くんが、導いてくれたのではないかと思うようにしています。
ママに、あの時の事をもう一度思い出してほしいと思ったのかもしれません。

そこで少しお話をして、出かけました。句碑の前の玉砂利に草がいっぱい生えていたので、みんなで草抜きをしました。
将くんには、お墓がないけれどお墓を持っている人はこんな気持ちでお手入れをしているのかもしれないと思いました。

木で出来た慰霊碑の上の方にいくつか穴が開いていました。きつつきが穴をあけていたようです。びっくりしたけれど、将くんはきっと、きつつきがとんとんと木をつついている姿を見て楽しんだんじゃないかなと思いました。


ちょっとしたことなんだけど、しみじみとせみの鳴き声を聞いて思いました。
今年、鳴いている『せみ』は、将くんと優ちゃんが生まれた7年前のあの夏に 生まれたせみです(せみが7年間土の中で暮らして地上に出てくるという話を前提 に)。

そう思うと、なんか今年のせみがとってもいとおしく感じちゃう。 来年のせみも将くんが生きていた時に生まれたんだ…でも、その次の年のせみは、将くんが天国へ行った年のせみ・… きっと、その年は淋しくなちゃうだろうな、再来年のせみの声を聞いた時には…・。



8月23日
おととい、隣に私の両親と同居している弟家族の転勤が突然決まってしまった。せっかく、一年半前にここへ引越ししてきて、やっと、こちらでの生活に慣れてきて、優ちゃんもいとこ達ととっても仲良くなって毎日が楽しそうだっただけに、弟達の転勤は親子でショックを受けています。

人との別れはもういやです。優ちゃんにはもう、お友達との別れを経験させたくない、と思うけれど無理なのでしょうか…?

こんな時にこそ、将くんがいてくれたらと、余計につらくなります。
半年前まで仲良くしていた近所の友達(弟家族も含む)4家族のうち、うち以外の3家族が、関東に転勤・・・・。関東では、あの時のようにみんなで仲良く遊ぶんだろうな…・。取り残された気持ちで淋しい・・…。

でも、いつまでも悲しんでいても、転勤がなくなるわけではないので、引越しの日までに、引越ししてしまっても淋しくないように、何かを見つけていかなければならない・…。きっと、優ちゃんは、学校が始まると仲良しのお友達がたくさんいるので、きっと気も紛れるのではないかと思っています。


8月18日
最近、夏ばてぎみです。ゆうちゃんの風邪がうつったようで、のどが痛くなってきた。明日、病院でいっしょに診てもらおうっと。 最近ね、すごく将くんに会いたいくて…優ちゃんの成長を見ていて 楽しそうだし、私も優ちゃんと生活してとっても楽しいから だからこそ、将くんにも生きていてほしかった。
一緒に楽しく遊びたかった。優ちゃんと同じ経験をさせてあげたかった。

先日優ちゃんが風邪をひいたので病院に行った時のこと、待合室で待っていると男の子と女の子を連れたお母さんが診察室から出てこられました。

丁度、1歳半前後かな…。男の子はとっても元気で先に靴をはかせてもらって、早く外へ出たくてドアを押したりしていた。女の子はお母さんに抱かれて靴をはかせてもらおうとしていた。でも、なかなか言うことを聞かなくて、お母さんもイライラしたみたいで、とうとう子供が2人とも大泣きをしました。

その瞬間、2人が同時に泣いて困って育児をしていたあの頃にタイムスリップして、私の心臓はドキドキして、落ち着かなくなりました。その泣き声はしばらく続きました。

手を貸してあげたいという気持ちと、そんなことをしたら、きっと私はその人に
『震災であなたと同じ男女の双子の一人を亡くしているんです』と涙ながらに言ってしまいそうでできないという気持ちが絡み合って・・・・

そして、その泣き声を聞くのが辛くて、頭を抱えて『やめて!!!』と叫びそうになった。その時、やっと看護婦さんが来てくださって、どうにかおさまりましたが、もう遅かった…・。私の心は、乱れに乱れ弱っている心に追い討ちをかけるように、大きな傷跡を残しました。

まだ、カウセリングが必要かな?

元気に生活している分、本当の気持ちを外に出せなくて自分の中だけに閉じ込めてしまっている。素直に悲しいと泣けていたあの頃、寝込めていたあの頃に行きたい。どこか誰にも邪魔されずに静かで涼しくてゆっくり休みたい。


8月15日
すごく久しぶりの日記です。
忙しかったのと、落込んでいて(まわりの人は気がつかなかっただろうな)、自分の気持ちを言葉にするパワーがなくなっていました。
今も、実はパワーダウン中です。

今日、お友達と遊んだあと優ちゃんが、39度5分の熱を出した。ぐったりしていた。
でも今日はお盆休みでかかりつけの小児科もお休み、救急病院も夜の8時半からしか見てくれない…・。
見てくれるのは、震災の時に将くんを連れて行った、あの病院だけ・・・・。
ここで、私が意地を張ってあの病院に行かず、救急病院が開く時間まで待っていて、もしも優ちゃんにがどうにかなったらと思って、私はその病院へ行くことにしました。

ここに引越ししてきて、いつもその病院の側を通って看板を見るたびにあの時のことを思い出し、辛い想いでいたあの病院・・・・

何があっても、行けないと思っていた病院・・・・。
大げさだけど、優ちゃんの命のために行くことになるなんて・・・・
でも、たの誰の為でもなく、優ちゃんの為だから、行けたのかもしれない。

病院に入って、私の目はあの時の記憶をたどっていた…。
将くんを寝かせた診察室の前の廊下、パパに電話した電話ボックスetc…

あれから、増築されたようで、将くんを抱いて車が来るのを待った駐車場は
診察室に変わっていた。
一緒についてきてくれていた母が教えてくれた。

あの時は、ぐったりした優ちゃんを抱いていて、色んなことを考える余裕もなく、バタバタと通りすぎたけれど、あの場所で、将くんの心臓マッサージをして…なんて考えると5年8ヶ月も経ったなんて思えない、昨日のことのようです。

いくら時間が経っても、将くんの死は受け入れられないし、罪悪感は消えない。
今、何事もなかったように毎日を過ごしている私…
友達と遊んだり笑ったり家族で出かけていること、
すべてがいけないことをしているようで、ゆっくり休みたい。

8月1日
将くんを連れて(写真とお骨)ディズニーランドへ行ってきました。将くんの好きだったミッキーに会いに…。

この5年半辛くて行けなかったんだけど,主人の妹に赤ちゃんが産まれ会いに行く前に行くことにしました。 ミート・ザ・ミッキーでは、将くんも一緒にミッキーと写真を撮ってもらいました。 ミッキーが,将君の写真を抱きしめてくれてほおずりをしてくれたの… うれしい気持ちと、生きてくれていたらと思うと悲しい気持ちと、その半分半分の気持ちが入り混じって泣いてしまいました。

夫婦では10回近くいった事があって、震災の年のGWに大好きなミッキーを見せに行ってあげようと計画していました。1歳半までは、ホントに育児が大変で、行きたくても なかなか行こう という気になれなくて・…、やっと,2人も落ち着いて、これなら行けるよねって,計画した矢先の震災・・・・。
それから、ディズニーランドと聞くだけで連れていってあげれなかったことが残念で辛くて胸が苦しくなっていました。

そこでは,6年ぶりの友達に会いました(将くんの事を抱っこしてくれた)。その友達は少し霊感が強くて、ほかの友達を通じて教えてもらったのだけど、私とあった時に将君もいるって感じてたらしい・…。そう言えば,その時,将君絶対来てるよって何回も言ってくれていた。 その事と、ミッキーの写真のことで,行ってよかったと思えました。

5年半以上経ってやっと行けたディズニーランド…。
絶対泣いてしまうだろうと、思っていったディズニーランド…。やっぱり、
色んなアトラクションを見てはたくさん泣いて来ました。
すべて、将くんと一緒に来たかったとう想いで見てきました。

将くん、絶対一緒に来てくれていたよね。ミッキーにあってくれたよね。



7月
2000年7月8日(土)
今日で、震災から2000日経ちます。
あれから、2000日・・・・。
長かったような、昨日のことのような・・・・。
あの時1歳半だった優ちゃんは、もう7歳…。 2000日の重みをひしひしと体で感じています。
天国へ逝ってしまった子供たちのあるべきはずだった人生、どうにかして取り戻してあげたい、そんな気持ちでいっぱいです。
生きていれば、色んな事を経験させてあげれたのに・・・・。 私の目や体を通じてではなく、将君の目や体で経験させてあげたかった。 今は、色んな事をできるようになって、時々そんな自分を冷たい母親だって責めながら、やっぱり、今の生活を元気に(表面的には)過ごしてしまっています。 そんなママを将君が見て、きっと安心しているよって色んな人からいわれて、そうかもしれないって思えるようになって、元気な自分でいれるように頑張っているけど、時々、ふっと、将君に申し訳なくなってきます。色んなことを楽しんでいるママをどんな気持ちで見ているんだろうなって・・・・。色んな事がぐるぐる回りながら、毎日を過ごしています。

6月

6月11日
今日は、ハーバーランドへ行ってきました。
昨日に引き続き雨も降らずにどうにかもちこたえてくれました。
お店で、ウルトラマンとバルタン星人のライターを見つけたので、思わず買ってしまいました。以前にも買った事があってずっと探していたのでうれしかった。

将くん、今日おばあちゃんが将くんのためにお庭に咲いたゆりをたくさん切ってくれたよ。見えているかな?
将くん会いたい…・。


6月7日
ここ何日か、気持ちが後戻りしています。最近、色んな所で地震があったり、
また色々あって、気持ちが辛かった時に後戻りしています。
色んな事できるようになってきたし、自分の気持ちを整理できた事もあリます。
でも、悲しみや自分を責める気持ちは、ごまかして生きてきたんだなって感じがします。悲しみについても頑張らなくちゃって思いながら、将くんを失った悲しみや、同じような子供、赤ちゃんを見て辛いという気持ち、その他いろんなことを横において歩いてきてしまった気がします。
頑張ってきた糸が切れて、久々のブルーモードになってしまいました。
自分でも、また、こんなにブルーモードになるとは思っていなかったので、
その事もショックです。
これから、何回こんな事を繰り返して生きていくんだろう。
心が弱っている今日この頃です。
6月2日
この間、インターネットでしりあった、将君のお友達のママ達に会いに行って来ました。突然決めたことで、まわりをビックリさせてしまったけど、思いきって行ってよかった。お昼過ぎから出かけ、夜遅く帰ってきた。わずかな時間だったけど、直接会ってお話できてよかったと思います。将君のお友達にも、ご挨拶ができたので、ほっとしました。
昨日、そのママが入院したという知らせ・・・、とってもビックリしました。私達が行くことで無理させてしまったんじゃないかと、申し訳なく思っています。


5月

5月17日
今日は、月命日でした。今日は、とっても涙もろくて、お寺さんが来られている時に 本当に久しぶりに涙がボロボロと出てきました。自分でもあんなにたくさんの涙が出てきてビックリしたほど・・・・・。
久しぶりにお経の間に涙が出てきて、優ちゃんはビックリした様子、でも、ティッシュを持ってきてくれて、私の膝にのって来てだきついてきた。
不安だったのかな?それとも慰めてくれたのかな?
そんな優ちゃんに助けられて生きています。

たくさんのお花を買ってきたけど、そんなことしかしてやれないこと、悲しい。
今、いったい何に興味を持っているんだろう。どんなお友達を作っていたんだろう。優ちゃんや優ちゃんの友達を見て、想像していく事しかできない。優ちゃんが興味をもっているもの、ほしいもの、それを将君も大好きかも知れないと思って、買ってやる事しかできない。母親なのにわかってあげれない自分が情けない。
強がっている私、楽しんでいる私、泣いている私・・…、すべて今の本当の私のような気がする。

今朝、こちらで地震がありました。その時、また私は一瞬、優ちゃんをかばうことで きませんでした。 寝ていたとは言え、私は、あの時の私のように守ってあげれませんでした。ショック です。 たまたま、小さい地震だったけど、あの時と同じ大きさの地震だったら、また優ちゃ んまで・……。 いまだに、「子供を守る」という言葉を聞くと辛くなります。守れなかった自分を責 められているようで。
最近、少し元気になってきていたけど、今日はちょっとダメみたい。
今 のところ、楽しんでいるふしが強いけど、いつかばたっと来てしまうのかな? いまは、悲しい私だけじゃなく、元気な自分と悲しい自分が混ざり合って同居してい る状態です。

7月に誕生日を控えています。ここ何年間か、すぎてから、落ち込みが来 ます。その日までは何かしら頑張って何かをしていかなくちゃって思うんだけ ど、それがすぎるとすべてが、むなしくなるの。入学式の時のようにね。

5月8日
シャボン玉
シャボン玉の作詞家は、自分の幼い子供が亡くなった時にその子を思ってシャボン玉の歌を作詞したそうです。
その事を知って、将くんを亡くしてしばらくシャボン玉の歌を聞く事が辛くなりました。でも、悲しい時に気が付いたら口ずさんで泣いてました。歌だけではなく、シャボン玉を見ても涙が出てきました。
そんなある日、子供番組で『シャボン玉は消えたらどうなるんだろう』『お空の虹のもとになるんだよ』そして、虹がバックに映る・…、ただ、それだけの言葉で、心が温かくなりました。
そうか、消えてなくなるんじゃなくて、お空で虹になってていたんだ。とってもうれしかった。将君が虹になったと思っているわけではないのだけど。なぜか、ほっとしました。
それから、虹を見るととってもうれしくなりました。
5月7日
今日は、入学式に撮った写真ができあがったと写真屋さんから連絡があり、受け取りに行って来ました。将君のお骨を抱いて撮った写真…、切ないな。優ちゃんだけの写真が撮れなくて、将くんも一緒にって撮りに行ったけど、切ない写真になってしまった。でも、優ちゃんだけだったらもっと悲しかったかな?何年経っても成長することのない将君の写真・・…。写真の中の優ちゃんだけがお姉ちゃんになっていって、将くんは1歳半のまま。

写真を取りに行った時に、お宮参りの写真を取りに来てる方、2組と出会いました。こちらは、亡くなった子供と一緒の悲しい写真を持って、その人達は、正装をしておじいちゃんおばあちゃんたちと一緒に幸せそうな様子でした。そこにいた赤ちゃんが、まともに見れませんでした。将くんと優ちゃんもそこでお宮参りの写真を撮りました。幸せいっぱいの思いでのある写真屋さん・……。

優ちゃんの成長を見て、感謝していくと同時に将君のいない悲しさを持って生きていくのです。優ちゃんとともにこのホームページを作っていく事ができる日が来てほしいなって思っています。

5月6日
最近、とってもブルーで5年間の間に自分の心の中を整理していたつもりでしたが、 それがパズルをバラバラにしてしまったようにバラバラになってしまいました。
悲しみの葛藤の第一時期がすんで、第二時期には入りつつあるようです。

今まで、たくさんの人に将くんの事を 知ってほしくて友達に話して来たりしてきました。 そして、HPを開設して自分の思いを伝える場を持つこともできました。 今まで自分なりに 一生懸命やってきましたが、最近、私は何のために生きているん だろうって疑問に感じてきました。 将くんの事を人生の柱にして生きていきたいのだけど何をどうしていいかわからなくなってしまって心乱れているところです。 将くんをなくした当時、1年先、3年先5年先が見えなかったように、5年たった今、10年先、20年、30年先がとっても不安でなりません。 どのように私は、これから生きていくのでしょうか? このままでいいのかなって、疑問に思っています。
将くんの事を生活の一部として生きていけるのだろうか? たった、5年しかたっていないのに、その間に考えたことで、残りの人生 を送っていいのかなって、将君のために何かしなくちゃって思っています。 でも、それが何なのか考えられません。 将くんが亡くなった当初、悩んだことと同じ事をまた悩んでいます。 あせっても、仕方ないと言うこともわかっています。
ホームページで震災のページを作っています。今まで辛くて書けないという理由で、避けていたのですが、今書き始めて、確実に記憶が薄れていることに気が付きました。その事が、ショッ クで将くんの記憶をすべて自分の中で覚えておきたいのに思い出せない部分があっ て、情けないです。

ホームページを開設してそれによってたくさんの天使ちゃんたちやそのお母さんたち に出会って、日常の生活では心の中だけにしまい込んでいた悲しみをもう一度、自分の目の前に持ってきて悲しみにとっぷりつかった生活を過ごしています。その分、色んなことを考える時間が増え、心がブルーになる事が多くなりました。でも、ほっとするんです。将くんの事で悲しんでいる自分が・・…。楽しい事をしてい る時よりも悲しみの中でいるほうが、居心地がいい…。 だから、あえて私は、悲しみに向かって生きているのかもしれません。

でも、自分一人で受けとめられなくて、同じ思いの人を求めているのかもしれませ ん。 悩んでも、今すぐ答が出るものじゃないのですよね、色んなハードルを一つずつ乗り 越えて探していかなくちゃいけないのですね。

パズル、また1から組み立てていこうと思っています。完全なものは一生できないか もしれないけど、何回も崩れて組み立てているうちに少しずつ、納得のいくものがで きると信じて…・・。

5月5日
優ちゃんがチーズケーキを作って、それに折り紙で作ったこいのぼりを立ててくれました。 そして五月人形をバックしにして記念写真を撮りました

将くんがいれば、どこかに遊びにいってこんなお祝いはしていないのかもしれません。

この日を日本中でどれだけの人が、辛い思いで過ごしているのでしょうか
生きていれば初節句をお祝いするはずだった子供たちもたくさんいます。お店に並べられている、五月人形、テレビのコマーシャル、広告などを見て、涙している家族がたくさんいらしゃいます。

ゴールデンウィークで世の中が楽しい行楽のシーズン、それを辛い思いで過ごしている人達がいることを知ってほしいと思います。