3月20日
17日は、優ちゃんの卒園式でした。詳しくは、震災後の家族「優ちゃんにとっての将君の死」卒園式を読んでね。ここ、1ヶ月間、卒園、入学に気持ちが行っていて、ショックを受けないように自己防衛本能のためか、ショックを受けないように、色んな事を考えて、書いたり行動したりして、知らず知らずのうちに、随分無理をしていたみたいで、卒園式を終えて、その事を書いたら、気が抜けてしまった。まだ、入学式という悲しいセレモニーが残っているのに大丈夫かな?頭を休めようと思っても、気がついたら色々考えてしまう。そんな風にしているから、よく考えると、小学校の準備をしていない事に気がつく。色んな用品に、名前を書かなくちゃ。将君の分もあるから、結構大変、生きていればこの事を、みんなに愚痴として話すんだろうけど、やっぱり、言えないで心の中で思っているだけ、でも、私には、ホームページがあるから大丈夫、『双子だから、小学校の準備をするのも大変、お金も名前書きも二人分だから…』
ちょっと、悲しい・・・・・やっぱり無理してる気がする。今日、優ちゃんの幼稚園のお母さん達とお昼御飯を食べに行きました。そこにはじめて会うお母さんもいて、『子供さんは、お一人ですか?』と聞かれたので、将くんの事を話しました。話しているうちに、その方が母のお友達の娘さんだということがわかり、将くんの事も、知ってくださっていました。こんな時、実家に帰ってきたんだなって思います。今日、幼稚園のお母さん達のお別れ会があり、卒園、アルバムをもらってきました。その最後に、手型と足型が押してあるのをパパが見て、『将くんの手…』と、いいました。「将くんの手」というのは、将くんと優ちゃんが、1歳過ぎのときに、石膏でとった手型の事です。それを出してきて見たのですが、立体的で、手
そのものの形をしていて皮膚の細かいしわもそのまま残っていて
すごく悲しかった。将くんの、立体的な形として残っている唯一のものです。あっ髪の毛で作った筆もあるか・…。
どうやったら、いつになったら将くんに会えるのでしょうか。もう一度、抱きしめてあげる事ができるのでしょうか?
3月13日
今日は、なぜか、イライラして優ちゃんに八つ当たりをしてしまいました。よくやってしまい事なんですが、必ずあとで落ち込んでしまいます。この子は、あの地震で生きていてくれたこなのに・・・なんで、怒ってしまったんだろうって。そのあと、将くんの事や色んな事を考えて、思いっきり、ブルーになってしまいました。暗い、夜です。
3月6日
今日、テレビを見ていたら、火事になっている家の中に5歳の女の子が取り残されて、それを助け出そうと半狂乱になっているお母さんが写されていました。女の子は,消防団員に助け出されたのですが、呼吸停止。救急車も来ていない。その間に,消防隊員が,人工呼吸をしてその子はそのおかげで助かりました。
将くんの事を思い出して胸が苦しくなった。あの時、つぶれた家のなかで生き埋めになった私たち、助け出されたのは母と優ちゃんと私…将くんだけ,まだ家の中その時の自分を見ているようでした。いえ、生き埋めになっているときから感覚が麻痺していたというか、自分の子が死んでしまうということをまさかと,信じていなかったので冷静だったような、よくわからない感覚でした。
将くんを出してすぐに、人工呼吸をしてあげてたらもしかしたら,この子みたいに生き返ったかもしれない。ただ、抱いて道をうろうろするだけで・・・・・何もしなかった。
これだけ書いてもう胸が苦しい。HPアップできるか心配になってきた。この事は,パパは山口にいたからわたししか知らない事で私が,残さないといけないことなのに。どうしよう。
私は、何をして生きていったら,将くんに天国であった時『ママ,ぼくのためにありがとう』っていってくれるのかな?私はそれをさがすためにこれからの人生を生きていくつもりです。
3月5日
私がHPを開設したときに、私のHPが、普段の生活では、口にできない、子供を亡くした人だけしか理解できない気持ちを話せる場になってほしいと思っていました。
子供を亡くした人達、すべてが同じ仲間だと思っています。色んな考え方、状況は違っても・・・
時間が経つと色んな人と自分なりに上手に付き合えるようになってきましたが、どうしても、普段の生活をストレスなしで過ごす事がで来ません。同じ思いの人が、ほかにいることを知り,思いを話す事によって発散できればと思っています。
そこで、出会ったのが、子供を亡くした人のメーリングリストです。そこには流産、死産、乳児、幼児を亡くされた方がいらっしゃいます。子供を亡くされたばかりの方や少し時間が経った方、何年か経っていうる方、本当にさまざまです。でも、天使になった子供を持っているということは共通しています。私が、作りたかった場所がそこにありました。
人間はストレスを発散する場所が必要だと思っています。
私も、イライラしたら つい、子供にあたってしまいます。生きていてくれている事をありがたいと思っているのに・・・・・・それが、音楽であっても、友達に送る愚痴のメールであっても、衝動買いであっても、大食い(笑)であってもいいと思うのです。私は同じ経験した人の中にいると安心します。天国にいる子供たちはみんな将くんの友達で、そこに集まった方たちは将くんのお友達のお母さん達だと思っているからです。先日、優ちゃんが(今、幼稚園年長)が、寝るときに言いました。
『ママ、死んじゃった子を天国から連れ戻したら行けないって、神様が、連れ戻しにきたお母さんに言ったんだよ、「連れ戻すと、途中で迷うんだって、迷ってしまう
のと、このまま天国で楽しく暮らしているのと、どっちを選びますか?」って、』
私は、そのお母さんは、どうしたの?と聞きました。『連れて帰らなかったんだって、だから、将くんも連れて帰ったらダメ。』って、言いました。まだ、むずかしい言葉がを理解できないのに、優ちゃんなりの言葉で一生懸命、言ってくれました。(テレビで見た話らしいです)
ん〜っぱり、私も将くんをそのまま天国においておくかな?
天国が楽しのなら・・・・一人で迷わせたくないから・・・
この話、もし、優ちゃんでなく、他の人に人に言われていたら、きっと受け入れられなかったかもしれない。優ちゃんが将くんのためにママに教えてくれた話だから、心にすっと染み込んできました。私は、天国で楽しく遊んでいる将くん、そして、いつもママやパパ、優ちゃんの側にいてくれる将くん、両方信じています。
3月3日
先週、私が高校生のときに大好きだった、チューリップのCDを借りてきて聞いています。愛の歌が多いのですが、その愛の相手を将くんに置き換えると、ピッタリ来てなんかジーンとして涙が出てきます。同じ歌なのに、その時の年齢、状況で感じ方が全く違って不思議です
3月2日
今日,将くんのためにお花を買ってきました。なるべく小さなお花がいっぱいついて
いるお花をたくさん選びました。お空にいる天使たちの数には,到底,足りないかも
しれないけど、その一つ一つがお空の天使たちに届けばよいと思います。黄色や,ピ
ンク,白,水色・…色んな花を選びました。きっと、それぞれ好きな色が違うかな?
と思って。
HPを作るまで、私は将くんの事をみんなに知ってもらおうととっても頑張ってき
ました。こんなに頑張っても、みんなは優ちゃんママとし
か呼んでくれません。
双子を産んで、みんな私のことをなんて呼ぶんだろう?将くん
ママ?それとも優ちゃんママ?いやいや、将くんと優ちゃんのママ?なんて考えたりしていたんだけどな。<BR><BR>今年『将くんのホームページ』を開設して、
他の子供を亡くした人のHPを見たり、掲示板でお話したりしてお友達になりました。こんな時間を過ごしていると、将くんの為に時間を使っているという満足感があり、また『将くんのママ』にもどれた気がしています。今の生活の中では、もう誰も呼んでくれない『将くんママ』、その『将くんママ』でいられる時間です。
優ちゃんは、自分でママを必要としているときは言ってくれます。いくら私が、今忙しいからと言っても、ママ早く!ママ来て!と大騒ぎしています。
でも将くんは違います。天国でママを必要としていても行ってあげれません。私にしてあげれる事は、
将くんの存在が消えてしまわないようにする事、天国から見て、ママ、僕の為にも
色々頑張ってくれているんだ、と思ってくれるように。それと、天国でお友達がたく
さんできて楽しく過ごしている事だけを願う事だけです。私は、そのことを自分が生きている意味として生きようと思っています。いつか、天国で将くんに会えた時に、
ママ、将くんの為に頑張ってきたよって、言えるように。
2月28日
3年半、前に同じ震災で子供を亡くした人と話す機会があって,その時、その人はとっても前向きに見えて,私はとってもビックリしました。当時、私は,1年半しかったっておらず、まだ,死にたい,死にたいと思っていましたから・…
先日,私が,ここに引越ししてきてからはじめて,スーパーでばったりその人に会い
話をしました。今度は,気持ちがピッタリあっていました。その間,一度も会って
いなかったのに、きっと,時間が経って二人の気持ちは同じだったんだなってんだなって感じました。その方のお子さんは小学校3年生のときに震災で亡くなりました。きっと、お空で遊んでもらっている事でしょう。
その人によって、悲しみが癒される時間も、悲しみ方も,その表現のし方もすべて違
うと思うのです。私達,夫婦は,同じ,将くんの親でありながら悲しみ方感じ方,表現の
し方が違いました。それでこの5年間、随分けんかしました。多分これからもきっと,
たくさん喧嘩するでしょうね。
2月19日
「いつでも会える」菊田まりこさん著は、本屋さんで立ち読みをしていたのですが、
涙が次から次に流れてきて困りました。 思わず買ってしまいました。私の実家(今、引越ししてきて住んでいる家)には、白
い犬がいます。出産で帰ってきて子供達が寝ている部屋の横に犬がいて、あまりなつ
かない犬だったのですが将くんを抱っこして犬を見ていると、その犬がしっぽを振っ
て喜んでいました。亡くなる前の夜にも将くんは「わんわん」と言って犬のところに
行くと泣いたので、夜の10時ごろに犬を見に行きました。その犬と、絵本のシロが
かさなったのと、その時、将君のことを優ちゃんの前で話していることはよくないと
言われて、悲しい思いの中で見つけた本だったので、そうだよね、いつでも側にいる
んだよね、って、とっても悲しかったのです。今6歳の子にどれぐらいわかるのか
なって思いながら、子供にはまだ見せていません。
2月18日
今日は優ちゃんの幼稚園の生活発表会でした。(劇をする)<BR>ゆうちゃんの幼稚園の子供が、で去年の暮れに火事でお母さん,お姉ちゃんとともになくなりました。優ちゃんの出た第3部はその子供のいたクラスと一緒でした。私はそのクラスを見ながら,その子は本当はここにいたのになんて考えると一人でうるうるしていました。話のないようも白雪姫・・・毒りんごを食べて倒れている白雪姫にすがって泣くこびと達「起きて,起きて・・白雪姫が死んじゃったよ〜」私は,この言葉に弱いのです。以前,ポケモンの映画?でサトシ
が死んでピカチュウが一生懸命サトシを気がつかせようと電気ショックをあびせるという場面があって、将君が死んでしまったときに私がとった行動と同じで悲しくて,映画館でボロボロ泣いてしまいました。今日はその時と同じ情景で涙をこらえるのがやっとでした。
すべての劇が終わり,園長先生のご挨拶で、去年なくなった子供の話しをされました。園長先生も泣きながら,きっと天国でこの発表会を見ていてくれていると思います,そして,今では天国の新しいお友達と一緒に遊んでいると思います、と話されました。天国のお友達=将くんかな?また、優ちゃんの劇も将君は天国?(ママの側)で見てくれているかなと思っていました。その事と重なって、思いっきり泣きました。そのこの名前は,のぞみちゃんです。私は,顔も知らないのですが今頃、将くんと遊んでいるかもしれません。その子は,優ちゃんとも遊んだ事あるみたいなんですよ。天国で、将君と一緒に優ちゃんの話をしているかな。
知っていますか、『ひかりの世界』という本を・・・・葉
祥明 作 佼成社出版です。<BR>病気で亡くなった男の子が悲しんでいるお母さんに向けてのメッセージを描いています。将くんを亡くしてすぐに読んだら,きっと受け入れられなかったと思います。将君がいる世界がすばらしい世界である事を信じています。ん?側にいると信じている私なのに,なんか矛盾しているかな?
2月17日
今日は将くんの月命日でした。
お花やお菓子をいっぱい買って毎月お寺さんに来ていただいています。今頃将くんはどうしているかな?
優ちゃんママ(掲示板で参加してくれている)が言っていた天使の羽(雪)、こちらでも
ちらちらと降ってきました。昨日の事なんだけど・・・・
これが天使の羽根だ、なんて考えると涙がじわっと出てきそうでした。
空を見ると青空と白い雲がいくつかありました。将くんを亡くした頃、窓からボーっと空を見てどこにいるんだろうなって探していたっけ、昨日もそんな気持ちで空を見ていました。
あの時は、将くん一人だけを探していたんだけど、昨日は小さい子供達が、うじゃうじゃいる様子が自然と浮かんできてたくさんの子供たちの姿を探していた気がします。
5年間に将くんもお友達たくさん作ったんだろうなって考えていました。
今頃何しているんだろう。私の側でパソコンの画面を見ているのかな?それともパパや優ちゃんと2回で寝ているのだろうか。それとも、お空(天国)のお友達と今日お供えしたお菓子をバリバリ食べているんだろうか。将くんが食べたことのないお菓子がいっぱいあるから今は食べる事に夢中でままの事忘れているかもしれない。
優ちゃんもお友達が来ると、お供えしているお菓子をお友達に配っていい気分になっているから、きっと将くんもお空のお友達に、『僕、今日、月命日(そんな言葉知らないか)だからお菓子いっぱい持っているんだよって、みんなに配って、みんなでそれを食べて、みんな口のまわり、お菓子だらけで騒いでいるかもしれない。
天使の羽が降ってきたときもお空でパーティーでもあったのかな、それとも運動会?お空でみんな楽しくやっていてくれたらいいな。いつかママが会いにいったときにママも仲間にいれてほしいな。
(今日、あるメーリングリストに投稿した文章です。将くんの天国でのお友達がいっぱい増えました)
2月14日
今日、小学校の入学説明会がありました。いよいよ、優ちゃんは小学生・・・いろんな説明の後、用品の販売がありました<BR>それぞれ、必要なものをその場で買うのです。将くんのものは、後で買い足すのが大変そうなものを今日かいました。
小学校になったら幼稚園のように、いろんな物をもう、買ってあげれないのかな?って、思っていたので、事前に自分で買っていた絵の具セットやピアニカ、上履きなど以外のもの、算数セットや体操服などが買えたのでうれしかった。でも、本当ならここで私は、『双子だから、何でも二人分用意しなくちゃいけなくて大変よ、この荷物持って帰れないわ〜』なんて、行っていたんだろうなって、思うと辛かったけど、今日は、算数セットや体操服を買ってあげれた事を喜ぼうと思います。今までも、これからも、優ちゃんだけなんだなぁ〜幼稚園や学校の卒園証書や入学通知などがくるのは・・・・なんて、改めて感じ淋しい日でした。<BR><BR>今日はバレンタインデーでした。私の義妹から、将くんにチョコレートをもらいました。小さくて、チョコレートをまだ食べさせていなかった事悔やんでいます。こんな事になるなら、こんなにおいしいチョコを食べさせてあげればよかった・・・
だから、今日もらったチョコ、天国で食べてくれますように・・・
今日、私の遠くに住んでいるお友達(将くんも生きているときに遊んだ将くんのお友達のお母さんたち)から、お花が届きました。月命日でもないのにと思ってみてみると、バレンタイン用のアレンジでした。心があったかくなりました。生きていれば、幼稚園で1個ぐらいチョコはもらえたかな、なんて思っていたのでうれしかった。
この5年間の事、傷つく事をいっぱい書いてきたけど、5年たって、考え方をちょっと変えて、心があったかくなった事もいていきたいな、なんて、今思いました。でも、悲しい事も書いていくつもりだけど。
2月12日
この週末に、ランドセルを買ってきました。もちろん将くんのも・・・・そして、今鉛筆やふでばこノートにも名前を書きました。
当然のように、将くんのにも名前を書いて、いたのですがふっと、あ〜将君はいないんだぁと考えると胸が苦しくなってしまいました。<BR>横で喜んで準備をしている優ちゃんに『ねえ、優ちゃん、将君は死んじゃったからこのノートに、お勉強したことかけないから優ちゃんが、学校で習った事、将くんのノートに書いて教えてあげてね。』と言いました。優ちゃんは、『うんいいよ』と、自然に答えてくれました。なんかほっとしました。
今日、お昼に、子供と「ドラえもん」を見ていたときのことです。話の中で、のびた君がタイムマシーンで幼稚園のときに死んでしまったおばあちゃんに会いにいったのですが、その時に、おばあちゃんが、「私は、もう、年だから、のびちゃんが小学校に行くまで生きていられないかもしれない。のびちゃんがランドセルを背負っている、姿をひとめでいいから見たかった。」としみじみいっていたのですが、それが将君の事と重なってしまい、悲しくて涙が出てきました。
子供向けのアニメって油断して見てしまうけど、結構悲しいものが多くて、よく泣いてしまいます<BR>最近見たものでは、むかしのアニメで『みなしごハッチ』、『ひみつのアッコちゃん』などです。みなしごハッチは、お母さんと離れ離れになってしまい、お母さんを探して旅をしているのですが、なかなか、お母さんに会えそうで会えない。将くんも、そんな風に私を探して泣いていいるんじゃないかなって考えると涙があふれてきます。
ひみつのアッコちゃんは、じつは、アッコちゃんが生まれる前に生まれてすぐに死んでしまった赤ちゃんがいてその事を知ったことで、色々アッコちゃんがショックを受けるという話です。泣きそうになっている顔を優ちゃんに見られ慌ててしまいます。
「おかあさんといっしょ」「みんなのうた」などもそうです。お父さん、お母さんと、大切な子供たちという内容の歌は、全部悲しくなってしまいます。生きていれば、感動したりするのでしょが・・・・<BR><BR>将くんのランドセル姿、ひとめでいいから見たかったな。ママたちが買ったランドセル、天国でも背負えるかな?
2月8日
2月2日NHK神戸の方から、取材申し込みのお電話を頂きました。年末にも、1月17日の番組作りのための取材の申し込みがありましたが、TVと言う事でお断りしました。(私が、若くてきれいだったら喜んで?お受けしたのですが、おばさんで恥ずかしかったので)<BR>でも、私としては将君への気持ちや子供をなくして5年経ち、見た目は元気になったけど、けして、子供をなくした事に立ち直ったわけではなく、亡くなった子供と共に生きていると言うような事を色んな人に知ってほしいという気持ちが強かったので、今回は取材を受ける事にしました。
主人は、最後の最後までいい返事はしませんでしたが、私の中では、主人が取材を受けなくても、私だけは受けようと思っていました。<BR>(出来るだけ、私のアップは避けてほしいのですが、いったいどんな顔が映るのでしょうか)
事前にNHKの方の、いろいろなご配慮をうけ、主人もこころよく取材を受けることになりました。
当日、初めてTVカメラを前にして緊張しましたが、私達がお話ししたいことについて80%ぐらいは聞いていただけたかと思います。でも、『あっ、いい忘れた、と言う事もありましたが』HPには書いてあるので良しとしましょう。
スタッフの方たちも皆さんいい方で、取材を受けた印象とってもよかったです。これは、夫婦の意見です。
また、恥ずかしがりの優ちゃんですが、来てくださったお姉さんを気に入って「ねぇ〜ね」と言ってとってもなついていました。親以外の大人なつく事のほとんどない優ちゃんなのであんなになついている姿にびっくりしました。優ちゃんは、あれから「ねぇ〜ねは、いつくるの
」と言っています。
NHKの方々、色々お世話になりました。
今、外を見ると、なんと雪!
将君にも雪遊びさせてあげたかったなと思います。明日雪が積もったら一緒に遊ぼうね。
1月25日
インターネットで他の方たちのホームページを発見!子供を亡くした人がたくさんホームページを作っていらっしゃる事実にびっくりしました。
将くんを亡くした頃から、インターネットで心の交流ができたらなって思ってはみたものの、子供を亡くした人達には、そんな事できる人達はいないだろうなって、思っていました。少なくとも
私には、そんな事をできるだけのパワーは全くありませんでした。
将くん今頃どうしているんだろう、こんな、ママを見ていて怒っているだろうか。優ちゃんは、ママが、泣きまねをしても、それが「うそ泣き」とわかっていても、ママの顔をのぞきこみ、ママが笑うのを待っています。
将くんもママが泣いているのを見て心配しているのでしょうか。将くんが1歳半で天国に行ってから、ずっと心配しています。<BR>あの時、ママの姿が見えないだけで泣いていた将くん・・あの後、優ちゃんもずっとママの姿が見えないと泣いていました。ママから、全くといっていいほど離れる事ができなくなりました。そんな、優ちゃんを見ていると、将くんも天国で、ママとはなれて、一人ぼっちで泣いているに違いないと思っていました。
あれから5年、優ちゃんも随分成長して、ママがいなくても、一人でお友達のところに行けるようになりました。そんな優ちゃんを見て、将くんも、天国で成長しているのかなって、思ったりもします。でも、まだ、ママに会いたいよって泣いていたらどうしよう。
子供を亡くした、ある人が、「亡くなった子は、いつも私や家族の側にいて、私は側にいるその子のために、楽しいところに行って、きれいなものを見て、おいしいものを食べて、小さくして亡くなった子のために、私の体を使って、色んな事を経験させてやりたい」と
話してくれました。
私も、5年たって、その話しに、心から同感できるようになりました。これが、もう少し前だったら、きっと、そう思えなかったかもしれません。話してくれた人が同じように子供を亡くしていたという事も、心を素直にできた一つかもしれません。
将くん、側に行ってあげれなくて、ごめんなさい。でも、ママは、将君に会える日を楽しみにして毎日生きています。
1月20日
5年前の今日1月20日は将君のお葬式でした。
たまたま,実家に帰っていて震災に会った私は、お葬式が終わってから自宅のある山口県に戻りました。そして,将くんがいない生活が神戸から遠い山口県で始まりました。
1月18日
昨日,受けた取材された記事が新聞に載りました。カラー写真で載っていたのでびっくり、将くんの写真もちゃんと載っていました。
ホームページもアクセス数が急に増え、マスコミの影響力にもびっくり、どんな人達が見てくれたのかな。
メールを送ってくださった方有難うございました。
1月17日
今年の、1月17日は、はじめて優ちゃんも起こして,朝5時46分を過ごしました。去年は,5歳だったし,起こしても起きなかったのですが、この一年で1月17日が将君の死んでしまった日で,地震の起こった時間は,まだみんなが寝ている,お外が真っ暗のときだったんだよと教えてきました。
追悼式では,当時の写真がスクリーンに写され、私は優ちゃんにそれを一枚一枚、説明しました。優ちゃんもじっと写真を見ていました。
その日の夜、絵を描くのが大好きな優ちゃんは、一枚の紙に家事と自身の絵を描きました。今までも,テレビなどで,見せたり話したりしていましたが、六歳の子の心の中に何か感じるものがあったのでしょう。
追悼式のあと、取材を受けました。将くんの事を話せたので,すっきりしました。<BR>あすの新聞にどんなふうに載るんだろうな。
昨日の夜,ホームページを開設しました。そして,友達にも,ハガキでホームページの事を知らせたので、何人かの友達からメールをもらいました。色んな気持ちなどを書いてくれていたのでとってもうれしかった。
2000.1.15
今日、震災でなくなった子供たちのための追悼コンサートに行ってきました。そのコンサートで配られるパンフレットには,震災で亡くなった子供たちの名前と年齢などが載っていて、悲しいのだけど、「高井
将 」という人間を認めてもらったようでうれしく感じました。
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