MAMA'S DIARY

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震災から年目

1999年8月
三月に転勤で私の実家,(将君が生まれて亡くなった家)に帰ってきました。ずっと,山口県に住んでいて,震災の街に戻りたいと思っていて,やっと念願がかないましたが、戻ってみると,落込むことばかりです。

ずいぶん,被災地は復興してきました。街も人もとっても元気で私の望んでいる被災地ではありませんでした。

家族を亡くした人,そうでない人,ずいぶん差が開いてきているように感じます。5年もたつんだからもうそろそろ前を見て進まなくちゃ、子供は前だけを見て成長しているんだからお母さんが後ろに戻したらいけない…・なんていわれたりして,とっても傷つきました。人間不信に陥って寝込みました。

子供を亡くした人とそうでない人達、いくら歩み寄ろうとしても決して同じ道を歩けないのだなって感じました。
1999年10月7日 今まで、将君のことを色んな人に話すようにしてきたのに、それができなくなってしまいました。

将君のことに関して他の人への人間不信は、私の心の中で固まってしまいました。自分の気持ち、将君の話を口にしないことは、つらいです。すごいストレスです。

今までは、将君の事を知ってほしくて いろんな人に声をかけて、友達を作ってきましたが こちらに戻ってからは、その意欲がまったく無くなってしまいました。どうせ,皆は解ってくれないのだ、と思うと、将君に対する気持ちを自分の中だけに閉じ込めてしまいます。

そのストレスをつい優ちゃんにぶつけてしまいます。そして,いつも心で誤っています。ごめんね。 優ちゃんとにとっての将君 優ちゃんは将君のことどう思っているのでしょうか?
1999年10月 日 先日、ゆうちゃんの小学校の入学者の健康診断があり、学校に行ってきました。将君も生きていれば一緒に入学するはずでした。

あの時、一歳半だったのに、もう小学校・・・・・ 気がつかない間に、確実に時間だけは過ぎていっています。

そこに集まった子供達、特に男の子達、まぶしいぐらいに輝いていました。 

そろそろ、入学準備のことも考えなくてはなりません。将君の分のランドセルや机も用意します。
1999年12月 日 この間、二人分の机が届きました。

将君の机には将君のアルバムを置きました寂しいけど、二つの机を見るとなんだか落ち着きます。

たった一歳半で、人生終えてしまった将君の 在るべきはずだった人生を思うと胸が締め付けられてしまいます。月日がたって、きっとみんなの生活の中から将君はどんどん消えていってしまうでしょう… でも、ママだけは、ずっとずっと、心の中心に入れておくからね。生きていても天国にいてもママにとっては大切な子供だから……そして、会える日が来たときには、もう離さないからね。待っててね、将君・・・・・
2000年1月2日 神戸のルミナリエについて もうすぐ、あの日から5年が経ちます。毎年12月には神戸の街では、阪神大震災の犠牲者の鎮魂と神戸の街の復興を願ってルミナリエが開催されます。私は、毎年そのニュース見るたび心が痛みます。どれぐらいの人が、本当に心から犠牲者ひとりひとりのことを思ってくれているのでしょうか、確かに、復興という意味ではよいのかもしれませんが、鎮魂としてはあまりにも華やか過ぎではないでしょうか。観光化されすぎていると思います。 今回、ルミナリエを開催する前日に障害者の方を特別招待したとテレビで観ました。そのことに、とってもよいことだ思いました。でも、鎮魂ということをいっているなら、まず、一番に遺族が行くべきではないでしょうか、そして、震災のあったひに開催するか、せめて1月17日まで延ばしたらいいと思います。鎮魂という言葉を利用しているだけのような気もします。