MAMA'S DIARY

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震災から四年目
1998年1月
震災から3年経った1月17日は、西宮で悲しみに浸ってきました。

今日は優ちゃんの入園式でした。秋からこの日が怖くて欠席しようと思ったのですが、将くんのために、将くんの入園式の写真をとりたくて、出席しました。 入園式の看板の前でママと優ちゃんと写真の将くんと3人一緒に、写真を撮っていたらとっていたら悲しくてみんなの前で大泣きをしてしまった。将くんがいてくれたらと思う。将くんがいないことを確認させられたようだった。

その日は、西宮市で慰霊祭があり、今年は、追悼の慰霊碑が建ち、将くんの名前も刻まれました。何でこんな所に将の名前が刻まれているんだろう。生きてさえいれば・・・と、涙があふれました。

その反面、幼稚園にも行っていなかった将くん、どんどん存在が忘れられていっている気がしていたので、そこに名前が残ると言うことは、死んでしまったということも認めなければいけないのですが、将くんがこの世に生きていたという証になったと思いちょっと、ほっとしました。

将くんの死は私の人生から幸せという気持ちを消してしまいました。将の一年半しか生きさせてあげれなかった人生を思うと今私が生きていることも罪に思いますが、将の一年半の人生を消さないために 今まだ生きています。

今回、西宮に帰って、当時のことを思い出し心の中で確認してきました。岩国で生活していますと将くんが何が原因で死んでしまったかをふっと忘れてしまいます。

神戸も1月17日前後以外は、街も生活も元に戻りつつあります。同じ、震災を体験した人でも、家族を亡くした人とそうでない人は、随分違ってきています。多分この差は時間がたつにつれてますます広がって行くと思います。
世間、とりわけマスコミは"復興"という言葉が好きらしく、辛い思いをした人達が、生まれ変わった神戸と共に希望を持って歩んでいると安心するようです。


子供を亡くした人が次ぎの子供が産まれ、辛いけど悲しみをのりきって元気で過ごしている、というテレビを見ましたが、その人の表面だけを報道しているようで、少し腹立たしく思いました。

優ちゃんには、今回もいろんな話をしました。岩国にいると解らない、地震で出来た歩道の亀裂、こわれたままになっているブロック塀、更地に御供えされている花束の意味、どれだけのことを理解しているか解りませんが、機会がある度に、話していこうと思っています。

子供を亡くした知り合いの方がテレビの中で"3年もたつとまわりの人が自分たちが元気になっていることを望んでいる、だから泣きたいのに辛いといったり泣いたり出来なくなってしまった"と 話していました。本当にその通りです。少しずつ元の生活が出来るようになるにつれて、人前で悲しいと言えなくなってきました。
1998年3月2日 今日、優ちゃんが寝る前の、歯磨きの時に、急に"ねえ、ママ、将くんが死んだとき、ってあの時?"と聞いてきました。私が、あの時って?って、聞いたら、"十字架の付いているエレベータに乗ったとき、あの時に将くん死んだの?

初め、何を言っているのかわからなかったけど、もしかして、火葬場での事かな、と思い、聞いてみると"十字架の付いたエレベーター"と"一人で病院のベットに乗ってエレベーターに乗った"ということが優ちゃんの中で<将くんが死んだとき>とつながっていることが不思議だ。潰れた家の中にいたときの暗闇でもなく、おばあちゃんの家でもなく、"エレベーター"であることが・・

そういえば、死んでしまった将くんを宝塚の避難所に寝かせていたときは、優ちゃんの様子から、寝ている将くん、だった気がする、そして、おかんに入れてから、その窓から見える将くんをさわろうとしたり、その窓を閉めるときに、バイバイ、しようといったら、いやだと言うように、大泣きして窓を閉めさせてくれなかった。

そして、火葬場で、最後の顔をみてバイバイ、して、十字架のような物の付いているエレベーターに乗ってから、もう、将くんお姿はみることが出来なくなった。

1歳半の優ちゃんにとって、それが将くんの<死>として残っていてもおかしくないかもしれない。優ちゃんが、あの日のことを、覚えていてくれたら、嬉しい、だって将くんと、過ごしとことも一つだけでも覚えていてくれそうだから、でも1歳半のことを、覚えている事ってあり得るのかな?

優ちゃんの今日の話、あの時のことを覚えていてくれていたと信じます。そして優ちゃんの中にいつまでも将くんがいることと、将くんがいつまでも優ちゃんの側にいてくれることを心から願います。

優ちゃんは、自分は将くんと結婚するのだと信じています。でも時々、将くん、死んだから結婚できないと言い出すけど。

今日は、初めて、"ママ、もう将くんに変身してお話ししない方がいいよ(いつもわたしが将君になりきって優ちゃんと会話したりして遊んでいました)" "どうして?" "だって将くんが見ていたら「僕はここにいるのにって」悲しむよ、だから将くんにならない方が(なったつもりで話さない方が)いいよ"って、いいました。いつも"将くんに、なあれ"と 'じゅもん'をかけるのは、優ちゃんなのに・・・
1998年3月8日 最近、姿が見えないけど、将くんが私たちの生活の中でしっかり根をはやしている気がします。

いつも私の頭の中に将くんが居ます。普通生活していると悲しい思いをせずに将のことを考えている私がいます。そして、ふっと写真を見て、ああ将は、死んだのだ、もう還ってこないのだ、と悲しくなっています。

幼稚園で、お友達が自分の兄妹の話をしているように、優ちゃんもお友達に将くんのことを自然にはなしているそうです。だから、たまにお友達が家に来ると。将くんはどこ?と聞きます。そのこのお母さんは困っていますが・・・

今日の夜も、一人で手を組んで(幼稚園はキリスト教)「神様、明日起きたら、絶対、本当の将くんがかえってきていますように」とお祈りしていました。

最近、よく、将くんがいたらいいのにな・・楽しいのにな・・・と独り言を言っています。聞くのは辛いけど、優ちゃんがそういう気持ちを持っていることを知って、安心して、ほっとしました。きっと将くんもそう思っていると思います。 
1998年6月20日 幼稚園のお友達が家に来たときには、ゆうちゃんは一生懸命、将くんの話をお友達に教えてあげています。その話を横で聞きながら、うん、うん、私が望んでいる優ちゃんになっているぞ、と喜んでいます。

私も、幼稚園の、母の会で、クラスのお母さん方に、将くんのことも、知ってほしいので、一度、うちに遊びに来てくださいと、話しており、この間も初めての方が遊びに来てくださいました。

少しでも、たくさんの人に、将くんのことを知ってもらうのが私の人生の、目標です。



お骨について

将くんのお骨は、今仏壇の前にあります。将くんの大好きだったミッキーの刺しゅうをしたカバーを付け、そこには、幼稚園で用意していただいた(たかい しょう)と、書かれた名札、運動会でもらった鈴、ミッキーのぬいぐるみブローチがつけてあります。

私にとっては、形に残っている、将くんだから、実家にかえったり、どこかに泊まったりするときには、必ず一緒に連れていきます。

お墓にもいれません。私が、死んだときに私のお骨と一緒にまぜてもらうつもりです。

最初は、絶対側に置いておきたい、そう決めても、周りの人の目が気になっていましたが、今では、そのことも話して、共感してくれる友達がたくさんいてくれ、気が楽になりました。 優ちゃんには、将くんのお骨が入っているのよ、と話していますが、ちゃんとしたことは、まだ、話していません。もう少ししたら、話してみようかなと思っていますが、まだ迷っています。
1998年6月21日 今日は父の日でした。昨日優ちゃんが父の日のプレゼントを幼稚園で作って持って帰ってきました。それを仏壇に飾って、一つしか無い ということが悲しかった。母の日もそうでした。
去年、近所の双子ちゃんが、二つプレゼントを持って帰ってきたのを見て、うらやましいのやら悲しいのやら、複雑でした。

こどもの日には、五月人形を出して、何気なく、たくさんの人を家に呼んで、将くんは死んでしまったけど、私たちは、いつまでも将くんのことを考えて生活しているんだよ、と 無言でアピールしました。

もうすぐ、7月5日、二人の5才の誕生日です。1歳半だった将くん、5才の将くんはどんな子になっているのでしょうか。

神様、せめて一年に一回でいいから 将くんに会わせてください、どれだけ大きくなっているのか、どんな子になっているのか見させてください。

優ちゃんを見ていると、双子だから何となく解るような気がしますが、男の子と女の子、やはりずいぶん違っているだろうな、いろんな子達の兄妹で過ごしているのを見ると、将くんがいてくれたらなと思います。

優ちゃんのためにも・・・ 今からでも、私の命と将くんの命を交換できたらな、と願っているのですが、やっぱり無理でしょうね。

将くん、半年ぐらい前から、優ちゃんが、ママ、優ちゃんが死んだらどうする?と聞くようになりました。

どうしよう、と答えると、ママも死んで、そしたら、将くんと優ちゃんとママと一緒に暮らせるよ、みんな寂しくないよ、といいます。

ああ、優ちゃんは、ママと一緒なら死んでも寂しくないのだな、と思いました。ママと離れるのはいやだけど、死ぬことに関して、将くんに会えるから嬉しいといつも言っています。(少しまずいかな?と思い、最近では、言葉に慎重になっています。)

でも、優ちゃんがママと一緒でなくては、寂しいと思っているなら、やっぱり、将くんも寂しがっているのかな?早くママに会いたがっているのかな?

将くん、ママは将くんに会える日が来ることを楽しみにして一日一日生きています。その日が来るまでもう少し我慢してね、会えたときには、一杯 一杯抱っこしてあげるからね、ごめんね。
1998年11月15日 今日は,将くんの5歳の七五三です。そして,17日の月命日に主人が出張でいないので,今日お寺さんに来ていただきました。

結局何もしてやらないまま七五三が終わってしまいました。

誰も将くんほとんどの人が将君の七五三に気がついてくれませんでした。

生きている優ちゃんのときには、七五三どうするの?って聞かれたりしていたのにな。寂しいです。優ちゃんの時もそうでしたが、本当は、将くんの写真とお骨を抱いて写真屋さんで記念写真を撮りたかったのですが、写真屋さんに事情を話す勇気がないまま,過ぎてしまいました。

1歳のお誕生日に取った実家のそばの写真屋さんなら、きっととらしてくれる気がします。震災を体験しているというだけで,わかってくれる気がします。でも,将くんと撮ったところで,将くんのお骨を抱いての写真を撮るのはつらいことです。1歳の時の家族写真だけで終わってしまった将くん…将くんなしで家族写真を撮る気はしません。

優ちゃんのためにも撮っていてあげたいという気持ちと、つらい気持ちの間で胸が締め付けられそうです。でも多分,お誕生日か,命日にとっていくと思います。優ちゃんと将くんのために…


夏が終わって、秋になると,心が沈んでいきます。
生活は,優ちゃんの運動会、遠足、バザーと忙しく,その上,友達と,手作り品のフリーマーケット,習い事などほとんど家にいない状態、友達と会って,話して,笑って、自分でも落ち込むほど普通に いえ、周りから見ればとっても元気に毎日を過ごしています。
でも,笑っていても 心の中では,将くんのことを考えています。こんなに悲しいのに,笑って友達と遊んでいる自分に嫌気がさします。
それなのに 又、友達とあって笑ってしまう。初めは,いろんな人に将くんのことを知ってほしくて,無理して友達を作ってきた。

初めはみんなも聞いていてくれたし,私も悲しい悲しいと話せた.でも,普通していればいるほど,みんなは,高井さん元気になってよかったね,忙しくしているほうが考えなくていいよ,と言ってくれる。

でも,本当は,今でも将くんのことをいっぱい話したいし、悲しいのに。

元気な振りはできるようになったけど,悲しみは消えない。きっと,これだけは,同じ経験をした人しかわからないと思う。

二人の5歳のお誕生日はやっぱりつらい一日です。でも嬉しいことが二つありました。それは,優ちゃんの幼稚園の担任の先生の心遣いです。

今年,7月5日は,日曜日でした。次の日優ちゃんが幼稚園からもって帰ってきたものは、折り紙で作った"セミ"。そこには、「しょうくん、5さいのおたんじょうび おめでとう」と書いてありました。

そして,お誕生日会の日に持って帰ってきたお誕生日カードは、優ちゃんと将くんの2枚の手作りのカードでした。そこには、

「しょうくん、おたんじょうびおめでとう   いつもゆうちゃんといっしょにいるしょうくん、あなたもきっとおおきくなってるよね、 いつまでもゆうちゃんのそばにいてね」
と、書いてありました。

その先生は、いろんなものを将くんの物も用意してくださいます。運動会でダンスをするときの衣装など…。

その先生,その幼稚園に感謝しています。

そして、もうひとつは,7月生まれのもう一人のお友達と合同のお誕生日会をしました。そのときに,ハッピーバースディの歌を歌ったとき,将くんの名前も入れて歌ってくれました。悲しいけど,うれしい今年のお誕生日でした。

11月7日,弟のところに男の赤ちゃんが生まれました。 生まれる前に,弟のお嫁さんから,名前のことで相談を受けました。

将くんが死んでしまった震災の日,弟がすごく泣いて、将くんにうちに帰ってきてもらうんだと言ったそうです。

そういえば,将くんの使っていた起き上がりこぶしに,腹帯を巻いて,「うちに将くんが帰ってくるからな」と話していました。

名前を考えるにあたって弟と話し合った時に,その事がが頭に残っていたようで、将くんがいたことを忘れないようにと将くんに関係ある「将」という字を名前につけたいと思い 「和将」と書いて「かずまさ」付けようと思っているけどお姉さんたちはどう思うかと言うことでした。

初めドキッとしましたが,私は将くんのことをそんなにまで考えていてくれたのがうれしくてありがたく思いました。

主人に聞いても同じ思いだったので,それを伝えました。そして,めでたく?和将くんに決まりました。弟そして、お嫁さんに感謝しています。

そして、いよいよ生まれたと言う知らせ。複雑だけど、将くんが生きていれば,男のこの仲間が増え喜んだことでしょう,だから将くんの分を喜んであげることにしました。
将くんがいたらきっとかわいがったと思います。
「僕の弟分だぞ」って…だから,将くんの分までかわいがってあげるね。

11月17日は,流れ星がたくさん降ってくるそうです。その星に乗って将くんが帰ってくるといいのにな。

最近,優ちゃんが,「まま,優ちゃんが死んだら悲しい?」とよく聞きます。悲しいよ,と言うと,「将くんが死んだ時とどっちが悲しい?」と聞きます。これって,もしかしたら,優ちゃんの心の叫び?危険信号でしょうか?