MAMA'S DIARY

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震災から三年目

1997年4月10日
今日は優ちゃんの入園式でした。秋からこの日が怖くて欠席しようと思ったのですが、将くんのために、将くんの入園式の写真をとりたくて、出席しました。 入園式の看板の前でママと優ちゃんと写真の将くんと3人一緒に、写真を撮っていたらとっていたら悲しくてみんなの前で大泣きをしてしまった。将くんがいてくれたらと思う。将くんがいないことを確認させられたようだった。
1997年4月11日(Fri.) 将くん、今日初めて優ちゃんだけで幼稚園に行きました。優ちゃんも将くんと幼稚園に行くと言っています。本当に、将くんも一緒に幼稚園で楽しんでいてくれるといいのだけど。

朝、優ちゃんが"ママ、生きている将くん、もうバスに乗ってるかもしれない、もう幼稚園に行っているかもしれない、きっとそうだよ、生きている将くん、もうお庭に来ているかもしれないから見てきて。"って言ったので、ママが、"でも生きている将くんはいないかもしれないよ"というと、"きっといるよ、見てきて"と言うので見に行くと、やっぱりいなかった。悲しくて、涙が出てきた。優ちゃんに、泣きながら"やっぱり生きている将くんいなかったよ"と言ってしまったら"ママ泣かないでって"なぐさめられた、将くんは本当は、お庭に来ていたの?

入園式の日、優ちゃんを見て、ああ、明日からは、もう私の知らない世界を持つのだなって思いました。何か遠くに行ってしまうような寂しい気持ちにもなりました。一日中一緒に居れるのはもう終わり。

でも、今日思うのは、それでも私の所に帰ってきてくれること、おかえりって、頑張ったねって抱きしめてあげれること。将くんにはしてあげれない。私から離れてしまった、こんなに側にいてほしいのに、抱きしめてあげたいのにしてあげれない。会いたい、帰ってきてほしい。"生きている将くん"に会いたい。

将くん入園おめでとう、そちらの世界でも幼稚園はあるのかな?それとも優ちゃんと一緒に岩国幼稚園で遊んでいるかな、ママは幼稚園のお道具も先生にお願いして将くんのものも、もらいました。ママの作ったバックや上靴いれ、スモック見えるかな?優ちゃんも将くんのものがあって安心しているようです。時々将くんのバックやスモックも優ちゃんに持っていってもらおうね。将くんが使ってくれている姿が見れないのは辛く、悲しいけど、将くんも優ちゃんと一緒にそれを持って幼稚園に行っていると信じています。

優ちゃんは、将くん以外にも大好きなお友達もでき、ママとしては、嬉しいことなんですが、また将くん一人置いてきぼりになってしまいそうで、将くんより好きなお友達ができなければいいのに、と複雑な思いです。
1997年6月13日(Fri.) あの震災から、気が付けば2年5ヶ月が経ちました。そしてママも気が付けば外出することが多くなってしまいました。

一周忌の時に、すぐにでも将くんの所に生きたい、でも優ちゃんのことを思うと死ねない、優ちゃんのためだけに生きていくことができなかったので、将くんのために何ができるか考えました。まだ、整理できない頭で考えた結果、みんなに将くんのことを忘れないでいてもらうこと、これから出会う人にも将くんのことを知ってもらうことでした。はじめは私の口から将くんの名前が出たときのみんなの気を使う顔が辛くて話すのにとても勇気がいりました。それでも、将くんのため、将くんのため、と念仏のように唱えながら、相手の顔を見ないで、相手の気持ちも考えないで一気に話しました。その結果、将くんのことを気軽に話せる、友達ができました。(勝手に私が思っているだけで相手の人にとっては迷惑かもしれませんが)

優ちゃんの幼稚園もはじめの自己紹介の時に、将くんの話をしました。泣かないで話すつもりがすごく泣いてしまいました。

今、一生懸命、お友達を家に呼ぼうと思っています。将くんを知ってもらうためです。もっともっとたくさんの人に将くんを知ってもらわなくちゃ。生きていたら、たくさんの人に出会うはずだったから、それにはかなわないかもしれないけど。生きていたら楽しい人生を送らせてあげれたのにな、悲しいこと、辛いこともあるだろうけど、でも生きていてほしかった。

優ちゃんが幼稚園に行き始めてから、家事をしながらいろんな事を考えてしまう。地震が起きて将くんが下敷きになったときのこと、死んでしまったときの顔、避難する途中のこと・・・二年五ヶ月経って、周りの人にはきっと元気になったと見えるだろうな、本当は、小さい子、男の子、楽しそうな家族連れ、仲のいい(喧嘩をしていても)兄妹、すべてのものを見て将くんのことを考え、TVの事件、ドラマ、人の会話にどきどきし、また辛く、悲しい思いで過ごしているなんてわからないだろうな。すべてのものに傷つきすぎて、それが日常になってしまって、麻痺して以前のようにいちいち落ち込んで寝込まなくなってしまった。

将くんが死んでしまった一年半ぐらいは私の表面にあった悲しみが、少しずつ身体にしみこんできている気がします。そしてその悲しみは、生きさせてあげたかった、今からでも、変わってあげたい、そして会いたいという気持ちに蓋をされてなくなることはないでしょう。

毎日、元気な振りをして、笑ったり、冗談を言ったりしている自分を、ふっと客観的に見てしまうときがあります。私は何をやっているんだろう、子供が死んでしまったのに、楽しそうに過ごして、そんな私の様子を見て、友達は、思ったより元気そうでよかったと言います。私も、そうでしょ、と、また元気でいることを、強調してしまう。バカみたいけど、もう人前で悲しめなくなってしまった。時間が経つに連れて、泣けなくなってしまった。

時々、卵の殻のような小さい丸いものの中に私と一緒に、悲しみもいっぱい積めて丸まっていたくなる。

生活の中にあまりにも自然に将くんが存在していて、冷静に将くんが死んでしまったときのことを考えたりすると、ああ、死んじゃったんだ、と現実に戻ってしまう。

ちゃんは、将くんのことを、2歳過ぎまでは、純粋に将くんの存在を信じていましたが、いろんな事が分かってくると、"将くんいないよ"と疑問を持つようになってきました。そして3歳半に近づくと、自分のいる世界と死んでしまった将くんの世界が違うことがわかり始め、将くんは、神様のところにいると言い始めました。

将くん、いま、どこにいますか、天国や、極楽というものが本当にあるのですか?そしてそこで楽しく暮らしているのですか?もし、本当に死後の世界があって、そこがとても楽しくすばらしいもので、パパやママや優ちゃんのことも考えることもなく、幸せでいるのなら、ママがそこにいけるまで、そこで会えるまで待てるのですが、どうなのでしょう。将くんのいる世界が知りたいです、どんな生活をしていつのでしょう。

"ふたり"というTVドラマで事故でなくなった姉(双子の?)に会える妹がいました。私たちには見えないけど、優ちゃんにだけでも会えたらと思います。優ちゃんが淋しいとき、悲しいとき、嬉しいとき、彼ができたときに励ましてくれたり、一緒に喜んだり、悩んだりできたらと思います。お友達のきょうだいを見ていると、優ちゃんが一人で遊んでいるのが気になります。

優ちゃんのためには、きょうだいがいればいいのでしょうが、7年経ってやっと授かった待望の子供達だから、私には、将くんと優ちゃん以外の子供は、考えられません。優ちゃんにとって私は、母ときょうだいの二役をしなければと思っています。

春、夏、秋とこれからは、行楽のシーズンです。ママはまだ、家族でレジャーとして遊びに行くことができません。でも、将くんといった動物園、海、その他・・・あの後ずっと行けなかったところに、今、少しずつ行こうと思い始めています。

優ちゃんの幼稚園の遠足で、みんなとガヤガヤと、行って、大切な思い出を、遠足と一緒にしたくないので、前もって家族でその場所にいって、将くんが遊んだ所を一つ一つ、確認してきました。幸せそうな家族連れがいっぱいいました。何の思いもなく、家族でのレジャーを楽しめる人達がうらやましいです。将くん帰ってきて〜

今年2月にある方に将くんの絵を描いていただきました。とってもすてきな絵で、実物よりかわいく描いていただいたみたいです。その絵を友人達に見せるとき、久々に胸を張って将くんのことを自慢できたので、すごく嬉しかったです。

もうすぐ(7月5日)、4歳のお誕生日です。ケーキを2個焼いて、将くん、優ちゃんの4回目のバースデイをするつもりです。私の夢は、いつかお友達を呼んで将くんと優ちゃんのお誕生会をすることです。今年実行するかどうかは思案中です。
1997年12月2日 夏が過ぎ秋になり、そして、またあの時と同じ冬に一日一日と、近づいてきました。

優ちゃん一人の入園式からもう7ヶ月過ぎようとしています。同じクラスの男の子を見る度に、将くんも本当ならこんなに大きくなっているのになと思いながら毎日を過ごしています。初めはその度ごとに胸が締め付けられる思いでしたが、今では、それも慣れてしまいました。

今の幼稚園は少人数なのでお母さん達が仲が良く、私も将くんの話がしやすいので心が安らかです。あまり親しくない人にも私は将くんの話をするので返事に困っている人もいるようですが、バザー委員をすることでいろんな人と親しくなり、将くんの話を聞いてくれる人もでき喜んでいます。クラスの半分近くにの方に将くんのお参りもしていただき、クラス全員の方に家に来ていただき将くんを少しでも知っていただくという目標のために、今頑張っています。

先日バザーが終わり、これからは又、将くんのための時間をもっと、持とうとを思っています。

今の生活は、友達にも恵まれ、毎日の会話にも将くんがでてきていいのですが、たくさんの人に高井さん最近明るくなったねと言われる度に将くんに申し訳なく思います。
今は将くんを知ってもらうために人を家に呼びたいので一生懸命明るくして友達を作っているのですが、結果的には人には、"明るくなった高井さん"と映るのでしょう。否定はしませんが、何か心に引っかかってしまいます。これ以外にもっと将くんのために出来ることはないのかな?って

やっぱり、何も言わなくても、あの震災を知っている人の中で過ごしたいなって思います。

外にでるようになって、いたるところで双子の姿を見かけます。または、双子を生みたいとか、親戚に双子を生んだ人がいるとか。その度にどきっとして顔がひきつってしまいます。双子らしき子供や赤ちゃんを見かけると振り返って見てしまい、双子だと確認するといやな気分になりその子達をにらんでいる自分がそこにいます。決して他の人達が赤ちゃんを見てほほえんでいるようには出来ないしするつもりもありません。将君と過ごした社宅に行くのは辛いけど、優ちゃんにもしっかり将くんと過ごした場所を教えてあげようと思っています。先日、私の母が、"私も将くんと、行ったところに行くのは辛いけど、何かで行かなくちゃならなくなったときには、将くんが、僕との思い出の場所に来てほしくて呼んだのだと思うことにした"と話してくれました。それを聞いて私も将くんとの思い出の場所を大切にしようと思いました。

先日、私のいないところで、優ちゃんが、"一人っ子?"と聞かれたようで、優ちゃんは"いたけど、地震で死んだ"と答えたそうです。私が人に聞かれる度に、言っていたのをちゃんと聞いていて、答えてくれているようで嬉しかったです。

その分 悪知恵も働いてきて、"これは優ちゃんがやったんでしょ"と怒ると、"違うよ、将くんだよ"と言います。私は言葉を失い、怒りもおさまってしまいます。幼いながらも将くんのことを言うとママは怒らない、機嫌が良いとわかっているのでしょうか?

10月の月命日の時、お経に合わせながら節をつけながら"な〜むあ〜みだ〜ぶつ な〜むあ〜みだ〜ぶつ・・・・"と、うたいだしたときには、悲しくなりました。お寺さんが来られるときにはママは泣くものだと思っているようで、ティシュを用意してくれます。将くんも天国で優ちゃんのようにママのことを心配してくれるほど大きくなっているのでしょうか?早く会いたいです。

優ちゃんは最近、"ママがおばあちゃんになって、優ちゃんが大人になったら、ママは死ぬんだよね、いいな〜将くんに会えて、優ちゃんも会いたいな。"といいます。

又、散歩しながらおばあちゃんに突然"将くんに会いたいね"と言ったそうです。幼稚園に言ってお友達の兄妹を見て何か感じているのでしょうか?魔法使いが来て願い事をかなえてくれないかな、一つだけで良いから。 将くん、返ってきて!