MAMA'S DIARY
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震災から一年目 | |
1995年6月 | 95年の地震で将(しょう)くんは,パパ,ママ,双子の優ちゃんと離れて一人ぼっちで天国に行ってしまいました。 今でも信じられない,関西であんなに大きな地震が起きて将くんが死んでしまったなんて。ゆれているときに聞こえた将くんの苦しそうな声,あれが最後の声だったなんて。 前日の夜11時ごろまで部屋中を走り回ったり,畳に落書きをしたり本当に楽しそうに,元気にはしゃいていたのに、どうして? たった1歳半の人生があんなになっけ無く終わってしまうなんて。もっと楽しいことがいっぱいあったのに。 双子の育児もやっと楽になってきてこれからいろんなところへ、いこう思ったのに,将君と優ちゃんが双子として成長できることをほほえましくうらやましく思っていたのに。 代わってあげればよかった,ママの上にたんすが倒れてくればよかった。すぐ隣に寝ていたのにママにはかすり傷一つ無いなんてあまりにも辛すぎる。将くんの代わりにママが死んでしまえばよかった。そしたら天国から将君と優ちゃんのことを見守ってあげれるのに,二人が楽しく遊ぶのをほほえましくいてあげるのに。 いろんな人が,将くんが天国でみんなのこをを見守ってくれているからと言ってくれるけど、ママが守ってあげなくちゃいけなかったのに守ってあげれなくて,あんな痛く苦しい思いをして死んでしまった将くんに見守ってほしいとは思わない。せめて天国では自分のためだけに楽しく過ごして。 将君のいない生活が信じられない。お部屋も食事用のいすもおもちゃもあの時のままだし、プラレール,ジャングルジム,お絵かき、ビデオを見たりして遊んでいる優ちゃんの横にどうして将くんはいないの?将くんの大好きな歌も歌ってあげているのに。おなかの中からずっと一緒だった優ちゃんはここにいるのにどうして将くんは見えないんだろう。 優ちゃんはもうすぐ2歳。将くんより5cm背の低かった優ちゃんもいつのまにか将くんより少し大きくなってしまいました。将くんがまだできなかったことを次々とできるようになっていく、将くんは1歳半のまま,幼稚園,小学校,中学・・・・・と大人になる将くんが想像できない。 今でも優ちゃんは将くんが大好きです。カードケースに入れた少し大きくのばした将くんの写真と一緒に遊んでいます。その写真とすべりだいをしたり、ご飯を食べさせたり,はみがきをしたり,おもちゃを上げたり。ほおずりしたり,一緒にお布団に入ったり。優ちゃんの中にちゃんと将くんがいるようでとってもうれしい。将くん,優ちゃんが写真に向かって『ちょーくん』と呼んでいるの聞こえていますか? 横で,うれしそうにいつものように楽しく笑っている将くんの姿が見えないかな?時々でいいから,ままやパパや優ちゃんの前に来てよ。優ちゃんの横で前みたいにいたずらしたりにこにこしたりして遊んでいる姿を見せてよ。 パパがね,夢を見たんだって。将くんのコピーロボット(パパやママが子供の頃にやっていたテレビ漫画『パーマン』に出てくる鼻を押した人の姿になるロボット)が残っていて,それを将くんに変身させる夢を。コピーロボットでもいいから戻ってきて,また4人で楽しく遊ぼうよ。ママは,ドラえもんのタイムマシーンがほしい 将くんが天国に行って5ヶ月がたち,ママは寝たきりの生活から少しずつ家の中で家事を出来るようになった。それがとってもつらい。本当はもっともっと悲しんでその悲しみで死んでしまいたいぐらいぐらい悲しんでいたいのに。何にもしないで寝こんでいたいのにそれもできないで生きている。死ねないで生きているのがこんなにつらいことだったとは思ってもみなかった。これから先,元気になって生きていくのが申し訳ない。将くんの記憶がママの中から薄らいでいくのがいやだ。天国で,将くんを一人ぼっちさせているのがたまらなく辛い。 これから先どうやって生きていこう。どうなるんだろう。心の整理もついていない。将くんのいない生活に耐えていけるかもわからない。今はただ,優ちゃんに将くんのことを忘れてほしくないから将くんがいたときと同じように生活することだけです。 まだ外出するのも辛い。将くんを一人ぼっちで家において出かけられない。将君と歩いたり,遊んだりした場所をみるのも辛いし同じぐらいの男の子を見るのも辛い。私は,まだ元気にならなくちゃという,気にもならない。今すぐにでも将くんのいる天国に行ってあげたいのだけど行っちゃ行けないんだって,こんなに会いたいのに会いに行っちゃいけないんだって,ごめんね。 |
優ちゃんへ 優ちゃんごめんね。ママ,毎日将くんのことで泣いてばかりで、今は優ちゃんの成長一つ一つを喜んであげるどころか悲しくさえ感じて生活しています。優ちゃんが生きていくだけの世話をするのが精一杯でお外に連れていってあげれなくてごめんね。もう少し我慢してね。いつか「優ちゃんがいたからパパやママはこんなに元気になれたのよ,ありがとう」っていえる様頑張るからもう少し待っててね。 |
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1995年10月 | 将くんにすごく会いたい。死んだら会えるかな。 将くん今どうしてる?パパ、ママ、優ちゃんの事見えてるかな。あの地震で将くんと同じくらいの子供達や、お兄ちゃんお姉ちゃん達そして子供を残して死んでしまった人達に囲まれて過ごしているのでしょうか。ママは、いつも将くんが、ただ姿が見えないだけで今まで通りテレビを見たり絵本をみたりミニカーで遊んで、そして部屋中を走り回っていると信じています。そう思わないとこれから先、どうしていいのかわかりません。 地震が起こったとき、苦しかったでしょ、痛かったでしょ、側にいたのに苦しそうな声を聞いただけで、かばってあげることも、将くんの上にあるタンスやはりを動かして 苦しみを和らげることもできなかった。それよりも、まだ小さすぎて「死」の存在も知らず、今、自分が死んでいくということも解らず、ただ、パパ、ママ助けてとだけ思っていた その将くんの手を握ってあげることすらしてあげれなかった。自分に何が起ころうとしているかという事もわからない不安や恐怖がいっぱいで心細かったでしょ、あの時の痛みや苦しみは、もうないのかな?さぞ痛かっただろう、苦しかっただろうと思うと側にいって抱きしめてあげたくなる、そして、そうしてあげれない自分を責めずに入られない。一緒に死んであげれなくてごめんね、せめてママの上にタンスが倒れてきていれば、ママの厚みの隙間に入って、将くんは無事だったのにね。すぐとなりに寝ていたのに、ママは、かすり傷ひとつしてないなんて、あまりにも将くんに申し訳なくて生きていることさえ罪に思えます。九ヶ月たっても将くんの側にいってあげれなくごめんなさい。いつもママの姿が見えないと、ママ、ママと泣きそうになりながら探していたのに、今どうしているのの?一歳半でまだ一人で何もすることが出来ないので、とても心配です、せめてお話が出来れば自分の意志も伝えられるのに。優ちゃんが、ママ、ママ、といって以前よりママの後を追えば追うほど、将くんもママを捜している気がします。ママに早くきてほしいと思っていませんか、いつもみたいに我慢していませんか。(いつも側にいるつもりなのに、とても心配です。)どちらかといえば、男の子という事で将くんに我慢させる事が多かった気がします。双子に生まれて小さいうちから我慢を覚えさせてしまったね、一才三カ月から死んでしまうまでの三カ月間、初めて人見知りするようになり、パパ、ママ以外の人になかなか抱かれなくなり、ママべったりの三カ月間だったね。自分の死を感じていたのかな。でも、前の夜、本当に久しぶりにいろんな人に抱っこされ、人生最後のビデオは、笑顔で終わってるらしいよ。(ママは、まだつらくて見てないけど)いろんな人から"将くんっていつもニコニコしてるよね"って、とてもかわいがってもらっていたぐらい、笑顔のたえない子だったね。将くんは、今も、側にいる人達がつい顔がほころんでしまうぐらいいつもニコニコしていて、楽しく暮らしていることを信じて祈っています。側にいってあげれないママには、そのように信じて祈ることしかできないの、本当に、ごめんなさい。将くんのあまりにも短すぎる 一才六ヶ月という人生を思うとかわいそうで、そしてとっても悔しい。 いつか、ママの人生が終わった時、必ず、将くんに会えることを信じています。そして、それまで出来なかった分、思いっきり抱きしめて、甘えさせてあげるね。そして、将くんにしてあげれなかったことを一緒にしようね。今すぐ、行ってあげれないことが、とてもつらいけど、一日でも早く、その日がくることを願っています。そして楽しみにしています。 最近、少し心が安定しているときに思うこと、ママは、将くんがいたときのように、出かけたり、友達を呼んでお茶を飲んだりした方がいいのかなあ、勿論、優ちゃんのためでもあるんだけど、このまま、家に閉じこもり誰にも会わないのが、楽でいいけど、そうしていると、いつの間にか、みんなの中から、将くんが消えてしまいそうな気がするの。ママは、将くんの事 知ってる人みんなに、いつまでも、将くんと優ちゃんは双子で、ママの子供 だった、ということを覚えていてほしいし、これから、出会う人すべてにも知っていてほしい。そう考えると、ママが頑張って、いろんな人にあって、将くんの事を普段の会話で、話してあげなくちゃね。 頭では、わかっていても、いざ、実行に移そうと思うとなかなか出来ないもので、'外出すると元気になる'というのはママの場合あまり当てはまらず、頭の中は将くんのことでいっぱいなのに、いろんな人の前で元気な振りをして 何事もなかったように人との会話に合わす、そして、いろんな人の言葉に傷つき、将くんが家でひとりぼっちで寂しかったのではと思うと、後になって必ず落ち込んでしまいます。まして、将くんと同じ年頃の子供がいっぱいいる公園(特に、将くんと優ちゃんを連れていった社宅の中の公園)なんて、落ち込みに行くようなもので、まだ、行こうと いう気も起こりません。もうしばらく、時間がかかりそうです。 |
1995年10月24日 | 今日、思いきってお友達を呼びました。あの時の将くんと同じ一才六カ月の女の子と一才十カ月の男の子も一緒でした。二人のしぐさが将くんと重なりつらかったけれど、将くんの写真をじっと見ている子供達に、おかあさんが、"将くんよ"って教えてくれたのと、"最後に 将くん、また遊びにくるね。"って言ってくれたのが、とってもうれしかったです。つらい場面もいっぱいあったけど、最後のその言葉で、遊びに来てもらってよかった、と思いました。 |
1995年10月25日 | 秋晴れが続き、世の中が行楽シーズンになると逆に落ち込んでしまう。日に日にあの一月十七日に近づくし、去年あんなに喜んだクリスマス、初めて動物園に行ったお正月に近づく、いろんな事がわかり始めたクリスマス、お正月だった、本当に楽しかった。これから 先、いろんな行事の度、落ち込むんだろうな。 |
1995年11月7日 | 思いきって、ヤマハの教室に優ちゃんを連れて行って来ました。優ちゃん一人だけ連れて習い事に行くのはすごく抵抗があったのに、何を思ったのか行ってみようという気になりました。
授業が始まる前に優ちゃんに"将くんと一緒にしようね"って言ったら、始まるといきなり自分から将くんの写真を取り出して隣にいるおかあさんに写真を見せた。それがきっかけで将くんのことをその人に話せた。いろんな人に将くんのこと話したい私にとって、優ちゃんのその行動は、将くんのことを自然に話す機会を作ってくれた。優ちゃんにとても感謝。
ママと優ちゃんだけが習い事をしてどう思っているのかな。テレビを見ながら踊ったり手をたたいたりするぐらい、音楽の大好きな将くんだったから一緒に楽しんでいるかな、将くんがいたらきっと大喜びでレッスンを受けているだろうな。そう思うと辛くていたたまれなくなる。将くん、一緒に行きたかったね。 ある日、優ちゃんが篭を帽子のようにかぶり自分を指さして"ちょうくん"という。どうも自分が将くんになったつもりでいるらしい。私たちが"優ちゃんが将くんになったの?"と聞くと"うん"と、すごく嬉しそうな顔をする。私たちの方がどう話したらいいのか何を言ったらいいのか戸惑ってしまう。でも優ちゃんが将くんになりきっているのをわざわざ否定する気にもなれず、優ちゃんの心の中に将くんが存在していることを嬉しくほほえましく思う。 先日、ちょっと変わった夢を見た。場所はどこかのオフィスか病院で急に私の体が宙に浮かんだ、そしてそのまま窓から飛びながら抜けだし自分の背の高さのあたりをふわふわと前に進んでいく、そして気がつくとビルの吹き抜けになっているところをすっと結構早いスピードで昇っていく、そして上を見るとずっと上に小さな光が見えていて、自分がこのまま、その穴からぬけれる気がしていた。すごく気持ちがよくてスピードがでているはずなのにスピード感も感じずその光に吸い込まれている気がした。そして"このまま私は、あの光の向こうに行くと将くんに会えるんだ、やっと会えるんだ"と思ったら嬉しくて"将くんに会えるんだよね"と自分に言い聞かせていた。そしてふっと気持ちよくなってそのまま意識がなくなった。そして、光が見えていた出口(入口?)の横の天井というか壁に、どーんとぶつかって気がついた。そのとき思ったのは、"ああやっぱり将くんの所には行けなかったんだ"ということ。あれは何だったんだろう、私の願望がそのまま夢になったのかな。将くんもあんな体験をしながら死んでいったのだろうか。それにしても、夢のなかでさえもその光の所に行けなかったのはどうしてだろう、自分でも心の奥で"死"を否定しているのかな、こんなに将くんに逢いたくて将くんの所に行きたいと思っているのに。それとも将くんが何かメッセージを送ってくれたのかな。将くんが"ママ、僕の所に来て"って言っている気もするし、逆に上に昇っていくときにとても気持ちがよくて恐怖心もなかったからそれを教えてくれたのかな。 |