お手紙
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2001年12月20日(木)
ホームページを通じて交流がある、中間中学校に行ってきました。


そのときに、生徒の皆さんからお手紙をいただきました。

ありがとうございます。
ここで一部を紹介させていただきたいと思います。

将君のHPに出会い、私は、誰かが死ぬということで何かを学べるようになりました。私も中のいい人が死んだとき、本当に何も感じられないほど暗かったです。でも、自分の思いを誰かに伝えることによって、とても安心しました。将君のママもそうだったと聞き、私たちが将君、将君のママ、ゆうちゃんの中に入れたようです。すごく光栄だと思います。このことは私の母にも話しました。私の家族も募金や私自身ボランティアなどに参加して家族とともに心も大きくなっていると思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これからの人生、将君のことをわすれずにしっかりと一日を悔いの残らないようにがんばりたいと思います。そして将来は、看護婦になり、たくさんの人と出会う中、学ぶことも多いので、学び心も成長したいと思います。最後ですが私が看護という夢を強く持たせてくれたのは、将君のママのホームページのおかげです。ありがとうございました。
今日は、本当に来ているとは思っていませんでした。また再び会えて私はとてもうれしかったです。将君、優ちゃんのママが「家族4人のホームページ」にしたいと言っていました。亡くなっても生きていても血のつながった家族は永遠に家族なんだということを改めて学びました。こんなささいなことでもなにか悲しいことがあると忘れてしまったりすると思います。そして、その忘れたことを思い出させてあげたり、思い出したりすることはとても大切なことだと思いました。私は、将君、優ちゃんママの人生にかかわることができたことに感謝しています。
将君のママへ
これから先いろんなことに悩むと思います。人生に疲れることもあると思います。けれどこの世の中には生きたくても生きれない人はたくさんいます。阪神大震災でも亡くなった将君もお母さんが元気に楽しく過ごしてる姿を見たいと思います。将君の分までおもいっきりゆうちゃんやだんなさんを大事にしてあげてください。私は、この阪神大震災や将君のことでたくさんいろんなことを学びました。ほんとうにありがとうございました。もし、将君や将君のママが生まれていなかったらこんなことは学べないと思います。上にも書いていますが、自分の命や相手の一生も大事にできる人になりたいです。お互いにがんばりましょう!
親子という関係で、母が子を愛するのは普通だけど将君と優ちゃんは幸せだなと思います。将君のママは、優ちゃんを過保護に育ててしまったと言っていたとき、だからゆうちゃんは人見知りをするんだ。とおもちゃいました。優ちゃんは本当に幸せだな・・・。ありがとうございました。
あのとき、おどるポンポコリンを歌わせていただいた者です。あの歌で、少しでもふたりが楽しめたらいいなと思って歌いました。将君優ちゃんママには、たくさんのことを教えていただきました。これからの長い人生で、人にしに出会ったりいろいろ大変なことがあるけれど、そのときは将くん優ちゃんママに教えていただいたことを役にたてていきたいです。優ちゃんの顔がもう少しみれたらよかったです
修学旅行ではじめてあったときの優ちゃんは、本当に恥ずかしがりやで、バスの中で「おどるポンポコリン」を歌い距離が縮まった気がします。また、今日も「おどるポンポコリン」を歌い思い出してくれたんじゃないかな…と思います。これからも将君のホームページに行きたいとこれからもがんばって下さいね!!
今の私は、一年前の授業で命の大切さ、命の尊さを学ぶことができ、命を持ち生きていることのすばらしさを知ることが出来ました。一年前、この授業をすることが出来なければ、ニュースや新聞でしか知ることができない、薄っぺらい情報で終わっていたと思います。でも、将君のホームページや授業を通して、阪神大震災で命を失った方のかぞくの気持ち等がわかりました。面白いお友達ができたということを知り、うれしく思います。
将&優ママのこれからの人生がおもしろく楽しく充実したものとなるように願いつつ、将&優ママから学んだことを忘れずに私も頑張っていきたいと思います。今日は、私たちのためにお話していただき本当にありがとうございました。一生、将&優ママから、学んだことを大事にしていきたいと思います。
ぴょんこママへ  こんにちは。実は前日にメールを送りました。でも、見れていないんですね。また、HPに遊びに行きますね。二人が来てくれて、すっごくびっくりしました。
ピノン(優ちゃん)お久しぶり。おぼえててくれてありがとう。今度また「おえかきけいじばん」に行って、いっぱい『オオタチ』描くね。それから、修学旅行のお手紙まだもっているよ。来年、年賀状送るね
1995年にあった、阪神大震災はとても悲惨な出来事になってしまいました。台風や豪雨などは、予知できるけれど、地震はいつ来るかわからないので、とても怖い災害です。これからは、どのようなことがおこるかわからないけれど、もし地震が起きたら、僕もすばやく行動して自分の命が護れるようにして、将君も優ちゃんも自分の命を大切にして、毎日毎日大事な生活を送ってほしいと思います。今日は、貴重なお話をしていただきありがとうございました。
10 毎日に出会いがあり別れがあります。そして、今日も将君のママと優ちゃんに出会い別れます。しかし、心の中に思い出がある限りいつでも会えるような気がします。僕がどれだけの事を学べたのかわかりませんが、この出会いが僕を確かに変えたと思います。ほんとにありがとうございました。
11 今日は、ありがとうございました。二人が来てくれたことで、今まで以上に色々なことを学ぶことができたと思います。
12 こんにちは、僕は将君のホームページを学校で使ったときに、すごくいろいろな事を感じさせてもらいました。僕は前に家の事情で一時期母親と離れて暮らしていました。僕の母親が子供がいなくなった時に、口にできないぐらいな気持ちを感じたのかなと思いました。将君のことを色々知ってから僕は、今母親といる時間を大切にしようと思うようになりました。他にも大切な人を失った時の口にできないほどの悲しみや命の大切さを改めて、感じることができました。僕は将君のホームページやお二人との出会いのなかで大きく成長できたと思いました。ありがとうございました。これからもホームページをどんどん更新していって全国の人に知ってもらって天国の将君に「みんな、将君のことを知っているよ」ということを伝えてあげてください。きっと将君も喜んでくれると思います。これからもきれいな笑顔を絶やさず、元気に暮してください。
P.Sバスの中で歌った『踊るポンポコリン』を忘れないでください。これからも個人的にも将君のホームページを見たいと思います。
13 阪神大震災から7年たったときに、人の命の大切さを学んだときに「もう少し早く人の命の大切さに気がつけばよかった」と思いました。そして、将君のママと優ちゃんに会えたこともとてもよかったと思いました。テレビを見て、命の大切さを、学ぶより、直接話を聞いたときのほうがよく学べたと思います。今日、中間中学に来てくれてありがとうございました。
14 今日の学年集会にお二人が来てくれてとてもうれしかったし、びっくりしました。もう絶対に会えないと思っていたら本当に嬉しかったです。そして、少ししか会えなかった私たちのことを覚えていてくれてありがとうございます。私も優ちゃん、お母さん、お父さんそして将君のことを絶対忘れません。
15 あれから、何も変わっていません。普通に毎日を過ごしています。悲しんだり喜んだりはしますが、今日常が一番大切だとおもいます。将くんママも過去も大切ですが今という日常を優ちゃんと一緒に大切にしてください。
16 今日、優ちゃんとお母さんに会えるとはおもってもいなかったのでびっくりしました。将君のお母さんが『友達』について話をした時、本当に友達は生きている上で絶対必要だと思いました。私は、落ちこんだりいやなことがあったときは友達が励ましてくれます。だから、わたしは今の友達が、これからも友達であってほしいと思いました。今日は、遠いところからわざわざ来てくれてありがとうございました。
17 将君のママの前で、自分の思いをいえた事がすごく嬉しかったです。中学校を卒業しても将君のこと優ちゃんのこと将君ママのこと忘れません。私たちのことも忘れないでください。そして、また中間中に来てください。
18 阪神大震災からもう7年になるけれど、僕は絶対に忘れないようにしたいと思います。無理だと思うけれど卒業式に来てください。今日は、本当にありがとうございました。
19 今日は、来てくれてありがとうございました。来た時はびっくりしました。これから勉強を頑張ります。将君のママも体に気をつけて頑張って下さい。
20 今回の授業で命の大切さがわかり、もしあの授業がなかったらそんなこともわからないままだったとおもいます。将君ママにはたくさんのことを教えてもらい本当に感謝しています。ありがとうございました。