●ママの気持ち(日記から)
こんな感じでいつも抱っこしていましたv(^o^)


イラスト by すずらん さん
ママの日記 目次』へもどる

震災から8年目
2002年1月17日から2003年1月16日まで

2月



2002年2月21日 

幸せな時間2
幸せな時間を思い出すことは本当に辛い。

ここ何日か、落ち込んでいる私…そんな中、昨日飼っていたワンちゃんのてっちゃんが、朝起きると様子がすごくおかしかった。そして、たくさん苦しんで将君の元へ旅だってしまった。突然のことで、ショックを受けている。

前の日、たくさん泣いていた。痛くて苦しくて泣いていたんだろう。なのにずっと家にいた私は、何で泣いているんだろう、調子の悪かった私は、その鳴き声をうるさくさえ感じてしまった。何もしてやれなかったどころか、そう思ってしまった自分。てっちゃんに申し訳なく思う。その思いと、元気だったてっちゃんの姿、そして苦しんでいる姿、そして死んでしまった姿・・・それが、頭から離れない。

どんな思いで、苦しんでいたんだろう。苦しんでいる姿を、朝1時間半の間、優ちゃんと二人で外で見ていた。ただ見ていただけ・・・何もしてやらなかった・・・。
優ちゃんも、てっちゃんが死んでしまうかもしれないとわかっていた。だからそこから離れようとしなかった、たくさんの涙を浮かべながら見ていた。

将君の死を重ねている私がいた・・・
一瞬にして、フラッシュバックした。あの頃の自分の悲しみが一気にやって来た。将君の事は、ずいぶん割り切っていたような気がしていたけれど、ただ、心の奥に追いやっていただけだったということがわかった。

てっちゃんの死が、こんなに突然やってくるなんて思っても見なかった。夜の間、きっと1人(一匹?)で、苦しんでいたんだと思う。泣くことさえできないぐらいに辛かったんだと思う。気がついてあげれなくてごめんね。

私の中のてっちゃんの思い出を昨日の最後の姿を含めて残してやりたいけれど、今の私には辛すぎてきちんと書けない・・・
早く残したやらないとどんどん記憶から薄れてしまうこともわかっている、でも今はできない・・・

将君のことが思い出されて一気に過去へ飛ばされて、そこから這い出るには時間がかかりそう。ここ何年間かの中で一番大きなショックだったかもしれない。

ちょっとした落ち込みだと、友達とあっているうちに気がまぎれるんだけど、それをしようとも思えない。今は、ひとりでそっと過ごしていたい・・・。

てっちゃんのお葬式をしたあげることにした。最後に私たちにできることだから・・・。

この時期、二人のいた時間をまとめるのは辛い・・・・逃げたくないけれどそれに向かって歩き続けるのは、今は辛いかな・・・?あせらず少しずつ歩いていこう

ん・・・、情緒が不安定だから、何が書きたいのかわかりにくい日記になってしまったかな?・・・いつも?だったりして(笑)


2002年2月18日 

幸せな時間
今、将君がいたころの幸せな時間を思い出してまとめていた。二人を育てるのは大変だったけれど、楽しい楽しい毎日だった。将君と優ちゃんの二人のかかわりもできてきたところだった。二人をみて、いつも思っていた。どんなに仲良しの二人になるんだろうって・・・。そんな風に成長する二人をうらやましく思っていた。

でも・・・
それが、その二人のかかわりを見ることができなくなってしまった今、すごく寂しいし悲しい。

今日、優ちゃんが言った
優ちゃん『ママ、将君がいた頃幸せだったんだよね』
ママ『今も、幸せだよ』

そのままの言葉に優ちゃんは、少し意外だという表情をして

優ちゃん『ありがと!』

と嬉しそうに言った。

今のママは幸せだと思っていると思っていないんだろうな。
今まで、そういい続けてきたから仕方ないか。
将君が、いてくれる方が幸せに決まっているけれど
今、優ちゃんと過ごしている毎日も決して不幸じゃない。
幸せな時間なんだ。

今までの自分にちょっと反省。
将君への想いと優ちゃんとの生活を
切り離して上手に私の中で整理していかないとね。

両方大事なことだから・・・


2002年2月14日 A

不安
「ママ、私のこと好き?」

暇さえあれば、そんな質問をしてくるあなた・・・

いつも
「たくさん、たくさん好きだよ」って
いつも言っているのに
なにが、あなたを不安にさせているんだろう

子供は、大人には見えないきっと
心の奥の何かが見えるのかもしれない

あなたから見ても
安心できるぐらい
あなたのことを見つめてあげたい

そう、心に誓うママでした



2002年2月14日 @

バレンタインデー

今日は、バレンタインデー♪優ちゃんが、チョコをあげたのは、パパと将君だけ・・・
といっても、この間スーパーで買ったのを、そのまま、渡しただけ(笑)
同じ学年の子は、男の子にあげたりしてるとか・・・

いつの日か、きっとパパも将君も優ちゃんからチョコをもらえない日バレンタインデーが来るんだろうな。

おとといから、パパが2泊の出張に行っていた。パパが大好きな優ちゃんは、パパがいないと寂しいらしく、何度も何度も「パパ、いつ帰ってくるの?」と聞いて来た。
いつもパパと一緒にお布団に入って寝ている優ちゃんは、寝るときは特にパパの存在がないと寂しく感じるらしい。

私が、今日は、パパがいないから広々と寝れるね」といったところ、「こっちは、パパの寝る場所だから、こっちには行かない!」と言ったので、いつも通り狭苦しい場所で寝るはめに・・・。

昨日、テレビで、ぎ○ あいこさんが出ていて、亡くなった人たちと話をするというテレビがあった。私は、ほとんど見てなかったけれど、優ちゃんは「亡くなった人たちに会えた」っていう話を真剣に聞いていた。

その時の会話
優   「ママ、将くんが 「れい」になっても会いたい?」
ママ  「会いたいよ」
ママ  「優ちゃんは、将くんが「れい」になっても会いたい?」
優   「ママと一緒だったら、1人じゃなかったら、会いたい」

「霊」という言葉に恐怖を感じているみたい。その後、仏壇の前に行って、テレビで言っていたように

優   「ママ、ここに将くんがいるかも知れないんだってどう思う?きっと色んな事を     見ているんだよね将君は・・・」
ママ  「将くんがいたら、うれしいよ」

優ちゃんは、仏壇の前で私にくっついて立ったまま手を合わせて目をつぶりながら、

優   「ママ、将くんのことを考えよ!お花畑が見えてきて、将くんがそこに立ってい     る所に後ろから、優ちゃんとパパとママが将くんの後ろから走りながら近づい     てきているのが、見えてきた」

と、言ってしばらくそのまま、その場面を想像していた。

テレビの影響がほとんどだけど、どんな事を感じたんだろうな。「死」について、大人みたいに固定観念があまりない子供達・・・、亡くなった人に対してどんな思いでいるんだろう。

将くんを亡くした私と、将くんという兄弟を亡くした優ちゃん・・・・将くんは1人なんだけどそれぞれの立場で、いろんな思いを抱えて将くんと向き合って生きていくんだろうな。



2002年2月8日

今の自分が好き
今、二人を妊娠したときからの、私のこと・子供たちのことをまとめてみようと思っている。HPでは、まだ整理されていない部分がたくさんあるので、ちょっとずつ整理して行こうと思っている。

今、『将君の死』の部分をもう一度まとめてみようと思っている。あのときの自分に向きあおうとすると、一瞬にしてあのときに戻ってしまう。大きな大きな悲しみに埋もれていた、いや、その悲しみの中にいるということさえも気がつかなかったお葬式のころの自分。

その自分を今、客観的に見ている自分。あの悲しみから歩き出してしまったんだなって思う。あの時の悲しみに戻って何時間も何日もその悲しみにつかるつもりはない。でも、あの悲しみから歩き出して今を生きている自分がすごいなって思う。頑張っているなって思う。

そんな自分が、いやになるときもあるけれど、そんな頑張って前を向こうとしている自分が、とっても好きだ。

出会い
前を向いて歩いているといろんな出会いがある。自分を出して付き合える出会い。最初から自分を出せる出会いって、少ないと思う。

でも、そんな出会いが今回のNHKの出演によってあったような気がする。その出会いはまだまだ始まったばっかり・・・。その出会いがどうなるかは、まだわからない。でも、自分を素直に出せることを大切にしていきたいと思っている。

お互いにまだまだ、知らないことばっかり。相手の気持ちもまだわからない・・・・。ずっと付き合って行きたいから自分をその人たちに出して行きたいと思う。自分を出し切ってしまうことは、怖いこと。でも、出し切ってもきっと信じあえると思うから・・・大切にしたい出会いだから、今、自分を出していきたい。

この出会いが、今後どう進展していくのかなんだかドキドキしている。私の人生で大切になる出会いであればいいのにな。

2002年2月6日

再開とやさしさ
今日、引越ししてくる前の友達と久しぶりに会った。3年ぶりの再会。友達の優しさをたくさん思い出して感じられる時間だった。

彼女たちは二人を妊娠する前からの友達、大きな悲しみを知るまでの友達、みんなで笑って楽しんで・・・そして将君の死・・・。私の悲しみをずっとそばにいて一緒に寄り添ってきてくれた友達です。悲しいときは一緒に泣き、すこしずつ私に前を向くための心構えを作ってくれた友達・・・。一緒に手をつないで歩いてくれて、私が疲れて落ち込んでいるとずっとそばでいてくれた。そして、私が再び歩けるようになるまで待っていてくれたのかもしれない。

あの頃の私には、あの優しさが必要だったような気がする。だからこそ、彼女たちと前を向いて歩こうと思えた。最初にカラオケに行ったのも彼女たち。たくさん笑ってたくさん遊んでたくさん元気をもらってこれた。

それでも、将君事を考えると元気になる自分にストップをかけていた。元気でいる時間とその元気のために落ち込む自分がいたあの頃。今みたいに自分の心の中を出すことをしなかったから、彼女たちには、私の心の中を伝えることは少なかった。でも、みんなそんな私のそばにいて、一緒に遊んでくれた。悲しみをわかってくれていた。だから、私は、楽しいことを頑張ってやっていこうと思えた。

今と違って、前を向くことを拒んでいたからきっと、みんなには気をたくさん使わせていたのかな?今の私が、あのときの友達と一緒に過ごせたら、きっともっともっと心から楽しめたんじゃないかな。

でも、あの頃の友達がいたから、今、私は前を向いて楽しいことをたくさんしたいと思えるのかもしれない。

2002年2月2日
 
気がつけば、もう2月になっていました。
命日以降、いろんな思いで過ごして来ました。優ちゃんのことも色々考えました。
ある養子のことを扱ったテレビを見ていて、優ちゃんが言った言葉・・・「ママ、優ちゃんは本当のママの子供?」優ちゃんの心のストレスや傷について色々考え悩んでいた時だったので、私は、優ちゃんのその言葉に、敏感に反応してしまった。少し落ち着いた今なら、優ちゃんのその言葉にあんなに敏感に反応しなかったような気がする。
あの時、私は、一生懸命、優ちゃんのことを考えていた。どうすれば、ママが愛してることを優ちゃんにちゃんと伝えられるのだろうかと・・・。たくさんたくさん思っているのにまだ足りないのかなって考えていたから・・・
「ママの本当の子供?」その言葉は、優ちゃんにとって、いつも思っている気持ちじゃなく、たまたま、そのテレビを思って浮かんできた言葉だったみたい。
でも、私には、心に突き刺さるほど、鋭い言葉だった。

以前、虐待死のニュースを見たときにも「ママ、優ちゃんのことを殺さない?」と聞いてきた。それは、今でもふっとした、拍子に言ってくる。

私は、何が、優ちゃんを不安にさせているのかを知りたかった。私なりに今できる限りの気持ちで優ちゃんを大切に思ってたから・・・
その時、「ママの本当の子供?」って聞かれたときに、こんなに色々考えているのにまだ、優ちゃんを不安にさせているんだと思って、私はどうしたらいいんだろうと思ったら、そのことを優ちゃんに言いながら涙がどんどん出てきて泣いてしまった。

ママの異常な反応にビックリした優ちゃんも泣き出した。「ママ、ごめんなさい。もう言わない・・・」そう、優ちゃんが言ったときに、ふと我に返った。
「しまった、ますます優ちゃんが気持ちを外に出すのを止めてしまうようなことをしてしまった・・・」あわてて、気持ちを出してくれることの大切さを話した。

出してくれることによって、ママが優ちゃんの気持ちをわかってあげて、話し合っていい方向に持っていけるということを話した。優ちゃんは、とりあえず、「わかった」と言ってくれた。でも、大失敗・・・。まだまだ、未熟な母親だと思った。反省・・・。

そこから、どうしてそんなに不安になるのかを聞いてみた。最初は、話さなかったけれど、パソコンばっかりして遊んでくれないこと、将君のことは怒らないのに優ちゃんばっかり怒ること・・・。だから、不安になると言っていた。ん・・・、どうしようもないことなんだけど、優ちゃんには大きな大きな不安になっていたんだと思った

たくさんたくさん、愛しているって言っているし、地震の時に生きていてくれてありがとうとも言ってる。たくさん抱きしめて大切だとも言っている。でも、それでも不安にさせているみたい。
どうして、ママが怒るのかも説明してる。そして、怒った後、抱きしめて怒りすぎたことを誤ってもいる・・・。怒らないように気をつけるから、優ちゃんも怒られない様に頑張ってねという話をして、このことは終わった・・・。

でも、どれぐらい理解して、不安な気持ちを取り除いてくれたんだろうか?これが、きっかけであって、これからの生活が大切だということもわかっているから。

本当は、こんなことを考える事なく、普通に子供を愛していればいいのかもしれない。でも、優ちゃんを不安にさせる要因になった何年間の穴埋めをきちんとしていきたいと思っているから・・・。考えすぎかな?

伝えると言うこと
気持ちを伝えることは、本当に難しいと思う。100%伝えられることは不可能だと思ってる。この2年でHPを開設したり、メーリングリストに参加したり、メールを書いたりして、文字から気持ちを伝えることの難しさを知った。

まずは、文字にする人の、書き方や表現の仕方、言葉の持つ微妙な違い・・・、そしてそれを読む人の受け取り方、感じ方などで、書いている人の伝えたい思いとはまったく逆の思いとして伝わったりすることもあると思う。

少しでも、私の気持ちをきちんと伝えたいから、どうしてもだらだらと言葉が多くなってしまう。言葉が多くなればなるほど、本当に伝えたいことがぼやけてしまうことも多々あると思う。

先日、取材してもらったテレビの放送についても、同じことが言えると思う。私以外の第三者が製作しているから、その人たちの思いが濃く出てきてしまうのは仕方ないことだと思っている。

以前は、それがいやで、取材を受けることを拒否してきた。でも、HPを開設して、自分の思いをHPで書くことができるようになって、少しは寛容になってきたと思う。ちゃんと伝わらないものだと割り切っているのかもしれない。

100人がHPやテレビ新聞を見たときに、100人の感じ方があって思いも100通りあることを知ったから・・・。もちろんいい印象だけだとも思っていないから。批判があっても当然だと思っているから。別にそれでもいいと思っている。そう思えるようになったから、取材を受けてきた。

新聞、テレビ、HPすべては、作られているものだと割り切ることができるようになってきた。でも、まったく違うものを作られるのもいやだった。今回のテレビも作られたものだということは取材を受けながら感じてきた。それを最小限にとどめるために、担当の方といろんな話をしてきた。自分の中で自分の生き方はすごく大切だから、事実と違うことはできなかった。ドラマじゃないからそのままの自分を撮ってほしかったから・・・。
今回のテレビでは、私が悲しがっていたときのことが、あまり出てなかったと思う。それは、私が話さなかったから・・・。笑えるようになった今の自分が好きだったからそのことをたくさん話してきた。インタビューとして悲しかったころの事を聞かれたから話したときもあったけど。

そういう意味で、今回のテレビは、あれだけの時間だけしか一緒に過ごさなかったスタッフの方に伝えた私の思いをうまくまとめてくださったと思っている。
伝え切れなかった部分もたくさんあったり、間違って伝わっているんだろうなと思った部分もあったけれど・・・(笑)たくさん撮ったのに使われたのが一部だけだったのは残念なきがする。

もっともっと一緒にいる時間が長かったら、もっともっと私が見えてくると思う。いい部分も悪い部分も・・・・。でも、それが見えても100%私を表現できるのは難しいだろうな・・・。私自身でも、HP上で私のすべてを表現しきれていないから。私自身わかっていない部分もたくさんあると思うから・・・。

なんか、とってもえらそうなことを書いてしまった(^^ゞ NHKの○○さん、ごめんなさいm(__)m でも、これからもいろんなお話をさせていただきたいと思っています。今度は取材抜きで、お友達としてね♪





目次へ

ご意見ご感想など何でも結構です。メール待っています。
トップページに掲示板もあります。そちらもよろしくね。
メールを お待ちしています