●ママの気持ち(日記から)
こんな感じでいつも抱っこしていましたv(^o^)


イラスト by すずらん さん
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2002年1月17日
1月17日に向けて
あれから、7年が経った。最初の4年ぐらいはすごく早かったけれどこの3年は、早かった気がする。最初の5年間、1月17日は、毎年将君が亡くなった部屋だった場所にある部屋に集まって朝5時46分をパパ、ママ、ゆうちゃんおじいちゃんおばあちゃん、私の弟家族で過ごしていた。

去年は、こちらに引越ししてきたということもあって、亡くなった家の隣にある我が家で5時46分を過ごした。
去年ぐらいから、みんなでこの時間を過ごすことについて考えるようになった。いつまで、こうやって過ごすんだろうって・・・。

今年の1月17日には、パパがテレビに映し出される神戸の町で行われている追悼の集いに行きたいと言い出した。朝、5時46分にあの場所に行くためには、遅くても4時半までには家を出ないといけない。

5歳までは、優ちゃんもまだ小さかったということもあって、5時46分には起こさなかった。でもこちらに引っ越してきた年、年長になったときに、地震の時間がどんな時間だったのかを知ってほしかったから、その時間に起こすことにした。

そして、今年は、早起きをさせて、神戸で5時46分に過ごそうということになった。

そうすることで、気になることが二つあった。
ひとつは、今まで一緒にあの時間を過ごしてくれた両親が私たちがいないとあの時間をどのように感じて過ごすんだろうかと・・・。だから神戸で過ごすということもすごくいいずらかった。でも、いつかはきっと別々の5時46分を過ごす時が来るだろうから、それが今日であってもいいかなって思った。

もうひとつは、将君のお骨をどうするか・・・。私たちが、家を空けると将君は、地震のあった時間に一人ぼっちになってしまうと思ったから。それは、なんだかかわいそうな気がした。そこで、私たちは将君も神戸に連れて行くlことにした。

16日の夜から、私は、HPの更新をしたりお風呂に入ったりしているうちに2時半になってしまった。そのまま朝まで起きていることにした。前日に徹夜をするのは初めてだった。

いろんなことを考えながら起きていた。明日、放送されるNHKの番組のことや、7年前のこの時間(朝の4時ごろ)は、まだ将君は生きていたんだなっとか・・・。生きていた最後の時間を寝てしまうのがもったいないと思った。(来年は寝ているかも)

そうこうしているうちに、パパが起きてきて、優ちゃんも一人で4時前に起きてきた。

軽くご飯を食べて、4時半ごろに車で神戸に向かった
神戸の東遊園地にて
報道関係者の多さにビックリ\(◎o◎)/
毎年、ろうそくをともしている東遊園地に着いたとき、小雨が降っていた。でも、思ったほど寒くなかった。たくさんの人が集まっていた。その中に、かなりの報道関係の人がいたと思う。車を降りてからろうそくをどこでもらうのかと歩いているだけで、すごくたくさんの報道関係の方に声をかけられた。子供の優ちゃんがいたり、将君の写真を持っていたり・・・、確かに目立っていたかもしれない(笑)。パパは、5時46分が終わるまでは、そっとしてくださいといって断っていた。その冷静さは、やっぱり男の人なのかもしれない。

やっと、ろうそくをもらう場所にたどり着いて、手に持ったろうそくの火をを竹筒の中に浮かんでいるろうそくにつけようとすると、いつの間にかにすごい数の報道のカメラやテレビカメラが、集まって私たちを写していた。中には、自分の名前をきちんと名乗ってから、インタビューする人もいたけれど、ほとんどの人が、いきなりインタビューしようとした。その数の多さに、思わず「インタビューするなら、きちんと自分の会社名を名乗ってからにしてください」といいそうになった(笑)。

横で、パパもその報道のカメラの多さに嫌気がさしていらいらしていた様子だった。

雪のお地蔵様
それから、5時46分まで、しばらく時間があったので、富山のボランティアの方たちが作ってくれたという、雪のお地蔵様の所に行った。雪が山積みになっているのを発見した優ちゃんは、おおはしゃぎしていた。優ちゃんにとってあんなにたくさん山積みになっている雪を見たのは、はじめだったかもしれない。場所柄、あまり子供が、楽しそうに騒いで遊ぶのもどうかなと思って、止めようとしたけれど、優ちゃんがこんなに楽しそうにはしゃいでいるってことは、きっと将君も楽しんで、同じように走っているような気がしたので、こけないようにだけ気をつけるように言って、好きに遊ばさせた。

5時46分
5時46分が近づいてきたので、再び竹筒のろうそくの場所に戻った。ろうそくのところは、すでにたくさんの人たちが集まっていた。もちろん報道のカメラとかも・・・。カメラに敏感に反応したパパは、ちょっと離れたところから、それを見ようといった。私は、できるだけ近くで見たいといったけれど、パパは、それを嫌がった。その態度に私は、腹が立った。その態度に、パパも怒った。将君が死んでしまった時間が近づいているのに、喧嘩をしている私たち・・・。そんな自分たちがすごくいやだった。どうしても前に行きたくないというパパをほって、優ちゃんだけを連れて前のほうに行った。
しばらくしたら、パパもそばに来た。

そして、5時46分が近づいた。30秒前から、時報が会場に流れた。刻々と5時46分が近づいてきた。5時46分の瞬間にあの地震が起こって将君が死んでしまったんだという思いが、その30秒の間に急にこみ上げてきて、涙が自然と溢れ出た。家で過ごすよりもずっとずっと悲しかった。思いっきり悲しみに浸れる時間であり、場所であった。ふと、パパのほうを見るとやっぱり泣いていた。周りにいるたくさんの人が泣いていた・・・。報道関係の人も・・・。

たくさんの命を奪った震災・・・。旅立った命は二度と帰ってこない。いくら泣いても、がんばっても、笑っても・・・・。二度と抱きしめてあげることはできない。将君に人生を経験させてあげることはできない・・・・・。
5時46分が、今年も過ぎていった。

お兄ちゃん
しばらく、泣いた後、慰霊碑のほうで神戸市の追悼の集いが始まった。その時間は、また雪のあるところでしばらく遊んでいた。
NHKの撮影でお世話になったカメラマンのお兄ちゃんもこの場所にきていると聞いていたので、連絡を取って、20日振りに再会した。たくさんの人がいるけれど知らない人ばかりの中、よく知っているカメラマンの方にお会いできてなんだかほっとした。いろんな話をした。また、会えてよかった・・・。

そして、神戸新聞の取材を受けたときのカメラマンのお兄ちゃんにも会った。あれだけの人の中で、よく会えたと思う。一度でも会った人でもうあえないだろうと思っていた人と、また会えることってなんだかとってもうれしい。
NHK
今日は、11月末から取材を受けていた、NHKの番組が、生放送で行われる日でした。生放送が始まる8時35分に、生放送のある場所に行きました。撮影が終わったのが12月30日。いったいどんな場面が使われるんだろかと、楽しみだったりどきどきしたり心配したりした迎えた当日。最初は、その場に行くのを迷いましたが、家で、目的もなくだらだら過ごすよりは、その場所にいるほうが、有意義な時間を過ごせる気がしました。

画面に映し出される我が家と私たち・・・。ゆうちゃんと、恥ずかしくて大騒ぎしていました。

全体的に、前を向いて歩いているという放送だった。でも、私はそれでいいと思った。取材を受けている時に、私は、悲しみを話さなかった。今まで、たくさんの悲しみを出してきて、そしてHPでもたくさんの悲しみを書いている。

だから、とくに今回のテレビ出演で、悲しみを伝えようとは思っていなかった。優ちゃんのことを見れるようになって、笑いを再び思い出した私・・・。それがすべてじゃないことは、私自身がよくわかっている。でも、その部分じゃなくて、元気な私を伝えたかったのは、優ちゃんに、優ちゃんのことをたくさん愛してるということを伝えたかったこと、そして震災直後からずっと私のことを心配してくれていた遠く離れて住んでいる友達に、元気になって笑っている私がいることをしてほしかったから・・・・

私の思いがあの一時間のテレビの中で100%伝わるとも思っていない。見たすべての人が同じ思いで見てくれるとも思っていない。それでも、いいと思っている。誰かのために、取材を受けたわけじゃないから自分のために、変わってきている自分の思いを取材を受けることで自分の中に定着させたかったから・・・。変わってきている自分が大好きだから、そしてもう一歩、踏み出したいと思ったから。

そういいつつも、遠くにいる友達から、「元気になっている姿を見たらすごくうれしかった、ほっとした」と電話やお手紙、メールをもらって、素直にうれしかった。

河瀬直美さん

ゲストは、河瀬直美さんという映画監督の方・・・。奈良県出身の方です。河瀬さんのコメントで「文字や言葉の奥にある見えない部分をわかることは難しい、その見えない部分を分かり合いたい」というようなことをいてくださった。表面的な部分じゃなくてその奥も見ようとしてくださっているということで、それだけでとっても身近に感じられた。河瀬さんともゆっくりお話がしたいと思った。自分の心の奥を知ってほしいためじゃない。きっと、私が詳しく話さなくても感じ取ってくださると思うから。
放送終了後、初めて河瀬さんとお話をさせてもらいました。とっても素敵な方でした。写真を一緒に撮らせていただきました。河瀬さんとお話できたので、今回、みにきてよかったと思いました。
また、ゆっくりとお話しする機会があればなと思っています。映画監督としての河瀬さんをまったく知らないけれど、河瀬直美さんという女性のファンになってしまいました。河瀬さん、今度一緒に飲みにいきましょう!

スタッフの方たちへ
番組は、無事終わりました。当日、会場に行って本当によかったと思いました。それは、この番組を作ってくださった方たちとお会いすることができたからです。感想なども直接お聞きすることができたから。、ありがとうございます。

そして、HPを見つけて番組にしてくださったディレクターの方、カメラマンの方音声の方、そして移動でお世話になった運転手の方、そして番組にかかわって下ったすべての方達、たくさんの時間を費やして、私たちのことを紹介する番組を作ってくださってありがとうございました。

番組が終わった時点で、すべてが終わってしまったようで、とっても寂しかったです。でも、この番組の撮影中にたくさんのことをお話させていただきました。この出会いによって、この一年歩いてきた自分を改めて、見つめることができました。そして、その歩いてきた道をよりしっかりしたものにできたような気がしています。これで、終わりってすごく寂しいから、また機会があったら、みんなでお会いする時間がもてたらいいのになって、家族みんなで話しています。

この出会いに、たくさんの感謝をこめて・・・
反響
家に帰ってみると、たくさんの掲示板の書き込みとメールが入っていた。読んでいる間も、どんどん入ってきた。あまりの量にただただビックリするばかり・・・。ありがとうございました♪
お友達から
私の、友達には、結局後回しになってしまっています。ごめんなさい。気になりながらもそのまま・・・続く・・
震災慰霊碑
ちょっと待っていてね
今日一日を振り返って