優ちゃんへ 1


優ちゃんがこのホームページを読んでくれるのは、もう少しあとかもしれないね。

このホームページは優ちゃんと将君のために作りました。優ちゃんと将君がママのお腹の中に入った時から双子として1年半育ってきた事、将くんが阪神大震災で亡くなった時の事、そして、ママが今までどうやって生きて生きたかという事そして、どれだけママが優ちゃんに助けられて生きてきたかといく事を知ってほしいのです。


優ちゃん、優ちゃんも知っている通り、将君は1995年1月17日(火)午前5時46分におきた阪神大震災で天国に行ってしまいました。

将くんと優ちゃんは、1歳6ヶ月と12日の時でした。
ママは優ちゃんと将くんをおばあちゃんの家につれていきました。そして、将くんをたんすの横に寝かせてしまい、その日の朝方に地震が起こりました。ママは将君のすぐ側に寝ていたのに守ってあげれなかったの。

突然起こった地震と将くんが天国に行ってしまったショックの為、生きていく気力も失ってしまいました。しばらく、どのように優ちゃんの世話をしてきたか覚えていないの。


その時は、優ちゃんが生き残ってくれていることを感謝する事にも気づかなかった。そんなママだったのに優ちゃんはママの事が大好きで、いつも側にいてくれたの。
そして、将くんの事で泣いているままを励ましてくれた。

ママは、ママが元気になったら、将くんが『僕が死んでしまったのにママは笑ってる…』って悲しむんじゃないかと思って、笑う事、元気になることをずっと拒んできました。


でも、優ちゃんが成長するにつれて泣いているママを見て、優ちゃんが心配したり悲しんでいる姿を見て、もしかしたら、将くんも天国で心配してるんじゃないかと思うようになったの。あれだけ、色んな人に泣いてばかりいると天国の将くんが悲しむよとか心配しているよと言われて来たのに、受け入れる事ができなかったのに、優ちゃんを見ていると、将くんも心配しているかなって自然と思えるようになってきた。

将くんが天国にいってから、ママはもう笑う事も遊びに行く事も出来ないと思っていたの。でも、今、笑ったり出かけたりできる様になった。

これは優ちゃんがいてくれたおかげだと思っています。


ママは、優ちゃんをたくさん怒ってきました。怒ってしまったあと、いつも、そんな自分がいやになって落ち込んでいました。
ごめんね。こんなに優ちゃんのこと大切に思っているのにね。大好きなのにね。

優ちゃんはあの地震で生き埋めになりながらも生きてくれていたんだよね。
その事に気が付いた時、今までの自分がとっても情けなかった。そして、これからの人生を優ちゃんと一緒に遊んだり、笑ったりしながら生きていこうと決めました。

優ちゃんが生きていた事、その事を感謝しながらこれからは生きていこうと思います。


もう、自分から天国に行こうと思うのはやめました。いつか必ず天国で将くんに会えるのだから、生きている間、優ちゃんと一緒にたくさん楽しみたいと思っています。きっと、将くんも側にいて一緒に楽しんでくれていると思うから。だって、将くんと優ちゃんは仲良しの双子なんだから。


2000年5月4日
ママより



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