震災から5年が経って

震災から5年が経ちました。

今年は転勤で被災した西宮に戻ってきましたので、1月17日にあわせて、山口県から,西宮への移動でバタバタする事もなく、ゆっくりと17日を迎えることができてよかったです。

5年にむけてホームページを作成するという目標を持ったので、気持ちがそちらのほうにいき、今までとは違う気持ちで過ごす事ができました。

この5年間、私の周りの人達に、将くんの事をみんなに忘れてほしくない、知らない人にも将くんのことを知ってほしいという思いだけで過ごしてきました。

5年目の1月17日 ホームページの開設 私の一年は、この日から始まりました。みんながお正月に,今年の目標を立てるように,私は,1月17日にこれからの一年は,どのように生きていこうかと考えます。(生きていくための目標を)

震災から一年たったとき、私は,まだ生きているのがとってもつらく、1人で天国に逝かせてしまった将君のもとに行きたかった。でも,気がつくと一年も天国に行くことができず、生きていました。

それは,優ちゃんを残していくことも優ちゃんを道連れにいくことも出来なかったからです。自分のため、親のため、優ちゃんのためという理由で生きていきたくなかった。将君のために生きていきたかった。
その時,先ほども書いた通り、将くんがみんなに忘れられないように,そして,生きていたことを伝えるために,とりあえずは,この一年を生きていこうと決めました。

それから,色んなことがあり(ママの日記を見てね)4年たった去年1月17日に生きていく今年の目標は、将君のホームページを作るということでした。
私も主人も,ホームページに関しては,まったく知識がなく、ゼロからのスタートでした。試行錯誤の結果、どうにか、ホームページを開設することが出来ました。

この一年間、ホームページを作りながら、将君のことを私の周りの人だけでなく1人でも多くの人に知ってほしいというよくばった気持ちが強くなりました。

ちょうどその頃、某テレビ局から,震災に関するアンケートが届きましたわたしは、いっきに色んな思いを書きました。
しばらくして,そのテレビ局から話を聞かせてくださいという,お電話がありましたが あまりに突然だったのと、テレビカメラの前で話す勇気もなく、お断りしました。
しかし、何かの形で,将君のことを知ってほしいという気持ちが強く、心の中がゆれ,またホームページの開設の準備に追われながら1月17日を迎えることになりました。

1月17日 追悼式の会場で新聞社の方からインタビューうけ、私達の気持ちと共にホームページのお話をさせていただきました。その記事が,翌日の新聞に紹介され、おかげで,たくさんの方にホームページを見ていただき, 励ましメールや同じ思いをしていますとのメールやお手紙を頂きました。

これからも、少しでも,多くの人にホームページを通じて,将君のことを知ってもらったり、同じ思いの方やその周りの方たちとお話できたらと思っています。

また,それとは別に,命日にむけ、知人,友人などから、将君のためにどこどこで、お祈りをしてきたよとか、普段は,口にしたり手紙に書いたりしないことをしてくださり、周りにいる方たちも,口には出さなくてもひそかに将君のことを思ってくれているんだなって改めてわかり、感謝の気持ちでいっぱいです。

あれから5年間生きていて、「将くんの為に、将くんの為に」と念仏を唱えるように過ごしてきました。つらい事もあり、気の進まなかったり、落ち込んだりしながらも外に出るようになり、人に将くんの事を話しているうちに、友達もたくさんでき、その友達と、一緒に食事にいけるようになったり、色んな事に興味をもてるようになりました。

将くんの事を思いつづけるという事によって,気がつくと 私は後ろ向きに生きているのではなく、将くんという目標に向かって、歩き出していたようです。将くんのおかげで、随分強くなりました。

一年後,二年後,五年後・・・・・私の気持ちは、また変わっているかもしれません。でもこれが,今の私の気持ちです。