●ママの気持ち(日記から)
こんな感じでいつも抱っこしていましたv(^o^)


イラスト by すずらん さん
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震災から8年目
2002年1月17日から2003年1月16日まで

1月17日から31日


2002年1月26日
 
1月17日から、久しぶりの日記の更新です。17日に私たちのことがNHKで紹介されました。たくさんの方が見てくださってたくさんの掲示板の書き込みとメールをいただきました。まだ、すべての方にお返事を書き終えていません。ごめんなさい。17日のことはきちんと書きたいと思っていますが、なかなかゆっくり書く時間がなくてまだ書いていません。

今日は、どうしても書き残しておきたいことがあったので、眠い目をこすりながら書いています(*_*)

今日、将君のお茶碗が、落ちて割れてしまった。優ちゃんは、割れたのが将君のお茶碗だとわかったときに、固まった。そして、あわててボンドを探して「ママ、これでくっつけて!」と叫んだ。でも、それは陶器用のボンドではなかったので、これではくっつかないよ、と話した。優ちゃんが、あまりにも動揺していたので、パパが、また、二人におそろいのお茶碗を買ってあげるから、といった。でも、ショックから立ち直れないでいる優ちゃん。他のお茶碗に将君のお茶碗に書いてあるパンダの絵を描こうということで納得したように見えた。でも、私が陶器用のマジックを探しに行くと後からついてきた。そして、私に抱きついて、泣き出した。将君のお茶碗が割れたことがショックだったって・・・。きっとそれがママやパパのだったら、あんなショックは受けなかっただろうな。将君がかわいそうだと泣いた・・・。
すぐに、気持ちを出せない優ちゃん・・・。でも、私に抱きついて泣くことで、きっとすっきりできたと思う。これからも、気持ちを出せる子になってほしい。それは、私たち親がそれを受け入れてあげる体制でいないといけないことを感じた。

ここ何日か、ずっと優ちゃんのストレスについて考えていた。いろんな思いがあるようで、それを優ちゃんと二人で話し合った。この件については、いつかきちんと書きたいと思っている。

優ちゃんの中の将君の存在ってどんなんだろうと考えていた。私と優ちゃんと将君・・・微妙な関係を保っているのかもしれない。優ちゃんが、将君のことを私が感じているように感じなくても仕方ないと思っている。極端な話、忘れても仕方ないと・・・・。優ちゃんが成長てきて優ちゃんにかなりのストレスをがあると感じ始めたので、私は、私の思いを優ちゃんに押し付けるのはやめようと思った。

優ちゃんなりに、将君を思っていけばいいと思ったから。だから、今日、お茶碗が割れたときに泣いた優ちゃんをみて、優ちゃんの中に将君への思いがあったということを知った。

兄弟を亡くした子供たちは、兄弟を亡くしただけでなく、自分を思ってくれる親も同時に亡くしたことになると、ある本に書いてあった。その子供たちの思いを、見逃していることを私たち親は、知らないといけないと思った

震災遺児のための心のケアのレインボーハウスで、子供たちの心の中を吐き出す時間が持たれたと、ニュースで知った。うらやましいです。必要なのは、震災に限らず親や兄弟を亡くした子供たちも同じだと思う。そして、それは死に限らず大切なものをなくした子供たちすべてにいえることだと思う。

2002年1月17日
 
1月17日になってしまった。HPの更新作業をしながら迎えた今日の日。
特に泣くわけでもなく過ごしているけれど、いいのかなぁ・・・。
でも、明日をどうやって過ごすのが、一番将君を思って感じて過ごせるんだろうってここ何日かずっと考えていた。

将君の命日は、阪神大震災のあった日。神戸の町にとっては、特別な日であるから各地で色んなイベントがある。どれかに行きたいと思うけれどどれにっていいのか決められないまま今日が来てしまった。

ふっと、震災以外で子供を亡くした人たちは、子供を亡くした日をどうやって過ごしているんだろうと考えた。私たちのように、どこかのイベントに行くこともないだろうな。
きっと家で、たくさんの思いを込めて過ごしているんだろうな・・・。
そういえば、たくさんのネットの友達がいるけれど、そういうことを話したことがない。

最近、思うこと。
市や団体が主催するものに出るよりも、お友達を呼んで、今日は将君が亡くなった日っていうのをちょこっとお話してみんなで遊んでもいいかなって思った。
お誕生日会ほど派手でなくても、お友達がきて、この家で楽しく遊ぶのも将君は喜ぶんじゃないかなって考えたりする。

将君のことを知っている友達がここにはいない。それって、普段はあまり気にしないけれど、命日のような特別な日には、すごく寂しい気がする。誰が来てくれるわけでもなく。小さくして亡くなるってこんなことなのかなって、13日にした命日の法事の時にもそう思った。命日なのに集まったのは、私とパパと優ちゃんとおばあちゃんだけ・・・。みんな遠いところに住んでいるから、わざわざ来てもらうのも申し訳ない気がするから無理に来てくださいとは言わないけれど。私の知っている法事っていうのは、私のおじいちゃんの法事ぐらいだけど、その時には、おじいちゃんの子供たち、孫たち、兄弟、いとこ達、お友達などなど・・・。結構にぎやかだった。

家族が思っていればいいことなんだけど、やっぱり小さかったからなのかなぁって思った。私がたくさんたくさん思っているから、それでいいんだけど、やっぱり寂しい。こういう思いをすると、やっぱりママである私だけでも将君のことを強く強く思い続けてあげないとと思う。