ママの想い


こんなママでいたいな。現実は……

イラスト by すずらん さん

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震災から7年目
2001年6月29日
今日は、心が弱っている為か、どんどん涙が出てきます。

『チーズはどこへ消えた?』という本を教えてもらって、読みました。今の私は、一度手に入れた たくさんのチーズを食べきってしまって、次のチーズを探すために迷路の中をさまよっている小人のような気がしました。何かを求めて歩き始めているんだけど、目的のものをなかなか見つけられず、期待と挫折を繰り返しながらそれでも目的に向かって行く。

今日の私は、迷路に入り込んで将来の事を不安に思っている状態です。でも、きっと、近いうちに何かを求めて歩き出す事もわかっています。
でも、少しだけ休憩してどのようにして新しい道へ出発するか、考えないといけないんです。きっと、何かが見つかると信じて…

今日、とってもイライラしてゆうちゃんを怒ってしまいました。わがままばっかり言うゆうちゃん…、私の育て方が甘いせいでしょうか?ママが怒らないとわかっていっているわがままに随分イライラしました。

なんだか、不安定な心をどうすることも出来ない自分…今は、気持ちが暗くて、どうすることも出来ないです。そんな自分がどうしてもいやです。

ずっと殻に閉じこもっていたいと思う私と、この思いをどうにかして消化していきたいと思う私…。二人の私の間をいったりきたりしながら、どうしていいかわからないで苦しんでいる私。すごく眠いのに眠れないでいます。

今日は、悲しみにとっぷりと浸かっていたい気分です。たまにはいいよね。

2001年6月27日
久々に凹んでいます。気持ちをどう切り替えていいかわからないまま書いています。
 
今度、地域の役員で夏休みのプールの監視のための、救急講習会があると言うことを聞きました。心臓マッサージや人工呼吸の講習会だそうです。
病院で将くんの心臓マッサージをしたので、どうしても参加ができそうにない。地域の集まりなので、そんなわがままをいえないこともわかっているけれど、欠席しようと思っています。
先日の小学校の事件以後、やっとどうにか気持ち的に落ち着いてきた所なのに、参加するとしばらく、寝込んでしまいそうです。今、その講習会があると聞いただけで、こんなに動揺しているんだから・…。
そのほか、私の所属しているある親の会の世話役をしている人が出版された本が届きました。その本には、その会で定期的に出されている文集から子供を亡くした親たちの想いが載せれています。私の投稿したものも載せていただいています。

その本を読んで、久々に泣きました。読んでいると自然と涙がでてきて止まらなくなりました。生まれてすぐの子供から、お母さんの年齢が90歳っていう人までの投稿された文章を読んでいると たくさんの方のそれぞれの立場での想い、でも、みんな同じ子供を思う母親や父親の想いだということが伝わってきます。

たくさん愛されていながら、天国へ旅立った子供達(親にとっての)。みなさんはその子供達のことを色んな形で想い続けていました。

自分の手元を離れてしまった子供たちを思って、落ち込んで泣いていたり、その子供を安心させようと、頑張って笑顔を見せて生活していたり、たくさんの顔をした自分がが毎日の生活の中にいます。

泣いている自分も、将くんに笑顔を見せたいから頑張っている自分も、今、そばにいる優ちゃんのために笑っている自分も、ちょっと頑張ってみようとしている自分も、全部同じ私なのだから、すべての自分をその時々に受け入れて毎日をすごしていこうと思っています。
今日は、凹んで涙を流す自分がいます。久々に一杯泣いてちょっと目が痛いです。

明日は、友達とランチに行きます。また、たくさん元気をもらってこようっと(^o^)
 

2001年6月26日
久しぶりのHPの更新です。約20日ぶりかな?大阪での事件があってから、色な思いが私のなかでぐるぐる回っていました。あまりの辛さの為、テレビや新聞が見れなくなりました。たまたま、目にしたときには、涙が溢れて…。将君のときのことを思い出したり、また、優ちゃんがあんな事件に巻き込まれてしまうのではないかという思いとが、一緒になって不安で暗い毎日を過ごしていました。

辛い事件だった為、知らず知らずのうちに私は、悲しみを避けるようになっていました。考え出すとどんどん落ち込んでいく自分がいる事がわかっていたので…。
なるべく、その事にふれないようにして、考え込まないようにしていました。

そして、その頃から、友達とよくランチに行くようになりました。家にいると、どんどん暗くなって行く気がして…。そして、気がつくと友達からたくさん元気をもらっていました。
こんな私と付き合ってくれてること、本当に感謝しています。きっと、色んな事を感じているんだろうなって、思いながらも友達とランチにいったり遊んだり・・・毎日が充実しています。

今まで、本当にたくさんの友達に支えられながらここまで過ごしてきました。そして、その時々に、出会った友達に、その時の私にちょうどいい元気をもらってきました。
もしかして、その順番が違っていたら素敵な出会いになっていなかったんじゃないかなとも思います。今、私の周りにいる友達や今まで私を支えてくれてきた友達、そして、これから私が出会うであろう友達・・・。
色んな暗い話もしてきたし、目の前で泣いてしまったこともなんどもあったけれど、たくさんの笑顔を私に思い出させてくれました。そんな友達の存在に感謝しています。

そんな友達のささえのおかげで、これからも将君や優ちゃんと一緒に、私の人生を送っていけるような気がしています。
どうもありがとう。そして、これからもよろしくねm(._.)m

2001年6月8日
今日、大阪で悲しい事件が起こった。7人もの小学一年生の子供たちが、お空へ、旅立っってしまった。学校の教室の中で起こった事件…。本当にショックを受けた。
安全なはずの学校の教室で…。

亡くなった子供たちが、お空に旅だつ瞬間、どんな事を考えていたんだろうかと、思うだけで、辛くなる。わが子のそんな思いを考えるご両親や兄弟、お友だち・・・の心を思うと、胸が苦しくなる。

天国に旅だつ瞬間は、痛みも苦しみも辛さも、すべて感じることなく、幸せな気持ちで旅だてるという話を、聞いたことがある。将君に対してもそう思うように努力しているけれど、今回の事件を知って、その事を思わざる終えない。

今回の事件を、知って、やっぱり人生は、何が起こるかわからない。ただでさえ心配性になっている私は、ゆうちゃんを1人で歩かせるのは、やめようと思った。

今日の新聞には、色んな事件が載っていた。普通にしていても、事件事故に巻き込まれるのを100%避ける方法は、ないのかもしれないと思ってしまった。

まさか、うちの子に限って、事件事故に巻き込まれないだろうという気持ちは、私にはない。うちの子に限って、巻き込まれてしまうような気がしてならない。これ以上、大切な子供を失いたくない。でも、失ってしまった時の事を考えてしまう自分がいる。

そんな自分を客観的に考えて、すごく辛くなる。ゆうちゃんが私より先に、天国へ旅だたない事、それだけを祈っている。ゆうちゃんへの想いは、それだけ・・・。

今日の事件で、お空へ旅だってしまった子供達やそれ以外で、お空に旅だってしまった子供達すべてが、お空で幸せに暮らしていること、それだけを祈ります。

私の今の思いは、この二つの事だけです。


心のケア
今、テレビで子供たちや家族の方たちのために、心のケアをする為に、たくさんのスタッフが、派遣されるといっていた。そして、心のケアに大事な事をアナウンサーが話していた。私が、この6年間に自分で感じてきた、自分の心を軽くする方法を、簡単に話していた。私も将君を亡くしたときに、そんな心のケアを受けられたら、随分違ったのかな?

随分、普段の生活をできるようになった今、今回の事件でまた、心が不安定になっている。日常の生活は、きっと、きのうと同じ様にできるだろうし、友達とも笑って話せるだろうけれど、ゆうちゃんに対しての不安感は、大きくなった。

きっと、私と同じ様に、以前、心のケアを必要としていた人達も、今回の事件で、再び心の傷が開いて、心のケアを必要としている人が、いるんじゃないかな?
一番、心の傷が生々しい、今回の事件に巻き込まれた人達のほかにも、心のケアを必要としている人がいる必ずいると思う。



2001年6月5日
今日、用があって学校へ行ってきました。そして先生にお会いして、土曜日に、天使になってしまったハムスターは、メスのりんちゃんではなくて、オスのジャッカルだったと言うことがわかりました。子供達が、遊んでいるうちに、いつも入れている『ケージ(かご)』が、入れ替わっていたので、勘違いしていました。

ジャッカルだったから、よけいに悲しいと言うわけでもなく、りんちゃんじゃなかったから、よかったとも言えません。でも、先日、うちでジャッカルを預かった事を思い出しました。


うちで預かった時に撮った「ジャッカル」の写真です。

なんだか複雑な思いです。地震で生き残っていてほしかったのが、将くんかゆうちゃんのどちらかと考えても答えが出ないのと一緒。二人とも生きてほしかった。それが答え・・・・。
今回の『りんちゃんと』『ジャッカル』のことも同じ。2匹とも元気でいてほしかった。
二つの事を重ね合わせて、なんだか複雑な思いでいっぱいです。

ジャッカルを預かった時に何十枚という写真を撮りました。今、その写真を見ました。
元気だったときに見たときは、すっごくかわいい気がしていたのですが、
今日、その写真を見ると、胸が苦しくなります。本当に悲しいです。


将くん・・・。将くんの側にいるハムスターの名前は、『ジャッカル君』だよ。この間、うちにお泊りに来た、あのハムスターだよ。たくさん遊んであげてね。



2001年6月4日
将くんへ

この間の土曜日、将くんのも元へ、ハムスターが行ったんだけど、もう会えたかな?


ひつじと遊ぶりんちゃんとジャッカル

ゆうちゃんは、学校で『いきもの係』をしています。そして、いきもの係になった次の日に、ゆうちゃんのクラスに、2匹のハムスターがやってきました。

オスの名前は「ジャッカル」、メスの名前は「りんちゃん」。
ゆうちゃんは、いきもの係として、すごくはりきって、ハムスターのお世話を毎日していました。大好きだった、折り紙もほとんど しなくなって、休み時間はずっと、ハムスターを見ていたようです。ゆうちゃんだけではなくて、クラスのみんなが、2匹のハムスターをかわいがりました。

そして、すぐに、りんちゃんのおなかに赤ちゃんがいる事がわかりました。クラスのみんなもそのお母さんたちも、赤ちゃんが生まれるのをとっても楽しみにしていました。

そんななか、学校から帰ってきたゆうちゃんから、『りんちゃんが、逃げちゃったんだよ、まだ見つからないの』と聞きました。私は、おなかに赤ちゃんがいることがとってもきになっていて、産まれる前に見つかってほしいと思っていました。次の日も、りんちゃんは、見つからないまま。そして、きょう、先生からのお手紙で、りんちゃんが見つかったと言うことを知りました。でも、そのとき、すでにりんちゃんは、天国に行ってしまっていたのでした。

私は、そのお手紙を読んで、涙が出てきました。そして、ゆうちゃんをしばらくだきしめてしまいました。
おなかの中には、何匹の赤ちゃんがいたんでしょう。

先日、うちがあづかったのは、オスのジャッカル・・・。オスを選んだのは、私。メスを預かって、その時に赤ちゃんが生まれるとどうしていいかわからないから、りんちゃんは、預かってこないでといったのでした。

今日、りんちゃんの死を聞いて、その時の事をすごく後悔しました。その時、私は、預かったジャッカルの写真をたくさん撮りました。もし、あの時にりんちゃんをあづかっていたら、私は、りんちゃんの写真をとってあげれたのです。そして、りんちゃんの存在をみんなに写真と言う形で残してあげれたのに…。その事を思うと、すごく悲しくなりました。

みんなは、姿の見えているりんちゃんの死を悲しがっていると思います。でも、りんちゃんのおなかには、あといくつかの命があったのです。そのことも、知ってほしいなと思います。

私は、すごくショックをうけていました。そんな様子を見て、ゆうちゃんが、「りんちゃんは、今どこにいるのかな?」って、私に聞いてきました。そして、私は、気がつきました。『あっ、今ごろ将君と遊んでいるかもしれない』と、答えました。優ちゃんも、その言葉を聞いて、嬉しそうでした。りんちゃんの死は、とっても辛いけれど、ゆうちゃんの言葉のおかげで、りんちゃんと赤ちゃん達は、一人ぼっちじゃないんだ。たくさんのお友達や、かわいがってくれている子供達に囲まれているんだって考えられるようになりました。


ゆうちゃんは、今日、たくさんのりんちゃんの絵を描きました。それを学校にもって行くんだっていっています。みんなの中から、りんちゃんとすごした楽しい日々が、ずっとずっと長く残ってくれる事といいのになって思いました。

りんちゃん、あなたのおかげで、たくさんの子供達が、やさしさをしりました。たくさんの笑顔でクラスが明るくなりました。天国にいってしまったけれど、そのことをみんな、忘れないと思います。
今度は天国の子供達にもたくさんのやさしさや笑顔を教えてあげてね。


天使になったりんちゃん

将くん、今度は、お空のみんなで りんちゃんと生まれてくる赤ちゃん達の
お世話をしてあげてね。

今日、天使になったのは、りんちゃんではなくて、ジャッカルだった事がわかりました。


2001年6月3日
今日、ゆうちゃんとパパが、近くの川にお魚をとりに行った。途中で、電話がかかってきた。どうも、かめを見つけたらしい。家で飼っていいかというので、家では、飼う事ができないといった。ママに、かめを見てほしいというので、私もそこまで行くことにした。川の中に入って、かめと遊んでいるゆうちゃんを見ると、すごく楽しそう。

そんな時間をゆうちゃんに過ごさせてやることができてよかったと、心から思った。こんなときに、ゆうちゃんが生きているという事を実感する。この命を大切にしてあげなくちゃと思った。それと同時に、そんな時間を過ごさせてやれなかったしょうくんの事を思う。

将くんもここにいたら、きっとずぶぬれになって、遊んでいるだろう。
きっと、私は、これからもゆうちゃんの『生』を感謝しながら、しょうくんの『死』を悲しんで過ごして行くのだろうなと思った。


このまま、深く考えると、きっとどんどん私は落ち込んで行くと思う。ちょっとその気になれば、何もできなくなるぐらい落ち込む事は簡単。でも、そうならないように、自分をごまかしながら生活している。そんな時間をずいぶん過ごしている。

そして、自然と心から笑う事ができる時間もできてきた。でも、悲しみは隣り合わせ。
突然、その悲しみのほうに落ちて行くか自分でも予想がつかない。
だから、心はいつも不安定…。