ママの想い


こんなママでいたいな。現実は……

イラスト by すずらん さん

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震災から7年目

2001年5月31日
この間から、ちょっと暗い….雨のせいかな?色々頑張って生きているんだけど、心が弱っている時は、ちょっとした事でも涙が出てくる。しばらくゆっくりしようかな?

↓の病院へ行って、そして、震災関係の話を聞く事があって…。その日は、1日震災関連のホームページを見てまわった。私が今、住んでいるところの当時の写真をいくつか目にした。私は震災直後から、4年以上経ってココに戻ってきた。その時には、街はほとんど元にもどっていた。だから、当時のここらあたりの被害の大きい写真を見て、ショックだった。想像をしていたけれど、今普通に通っている道の大きな亀裂や、落ちた電車の橋脚・・・など、私の知らない震災後の生活。今とのギャップにあたらめてショックを受けた。普段の生活は、すっかりもとにもどっているように見えるこの街も人々。私は、急に当時にもどってあの時の悲しみや被害の大きさを思い出してしまう。どうすることもできない、いくら苦しんでも将くんは帰ってこない。自分なりに頑張ってきたんだけど…。やっぱり、将くんを失う前の私には戻れない。ここ、最近色々頑張ってきたから、そろそろ休憩しようかな?私が、ほんとに心が安らぐ場所ってどこにあるんだろう。

2001年5月28日
昨日の夜、ゆうちゃんが、具合が悪くなった。朝もずっと気持ちが悪いといっていたので、近くの救急病院にいって来た。

その病院は、将くんを最後に連れていって、心臓マッサージをした病院です。
絶対、そこじゃないといけないという事もなかったけれど、なぜか、あの場所に行ってみたくなった。去年の夏にも、その病院に行くことがあった。

その時間では、辛すぎるからと、極力避けてきていた。その時は、お盆休み中で、救急病院がそこしか開いていなかった。すごく悩んだけれど、40度近い熱を出しているゆうちゃんに、もしも何か起こったら、取り返しのつかないことになるかもしれない、というおもいの方が、大きかったのかもしれない。

震災後、そこは建て増しをしたりして、ずいぶん変わっていた。
あれから、9ヶ月…。いつもその病院の近くを通った時に、大きな看板が目に入るたびにあのときのことを思い出していた。でも、今日は、自分からそこを選んだ。もう一度、あの場所を見たかったのかもしれない。前回の時は、気が動転していてちゃんと見れなかったから…。

お休みだった、パパも一緒に行った。パパとしては、はじめてみる場所だった。ゆうちゃんの診察が終わった後、あの時の記憶を頼りに、将くんの心臓マッサージをした場所を探した。細かい所は、変わっていたけれどあの時のあの場所は、そのままあった…。

将くんを寝かせた床あたりを指差して、その場所をパパに教えた。パパは、『ん〜・・・』とひとことうなったまま、ゆうちゃんを抱いて外へいってしまった。どんな想いで、その場所を見たんだろう…。

私は、持ってきたカメラを出して、その場所の写真を撮った。そして、みんなに電話した公衆電話の場所をみた。玄関の入り口のすぐ横にあった電話は、すでに違う場所に置かれていた。そして、そこには、花瓶がおいてあった。

そして、あの時に将くんを抱いて外に出た場所から、あの時の光景を思い出しながら外に出た…。たくさんの人が、横たわっていた光景・・・。大勢の人の中に、玄関を出てすぐに母や弟家族、そしてゆうちゃんの姿がすぐに目に入った。
あんなに大勢の人がいたのに、外に出た瞬間に、みんなを見つけた。

今日見たその場所には、誰もいなかった。それがとっても不自然に感じるぐらい、玄関を出るときの私の頭の中は、あの時のままだった…。写真はココから
あの時の私の記憶は、不思議なぐらいとっても鮮明です。6年半前のことなのにすごくよく覚えています。私にとって、将君の死の宣告を聞かされた病院…。

辛くて絶対に行けないと思っていた病院…。深く考えれば、考えるほど辛くなって行く。でも、きっと将君が、私をそこへ導いたような気がする。目をそらして見ないようにするのは、簡単なことかもしれない。

それをあえて、目をそらさないで見つめる事、辛い事に、向かって行くこと…。なんだか落ち着く気がする。逃げる事は、将くんに申し訳ない、その気持ちが私を強くしているのかもしれない。

このホームページは、悲しみの中に自分を置ける場所…。その時間があるから、私は、日常の生活で笑っていられるのかもしれない。

ゆうちゃんの様子は、病院から帰ってきて、4時間ほど寝ました。おきてから、少しだけ食事をしましたが、ずっと、気持ち悪いようで、ごろごろしていました。

明日は、学校お休みかな?


2001年5月26日
今日は、なんだか心がほっとする絵を見た。

今日、宝塚ファミリーランドへ行ってきました。
行く途中に、ファミリーランド横(中?)にある、手塚治虫記念館の話になった時に、ゆうちゃんが、以前、パパと二人で行った時の話をしてくれました。

『ママ、そこの入り口にはいる前の屋根のあるところの天井に、死んでしまった人の絵が描いてあるんだよ。将くんもそこにいるのかな?』

私は、どんな絵だろうと思いながら、ゆうちゃんの話を聞いていました。その時は、特に心を引かれる事もなく、それだけで話題が終わってしまいました。

中に入って、いろいろ遊んであと、たまたま「手塚治虫記念館」の看板を目にしたときに、私は、さっきのゆうちゃんの話を思い出しました。

主人は、『そんな絵あったかな?』と、全く覚えていないようでした。気の進まない主人を説得して、ゆうちゃんが言っていた絵を見に行くことにしました。

その絵を見るまで私は、せっかくゆうちゃんが、将くんのことを思ってくれた絵だから見てあげようかな・・・という、義務感があったように思います。

でも、その絵を見たときに、その義務感は飛んでいってしまいました。ゆうちゃんが、『将くんがいるのかな?』って、思うのもわかるような、かわいい絵でした。神様の所へハートをもらうために子供たちが、並んでいる絵でした。神様のところにいった子供は、やさしそうな女の人の天使に抱っこしてもらって、神様から「ハート」をもらっているのです。その周りには、子供の天使が、色んな事をして遊んでいます。

その絵はこちらから・・・

並んでいる子供たちの背中には、羽がありません。まわりで遊んでいる子供たちの背中には、かわいい羽と頭にはわっかがついているのです。
きっと、天国にいった子供たちが、天使になるための何かを神様からもらっている様子のような気がしました。

私は、写真を撮ろうと思ったのですが、大きすぎて一枚の写真には入りきりませんでした。あっち向いたり、こっちを向いたり、しゃがんだりと、一生懸命、天井の写真をとっている私は、ちょっと、おかしかったのか、ふと周りを見ると、そばにあるベンチに座っていた、どこかのお父さんは、じっとこっちを見ていました。ちょっと目立ってしまったかも…。一生懸命写真を撮っている私の姿に、ゆうちゃんは、『ママ、よかった?ゆうちゃんが、ここを教えてあげて…』と、何度も聞いてきました。『ありがとう、きっと、将くんたちこんなふうに天国で遊んでいるかもしれないね』と答えました。

帰るときに、ゆうちゃんが『ママ、泣いてる?』と、聞いてきました。やっぱり何かを感じていたのかな?

でも、すごくほっとする絵でした。きっと、幸せにしているよね。将くん・…。

いつもそばにいると信じているけれど、時々、空を見上げてどこかにいるのかなって、探してしまいます。もし、天国にいるいるとしたら、あの絵のように、やさしい人にお世話をしてもらいながら、きっとたくさんのお友達と一緒に、楽しく暮らしていてほしいな。ママは、そんなことを願ってあげる事しかできないけれど、たくさんたくさん将くんのこと思っているから・・・。

ゆうちゃんの心の中にも、将くんがいる事、すごく嬉しかった。『ママ、将くんのこと忘れる時があるんだよ、いい?』、と時々、私に聞いてくるゆうちゃん…。「いいよ、嬉しい時、悲しい時に将くんのことを思い出してあげたら…、いつも、ゆうちゃんと一緒に色んなことを見て楽しんでいるから、大丈夫だよ」と、答えます。

でも、ゆうちゃん、あなたの心の中に、将くんがいてくれること、ママも将くんもわかっているから、気にしなくていいよ。


2001年5月23日
久々のHPの更新です。
この10日間、掲示板で話題になった『命のアサガオ』の種が、届きました。

掲示板の書き込みから・・・



『実は、このアサガオの種にはある願いが込められています。
新潟県で白血病に罹った小学1年生の男の子が学校教材で育てていたアサガオの種の子孫です。残念ながら、男の子「こうすけ」君は旅立っていきましたが、今では、骨髄バンク運動の一環として全国各地でアサガオが栽培されています。今年はボストンでも花咲くことになりました。事情によりゴールデンウィークに大量なアサガオの種の寄付が当方にありましたが、配布できずにいます。せっかくですので今夏に花を咲かせたいと思っています。1つにつき10粒ほど包みました。育てて下さる方がいらっしゃったらぜひ当方までご連絡をいただけたら幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

なお、「命のアサガオ」についてのHPを参考までに紹介させて下さい。

http://www.xyj.co.jp/asagao/




たくさんの方から、申し出があり、昨日届いた『アサガオの種』を、送らせていただきました。たった一粒の種から、とれた種が6年という歳月でどれだけの花を咲かせたんでしょうね・・・。こうすけくんのお母さんの想いを受け継がれて咲きつづけるあさがお・・・。今年もまた、たくさんの方の手によってきれいに咲くことでしょう。

最初の想いは、こうすけくんのご家族の想いから始まったのですが、きっと、子供や大切な方を亡くしたたくさんのご家族の方や身近な方の想いも一緒になっているんですね。将くんは、小さすぎてこのような伝えて行く形として残っているものが無いので、ちょっと寂しいです。でも、きっと天国でお友達と一緒に「アサガオ」が、咲くのを楽しみに見ていると思います。

将君も、去年はゆうちゃんと一緒に学校で朝顔を植えるはずでした。でも、それができなかったので、今年は、このアサガオの種をひとつだけ、将くんにもらって、将くんのアサガオとして育てていこうかなって思っています。きっと、こうすけくんも許してくれるよね。



今日寝る時に、ゆうちゃんを抱っこした。すると、『ママ、将君も抱っこしてあげて』と言い出した。「将君をどこに抱っこしようか?」と、聞くと 『ここ』といって、私のもう一つの腕を上げて抱っこしている形にした。私は、『2人とも大きくなったね』と、言いながら小さい時に2人を抱っこした感触を思い出した。


2001年5月18日@
今日友達からメールが届いた。
お星様のお話のメール。それを読んで、すごく心がきれいになったきがした。

夜出歩く事ほとんどないし、きれいな星の見えるところにあまり行くことがないけれど、時々、夜空を見てこの空のどこかに、いるのかな?なんて、ぼーっと見つめています。
 
前住んでいたと家には、ウッドデッキがあって、よく寝る前に外出て、ずっと空を見ていました。将君を探して・・・・ここよりも、たくさん星が見えて、本当に将くんの姿がみえるような、気がしていた。
私は、たくさんの人と一緒に遊んだり、お話するのは大好き。でも、本当は、1人でいる時間がとっても好きです。
特に、将君がいなくなってからは、そんな時間を造りたいと思っている。1人でいても全然、寂しくないの。将くんの事を思う時間ができるから・・・
 
静かな曲を聞いて、ボーっとしょうくんの事を思っている時間、私には、大切な時間です。
だから、夜遅くまで1人で起きているのがすきなのかもしれない。(ただの夜型人間なだけだったりして…)


2001年5月18日A
☆ 感謝 ☆

産んでくれてありがとう

短い言葉だけど、口に出して
いうには、なんだか照れくさい

あなたのおかげで、この世に生を受けた
あなたがいるから、今の私が存在する

そして、今の私が存在するから
子供達に会えた

私を産んでくれたおかげで
私は、子供達に会うことができた
そう思うと、言葉では言いあらわせない
たくさんの感謝の気持ちで
私の胸が、いっぱいになる

私が、子供達が、自分の命より大切なのと同じ様に
あなたも、私たちのことを
大切に思ってくれているんだと
私が、親になった時に、初めて気がついた。

照れくさくて、これから先も
直接、いえないかもしれない。

だから、ここで、書いてしまおう

産んでくれて、ありがとう・・・・


 2001年母の日に・・・


2001年5月17日
今日は、月命日だった。朝から、ひどく散らかっている(笑)部屋を片付けた。いつもならお休みする、お稽古も、5月からの新クラスだったため行って来た。ちょっと前だったら、絶対休んでいるだろうな。ちょっと、バタバタした一日だったけれど、無事終えれてほっとした。

お寺さんが来られて、今日、40歳の方が亡くなったと、いっておられた。病気で奥さんと幼稚園のお子さん2人を残して…。色んな事を考えた。残された奥さんの事。
『パパ〜!』とすがり付いて泣いている子供達の姿…。涙を抑えるのが大変だった。
お寺さんは、亡くなったお父さんの想いを考えると辛いといっておられました。『すまない』いう気持ちのまま旅立っただろうと…。その時、お寺さんも涙を抑えているようだった。みんなは、それぞれの想いで言葉をなしていた。沈黙の時間が流れた。

人の死・・・。避けられない事だけど、辛すぎる。どうして、みんなが『人生を全う』して終わらないのだろう。生きていたい人が、どうして生きていけないんだろう…。それを運命だと終わらせるには、たくさんの想いがありすぎてできない。

2001年5月16日
ある所で、こんな文章を見つけました。命や死とは、全く関係ないサイトなんですが、すごく納得したのでちょっと、ここに書いてみようと思います。

『人は、2度の死を迎える。一度目は一度目は肉体の死。
そして、二度目の死は、周りの人達に忘れ去られた時。

裏を返せば、人々がその人のことを亡くなっても尚、
思いつづけていたのだとしたら、その人は、“生きて”いる、
ということになるのだろう。

亡くなった人を思う声が大きければ大きいほど、その人間の存在感を
実感することになる。“生きて”いるのだ。

そして、忘れられた瞬間、2度目の死を迎える・・・。』


将くんの死という「1度目の死」は、耐えがたいほど辛い出来事です。でも、私の力では、その死をのばす事ができなかった。でも、「2度目の死」を迎えさせるのをのばす事は、私にでも出来る。私自身が忘れる事は、決してないけれど、1人でも多くの人の中で将君が生き続けてほしいと思うのは、親として自然な思いだと思う。
将くんを「1度目の死」から守ってやれなかった私は、「2度目の死」を迎えさせない為に、私が生きている限り頑張っていきたいと思う。

今日の新聞やテレビで、3歳の双子の兄弟が、マンションの10階から、
干してあった布団ごと転落して亡くなった、というニュースを見た。
『双子の死』に敏感な私は、とても辛かった。亡くなった子供達の事や
お母さんの気持ち、そして、今から始まる自責の生活……
それが、手にとるようにわかる。
どうして、人の死は順番をかえて、突然やってくるんだろう。
たくさんの悲しみをもたらしてまで・・・


2001年5月12日
今日はUSJにいって、E.Tを将くんと乗ってきました。
写真を持って乗ったんだけど、降りたときに、
優ちゃんが『ママ、泣いている?』と聞いてきました。
特にUSJに思い入れがないため、特に涙が出るほどでも、なかったのですが
優ちゃんにとっては、何かを感じていたのかな?

2001年5月7日〜11日
山ほどあった、荷物を一週間かけて片付けた。結局、疲れてこの一週間は家でのんびり過ごした。眠たくても、パソコンの前に座ると、目がさえてしまう。

2001年5月6日
ん〜、疲れが取れない(-_-)zzz
今日は、1日家でごろごろしていた。7日間の、荷物の整理も、途中でダウンしてしまった。何もする気になれなかった。

2001年5月5日@
『 笑顔の向こうに 』

この笑顔の向こうに たくさんの悲しみがあるの

たくさんの笑顔を作っても あの悲しみは癒されない
心の中から消える事がない 大きな悲しみ・…

でも、あなたのと幸せだった日々が
その悲しみの向こうから 私に手を振っている
私は、その幸せだった日々のおかげで 、
今、また笑顔を作ることができる

決して消える事がない大きな悲しみだけど
あのときの幸せな時間が 今の私の心の支えになってくれている
あなたの笑顔を思い出して 今、私は笑顔を作っている

そして、この笑顔があなたに届きますように…

2001年5月5日A



今日は、子供の日…、昨日の、夜6泊7日の旅行から帰ってきました。今日、しょうくんのお節句をお祝いする為に…。今年は、五月人形を出してあげたものの、鯉のぼりは、出しませんでした。その代わりにゆうちゃんが、将君のために、鯉のぼりの絵を書いてくれました。



夜は、おすしをとって、家族でお祝いしました。もう少し、元気だったら、ママが色々手作りで作って上げれたのにね。ごめんね…。

2001年5月4日
今日は、今回の旅行の最終日。でも、栃木から今すんでいる兵庫県までの800kmの、車の移動で終わってしまいました。4連休中だということもあって、渋滞も予想されたので、朝6時過ぎに、栃木県を出発しました。

東京まで、約2時間ほどは、スムーズにいったのですが、東京に着くと渋滞が始まり、東名に入ると最悪でした。御殿場をすぎるまで、本当にのろのろ運転で、渋滞は続き結局、家に着いたのは、夕方の6時前…。12時間弱もかかってしまいました。

東京までなら、どうにか来るまで行けるけれど、それより先を車で移動するのは、もうこりごりです。あんなに疲れたのは、すごく久しぶりです。


2001年5月3日
今日は、さすがに、この何日かの疲れが出て、ダウンしていました。朝も、私一人、遅くまで寝ていて…。新婚の頃は、パパの実家でそんなことしなかったなって、年とともに図々しくなった自分を見てしまった。でも、本当に疲れていたの…。パパは、いいよね。そのあとも、何度もその辺に転がって、ガーガーと寝ている。いいよね。寝れる人は・・・。さすがに、まだ、そこまで図々しくできないでいる私…。

午後から、義妹家族も来た。去年、生まれた姪っ子は、すっかり子供の顔になっていた。義妹夫婦が「目に入れても痛くないよ」(とは、言わなかったけれど)と、思っているだろうなって感じるほど、かわいがっていた。去年、初めて姪っ子に会う時は、色んな思いがあってなんだか、申し訳ないぐらいに、私が固まっていた。その時、義妹には、私の想いを話した。その時に、涙が溢れて義妹の前で泣いてしまった。あれから9ヶ月…。たくさんの思いを感じながら、義妹は、子供を見てきたんだろうと思う。
私に対して、たくさん気を使いながら…。

この、9ヶ月間の間に、私は、随分、変わったのかもしれない。ホームページを開設して、今まで心の中にためていた想いを書くことによって、心が少し軽くなったような気がしている。今回会った、姪っ子に対して、心からかわいいと思える私がいて、ちょっとビックリしたのも事実。(Tちゃん、本当だよ!) きっと、この時期って、人生の中で一番素直で純粋でかわいい時期なんだろうなって、10ヶ月の姪っ子と義妹夫婦をみて、そう感じた。
それと同時に、そんなかわいい盛りの時に、たった一人で天国に旅立った将くんのことを考えた。その姪っ子よりも半年以上大きくて、ちょっといたずらをするようになっていたけれど、その分、もっと色んな事が分っていて、ママがいないとずっと泣いていた。トイレに行くのさえ、一緒に連れて行っていた。人見知りも始まっていて、他の人が、ダメでずっと、私が抱っこをしていた。

気がつくと、そんな時期の将くんをたった一人で天国へ旅ださせてしまったあの時の、自分に戻っていた。そのことを思うと、今でも辛い、あの頃、生きていた事、そのことがすごい事だと思う。ゆうちゃんの成長と共に私の心の中の将君も成長している。ゆうちゃんを見て、きっと将くんも泣いてばかりではなくて、お友達と一緒に遊んでいると思えるようになれたから、今を生きていられる。そんな成長している将君だから、大丈夫じゃないかと、勝手に思い込んでいる。

でも、もしかしてあのときのままの将くんでいたなら、まだ、ずっとずっと、ママの事を探して泣いているとしたら…、私はどうしたらいいんだろうか?
大きくなってと思ってるのは、私の勝手な思い込みで、自分を責めない為の自己防衛だったとしたら…、元気に笑っている姿を見て、寂しい顔で私たちを見ているとしたら…。私は、どうしたらいいんだろう?

笑顔の合間に、ふとそんなことを考える。そのまま、深い深い谷底に一気に落ちていってしまう、そんな意識をやっとの事で抑え、また、笑って見る。でも、やっぱり、顔が引きつってしまう。そんな私に、だれかきがついていたかな?

神様、将くんを私のそばに帰してください……。


義妹が、言ってくれた、『お姉ちゃん、ずっと頑張ってきたね…』、その言葉の中にたくさんの想いが詰まっているのが、わかった。

あの時、私は、たくさん泣いて、もがいてそれでも、いやせされる事のない日々を送っていた。そんな中で、見つけたたくさんの「棘」や「やさしさ」、傷つけられた、傷は、これからも完全に癒えることはないけれど、その時の、『やさしさ』は、その傷をそっと包んでくれていた。そして、今の私がいる・・・、たくさんの人に感謝。

2001年5月2日
昨日、10時半まで、ディズニーランドで遊んだため、今朝は眠い…(-_-)zzz。
子供は元気なのか、それとも興奮しているのか、親がゆっくり寝ようと思う日にかぎって、早く起きてくる。だらだらと9時まで過ごし、それからお風呂に入った。
さあ、昨日買い残したお土産を買おうと思ったら、オフィシャルホテルではないので、ディズニーランドのお土産が売っていなかった( ̄□ ̄;)!!ミッキーのぬいぐるみが見えていたのは、ただのディズニーの商品を置いているファンシーショップだった┐('〜`;)┌

気を取り直して荷物をまとめてチェックアウトした。

今日の予定は、ネットで知り合ったHさんのおうちにおじゃまさせてもらう事と、以前住んでいた社宅に行くことだった。

なれない道を地図を頼りに、Hさんの家に向かう。いきなり大渋滞…、そういえばここは、東京の近く。以前すんでいた時には、渋滞を気にしながら行動していたのに、すっかり、渋滞する事を忘れていた┐('〜`;)┌

予定より、少し遅れて、Hさんの家に着いた。ネットでは、よくお話させていただいていたけれど、お会いするのは初めて家に近づくに連れて、ドキドキしてきた。

おうちにおじゃまして、Yくんにもあってきた。たくさんの写真も見せてもらった。本当にかわいいY君…、何故、こんな幼い子をと思うと胸が苦しくなった。
お手製のスペシャルカレーをご馳走になって、たくさんお話をした。時間が過ぎるのがあっという間で、後ろ髪を惹かれる思いで、再会の約束をしてHさんの家をあとにした。

その後、将くんと過ごした社宅に行くことになった。転勤で、あの社宅を出た時は、将くんと一緒にみんなとの別れを悲しんだ。2人が8ヶ月の時だった。

あれから7年2ヶ月が経った。たくさんの楽しい思い出の詰まった社宅…、もう一度いってみたいと思いながら、辛くなるからと避けてきた。今回も、随分迷った。一度に悲しみが襲ってきて、それに耐えられるかどうか、自分でもわからなかった。でも、今回を逃すと、今度いつ来れるかわからなかった。車だという事もあって、思い切って行くことに決めた。

社宅のある団地の入り口に来た時に、『この間、この地に立ったときは、将くんも生きていたんだ』という思いがこみ上げてきました。『辛い辛い』叫んでいたら、主人が、『そんなに辛いんだったら、来なければよかったのに』といいました。そうなんだけどね、でも、見てみたかったんだ、将くんと過ごした街を…。夜だった事や、時間がなかったこともあって、ゆっくり感傷に浸ることもできないまま、社宅を後にしました。

私の、頭の中で、たくさんの想いが渦巻いていましたが、それを消化できない自分がいて、知らず知らずのうちに、悲しい思いを頭の隅っこに追いやっているのがわかりました。

いくら思っても帰ってきてはくれない将くん・・・そんな、将くんを思いつづけている自分やその周りにいる家族、親戚のこと、そして、なりより将くん自身の人生を思うと、心が、フリーズしてしまって、深く考えられなくなってしまいます。

こうやって、ホームページの中で、そのフリーズしている心の中を、ゆっくりとかしながら書いている時間が一番ほっとします。いいことも辛い事も、悲しい事もこのHPの中に詰め込んでいるのかもしれません。今の私には、このような場所を持っていることで心のバランスを保っているんだと思います。


今回、社宅に行こうと、決めたのは,Hさんの家に向かう時だったので、社宅の友達には、Hさんの家に着いてから 突然、遊びに行くという電話を入れました。突然、電話をしてみんなに迷惑をかけてしまったかなと、今思えば申し訳ないです。でも、その時の私は、社宅に行くことで、心の整理をしなくちゃと思う気持ちが大きくて、友達のことまで気が回らなかったのかもしれません。

Cちゃん、Sちゃん、突然伺ってごめんなさい。そして、こころよく、私達を受け入れてくれてありがとう。そして、その後、顔だけ見にいったKちゃん。ほんと、バタバタした再会でごめんなさいm(._.)m
Cちゃんの家には、転勤で関西に引越ししてこられていたNちゃんも来ていました。その方も、GWに久々に、社宅に遊びに来ていました。ここでもあえるその友人に、遠く離れた千葉の社宅で再会するなんて、思ってもみなかったので、びっくりしました。
よるの7時半過ぎに友達の家を後にして、主人の実家のある栃木へ、車を走らせました。

明日からの4連休の前の日とあって、仕事帰りの車とレジャーの車で高速は、大渋滞、改めて東京の人口の多さにビックリしました。

主人の実家に着いたのは、真夜中の12時…。もう体がくたくたに疲れて、年を感じました。明日こそは、ゆっくり寝るぞ・・・・。


2001年5月2日
『 夜空へ 』

あなたのために
夜空に風船を飛ばしました
 
たくさんの星が輝くこの空に
あなたの姿を探しながら
高く高く飛んでいく風船を
ずっと追っていました

小さくなって見えなくなって
夜空に消えていきました

きっと今ごろ、あなたは
その風船を持って、
たくさんのお友達と
たのしく過ごしている事でしょう

夜空に風船を飛ばしました
あなたへの思いを
たくさんたくさん詰め込んで…


ディズニーランドで、しょうくんの大好きだったミッキーの風船をお空に飛ばしました。

2001年4月30日〜5月1日
今日は、弟家族と一緒にディズニーランドへいってきました。あいにくの雨…。今度はいつ来れるかどうか分らないので、頑張っていってきました。ディズニーランド記は、こちらから

2001年4月28日〜29日
4月28日(土)

今日から、GWだ。去年の秋に引越しした、いとこの家に遊びに行くことになっている。本当は、春休みに行く予定だったけれど、ピアノの発表会があり、なかなか時間が取れなかった。発表会も、もう少し日程を考えてくれたらいいのになって思いました。春休みにの終わりの4月5日、それまで週二回のレッスンをうけ、長い旅行ができない…ぶつぶつ…。しかも、平日。

そんなわけで、のばし伸ばしになっていた、念願のいとこの家に行くことができるゆうちゃんは、何日も前から、あと何日、とまさしく、『指折り数えて』今日の日が来るのを楽しみにしていた。5時におきて行く予定が、前の晩、パパが飲み会で2時に帰ってきたため、5時出発が消えてしまった。そしてだらだらとして、パパはしっかり車まで洗っていた。そんな姿を見てイライラして出発できるのを待っていた。結局、出発は、午前10時…。

やはり、高速は渋滞…。2時間かけてやっと琵琶湖あたりを超える事ができた。それからは、渋滞することもなく、いとこの家に6時前に着いた。
ついて、時計を見ると、午後5時46分・・・午前と午後の違いがあるけれど、同じ『5時46分』(震災のあった時間)に、自分が時計を見たことにドキッとした。関係ないとは思いつつも、その偶然にビックリして、将くんの力を感じた。

部屋の一角にあるテーブルに、きれいなきれを敷いてお花が、飾ってあった。それは義妹が、将くんのために用意してくれたスペース。ズット、私たちを見てきてくれた義妹が、将くんも一緒に来ると知っていて、そのスペースを準備してくれたことが、すごく嬉しかった。その日は、下の子がぐずって大変で、部屋の掃除が出来なかったと後で聞いた。そんな中で、そのスペースを作ってくれたんだなって感謝した。ありがとう♪

久々に駐車場で、再開した子供達は、お互いに抱き合って『会いたかったよ、会いたかったよ』と大人顔負けの再開を喜んでいた。そんな子供達を見て、遊びに来てよかったと思った。
その日の夜、このときのために買ったパソコンと携帯をつなぐケーブルをつなげて、メールチェックをした。そこまでしなくて持って思いながらも、とっぷりネットに使っている私でした_(^^;)ゞ。

4月29日(日)

今日は、近くにあるサンリオピューロランドに行って来ました。詳しくはココ