ママの想い


こんなママでいたいな。現実は……

イラスト by すずらん さん

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震災から7年目
2001年4月25日その2
ピアノのこと

ピアノのことについて、ちょっと書いてみようと思います。今日、5年半続けていた、あるピアノ教室のグループレッスンをやめました。いろいろ悩んだ末での事です。今日が、最後のレッスンでしたが、一番最初に、そこの体験レッスンにいったときのことを思い出しました。

あの時は、将くんを亡くしてまだ、10ヶ月しかたっていないときでした。その時の私の生活は、やっと、将君のお花を買う時だけ外に出ることだでき始めた時でした。でも、一度外に出ると、色んな悲しい事を思い出しては、泣きながら歩いて帰り、外に出たことによってまた、悲しくなって寝込むという生活でした。

そんな状態ですから、普段は、家に閉じこもって生活して、笑う事もできない泣いてばかり日々を送っていました。そんなある日、私は、そのピアノ教室の体験レッスンの広告を見つけました。その頃から、少しずつ優ちゃんの事が、見え始めていましたが、気になりながらもどうすることもできないでいました。そして、せめて、ピアノに行っている間だけでも、優ちゃんと笑って楽しんであげようと思ったのです。

そこで、私は思い切ってその体験レッスンをうけに行きました。そこでの出会いが、私と優ちゃんを音楽の世界に入らせてくれたのだと思います。その時の日記をここで初公開します。ちょっと長いけれどよかったら読んでください。


★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆  

十一月七日(火)に思いきって、○○○の音楽教室の体験入学に
ゆうちゃんを連れて行って来ました。
将くんとゆうちゃん、一緒に行きたかったので、ゆうちゃん一人だけ連れて習い事に行くのは
すごく抵抗があったし、絶対習い事をさせる気もなかったのに、
何を思ったのか行ってみようという気になりました。

ゆうちゃんを公園に連れていくのはまだまだ辛すぎるし、
社宅の友達を呼んだりして話すのも疲れるし普通の会話を平気で出来る自信もない、
でもゆうちゃんにとってこのままで過ごすのは、よくないこともわかる、
幼稚園を三年保育にいれようかとも思いました(少しでも早くいろんな人と遊ばすために)。

でも今のママでは、ゆうちゃんはママから離れない、
ママから離れる練習の一つとして○○○を選んだでも私がそこにいけるという自信もなかったし、
将くんと同じくらいの男の子を目の前にして過ごすのも辛いとも思った。
双子がいたらやめようと思った。辛かったらやめるつもりで行ってみた。

そしたら、四組しかいなくて、ゆうちゃんをいれて女子が三人と男の子が一人(三才)だった。
でもその子が”しょうくん”という名前で、すごく動揺してしまった。
結構その子の顔をじっと見つめてしまった。
もちろん将くんじゃないのは解っているけど、なぜか将くんの面影を探してしまった。
でもやっぱり全然、似ていなかった、当たり前だけどね。

ゆうちゃんも思ったよりとけ込んでママべったりではなくて40分が過ぎた。
音楽教室の担当の女の人のお友達が宝塚にいて震災で家が全壊でという話をしてくれたので、
将くんのことも結構自然にいろいろはなせた。

そして、ゆうちゃんと将くんの関係にも理解をしてくれたのがとても嬉しかったしほっとした。
内容は少し物足りなかったし 他の音楽教室にも興味があったけど
その女の人との出会いと”しょうくん”という子との出会い(名前だけだけど)を
大切にしてみようかなと思ったので入会することにしました。

これから先どうなるか解らないけどとりあえず行ってみることにします。

授業が始まる前にゆうちゃんに将くんと一緒にしようねって言ったら、
始まるといきなり自分から、いつも持ち歩いている将くんの写真を取り出して
隣にいるおかあさんに写真を見せた。それがきっかけで将くんのことをその人に話せた。
それもほっとした。いろんな人に将くんのこと話したい私にとって、
ゆうちゃんのその行動は、とても大切だった。将くんのことを自然に話す機会を
作ってくれたゆうちゃんにとても感謝。優ちゃん有り難う。




これは、この音楽教室での『しょうくん』との出会いを残しておきたかったので書きました。でもやっぱり将
くんのことが気にかかっています。ママと優ちゃんだけが習い事をしてどう思っているのかな?音楽の大
好きな将くんだったから一緒に楽しんでいるかな、将くんがいたらきっと大喜びでレッスンを受けているだ
ろうな。そう思うと辛くていたたまれなくなる。
ゆうちゃんと音楽の大好きな将くん(側で一緒に楽しんでいると信じて)のために行きます。
将くん・・・・一緒に行きたかったね、悔しいし辛い、将くん・・・・・逢いたい

こんな思いで、はじめたピアノ…。あれから5年以上の月日が流れ、あの時の思いを記憶のかなたに追いやってしまっていた。

今年、音楽教室の都合で、クラスを移動しなければいけなくなった。それと同時に、
発表会の練習も始まった。なれないクラスでなれない授業で、私もゆうちゃんも緊張
していた。いままでよりも厳しい先生のレッスンを受け、ゆうちゃんがみんなの前で
怒られる姿を見たくないために、家での練習を、急に厳しくしてしまった。

時期も1月で、7回忌のこともあり、私の心もいつもより乱れていた。命日に向けて
毎晩、遅くまでホームページの更新作業が、続いていた。そして、新聞に私達事が
紹介され、ホームページを訪れてくれる方が、一時的にだけどすごく増えて、その
反響に対しての掲示板でのお返事や、メールでの返事にも追われ、精神的にも随分
疲れていた。

その結果、毎日の練習をするたびにイライラして、ゆうちゃんを怒りながら練習させる
日々が続いた。当然、ゆうちゃんは、毎日、泣きながらピアノを弾いていた。私は
色んな人に相談したり、話を聞いてもらったりしていた。

その一ヶ月の間に、ゆうちゃんは、ピアノが大嫌いになってしまった。『ゆうちゃんが
みんなの前で先生怒られるのがかわいそう』という気持ちから、すごく神経質になっ
ていた私は、最初にピアノをはじめたときの思いは、すっかりどこかへ、追いやって
いたのです。

毎日、毎日の練習に親子で疲れてしまったある日、私は、はっと気がつきました。
私は、ゆうちゃんと笑う時間を作りたくて、ピアノを始めたんだっていうことを思い出
しました。

そうすると、今の状況でレッスンを受けることは、私にとって精神的にきつい事だと
気がつきました。親子で楽しんでピアノをやりたいという、私の考え方と先生の考え
方が違っていました。このままだと、私は、ゆうちゃんを怒りつづけるか、あまり練習を
しっかりとしないで先生に怒られつづけるか…。今の私には、怒らないできちんと練習
させる気力がなかったのです。どんどん難しくなるレッスン内容、グループだから1人
だけできないとみんなに迷惑をかけてしまう。

もうすこし、このことに、早く気がついていればよかったのですが、私自身が、疲れて
しまったのです。逃げているのかもしれません。でも、私は、初めてピアノをはじめた
ときの思いを大切にしていきたいと思いました。たとえ、ピアノが上達しなくても…。

初めてお会いした音楽教室の先生が言ってくださいました。『音楽は、心の癒しにな
るから、やってみませんか…』。なのに癒しになっていない音楽は、私達にとって
プラスにはならないのです。グループレッスンを止めた言い訳になってしまうかもしれ
ませんが、今の私たちにとって、これでよかったんだと思います。実際、音楽教室を
止めると決めてから、怒る回数が、ぐっと減りました。

ちなみに、個人レッスンでピアノは続けます。なんだか、日記を読んでくれる人にとっては、どうでもいい話かもしれない。でも、記録として書き留めておくことにしました。読んでくださってありがとうございました

2001年4月25日
下にも書いたけれど中学校で道徳の授業に資料として使っていただいて、このように将くんを通じて、新しい出会いができたことすごくうれしいです。

将くんを亡くして、将君の事を知ってくれる人が増えない事にすごく寂しさを感じていた時期がありました。そんな出会いを作ってくれた将君の力に感謝です。

自分で死を選ぶのはやめようと決めた時に将くんのために生きていこうと決めました。それから、優ちゃんのためにも生きていこうと思えるようになった今の自分が、すごく大好きです。これで、やっと、2人のお母さんに戻れたかな?

ホームページを開設したこと、私にとっては、すごくプラスになった気がします。
ホームページを開設する事によって、インターネットいう世界にはいり、同じ思いの人達に出会って亡くなった子供をずっと思っていきたいと思っているのは、私だけではなかった、ということ。そして、その中で『将君のママ』として、遠慮なくたくさん将くんの話しができたこと。そして、ゆうちゃんの存在の大切さも、ホームページを開設して色んな方とお話する中で、気がつくことができました。
私は、双子の親で2人を同じ様に愛したいから、将君の事も同じ様に愛していきたいと思っていましたが、「将くんだけ」になっていたということに気がつきました。同じ様にと思っていたのに、逆にその事でゆうちゃんを見れていなかったのかもしれません。ホームページで自分の気持ちを吐き出す事ができ、将君の色んな想いで一杯だった私の心に余裕が生まれてきました。そして、そこにゆうちゃんを愛するという気持ちが再び入ってきたのです。
ホームページで、「ゆうちゃんにとっての将君の死」と言うコーナーを作ったので、ゆうちゃんの言葉や態度をじっくりと見つめるきっかけになって、たくさんの事に気がつきました。将くんへの思いやママへの思い・・・など。

将くんの為にだけに作ったホームページですが、ゆうちゃんを見つめることができるようになったきっかけを作れたような気がします。これも、将君のおかげかな?それともゆうちゃんが自分の力で、ママに気がつかせてくれたのかな?
そんな2人のメッセージをアンテナをたくさん張って、これからも受け取っていきたいと思っています。

そして、もう一つ 自分の想いを書くことによって間接的にだけど、人に自分の想いを知ってもらえたこと、特に私の周りにいる友達に…。一番知ってほしいけれど、一番心の中を話しづらかったし、聞いてくれる人も、私を目の前にして、言葉を返せないんじゃないかと気を使っていました。これは、お互いにそう思っていたのかもしれませんね。

今、一番そばにいる友達(ゆうちゃんの学校関係や私のお稽古関係)は、将君の事を知らない人や知っていても、気を使って何も言えない友達・・・、私の方も なんだか恥ずかしかったり、私の想いを知ったあとに、気を使って私から離れてしまったらどうしようなんて、思うとなかなかホームページのことを話せませんでした。でも、今年の命日にあわせて送った寒中見舞い(内容は、命日のお知らせみたいだったけれど)を見てくださった人から、色んな感想をもらいました。言葉は、少なかったけれど、その奥に隠れている色んな気持ちが伝わってきて、すごくうれしかったです。

辛い出来事もあるけれど、それを自分の中でうまく消化できていい方にもっていける力も、わずかだけどついてきた気がします。こんな感じで、前を向いたり、逆戻りしたり立ち止まったりしながら、少しずつ前に歩いているのかもしれません。

この先、どーんと落ち込んだりする出来事も待っているかもしれませんが、どうにか今を生きています。


2001年4月24日
今日、以前取材をしていただいたあるテレビ局の方に用があったので久々に連絡を取らせていた。お会いしたのは、ホームページを開設してまだ、時間がたっていなかった去年の2月。ゆうちゃんもそのお姉ちゃんのことが大好きで、そこのテレビ局のキャラクターをみると、いつも、『ねえね(そのお姉ちゃんのこと)は、どうしているかな?また会いたいから、電話して。』といいます。私は、『ねえねは、お仕事が忙しくてなかなか、会えないんだよ』といっています。また、いつかお会いできればいいのですが、転勤で遠くにいかれてしまったようです。いつか、お会いできる日が来るのを親子で心待ちにしています。

2001年4月22日
今日は、なんだかだらだらした一日でした。明日の家庭訪問に向けて、お部屋をちょっとだけ片付けました。本当は、もっときれいに大掃除をしようと思ったのですが、だらだらしてしまいました。明日こそは、片付けなくては・・・・。

今日は、夕方、将君の五月人形を飾りました。この時期、毎年、五月人形を出すたびに、将くんがいた初節句の時の事、そして、将くんが天国へ旅だった年の子供の日の事を思い出します。
初節句の時は、将くんもゆうちゃんも10ヶ月でしたが、もう立って歩いたりしていました。そして、かざってある五月人形の『こいのぼり』をいたずらっぽい目をして触ろうとして私の様子を見たりしていました。小さすぎて、意味もわからなかったと思いますが、たった一度だけの主役のいるお節句・・・。

そして、次の年の子供の日には、泣きながら五月人形を飾りました。飾るかどうか、すごく迷ったのですが、きっと、将くんもそばで見ていると信じて飾る事にしました。一年前のことをたくさん思い出して、夫婦で何度も手を止めてなきました。

あれから6回目の主役のいないお節句…。五月人形も寂しそうに見えます。今年は、将くんと一緒にディズニーランドへ行くのですが、5月5日に間に合うように、帰ってきてお節句のお祝いをしてあげようと思います。

今日は、その旅行の日程の事で、ちょっと疲れてしまいました。私は、たくさん、会いたい人がいて、その人たちに会う予定だけを立てていたのですが、主人の頭の中では、違う予定が立っていたようで、それを整理して、みんなに会う時間を作るのを考えるのが、大変です。夏休みは、主人をおいて、将くんとゆうちゃんと私の3人だけで、行動するぞと思いました。友達に会うのと、5月5日間でには家に帰るようにする計画だけは、どうしても変えたくないです。さて、どうなる事でしょうか?


2001年4月21日
今日も、中間中学校の皆さんにお会いする為に、大阪城まで行って来ました。おととい、皆さんと別れてから、ゆうちゃんが、どうしても、もう一度会いに行きたいと、言ったので、御迷惑かもしれないと思いながらも、今を逃すと、福岡まで合いにいけないかもしれないと言う思いが先に立って、お電話して会いに行かせていただくことになりました。     詳しくはこちらです。

新大阪までのバスの中でカラオケが始まったのですが、最初に、歌う事になったのが、「THE 虎舞竜」の『ロード』でした。

私が、2人を生む前に入院している時に、「今、流行っているんだよ」って主人が持ってきてくれたCD…それが「THE 虎舞竜」の『ロード』。突然亡くなってしまった人の事を歌った歌で♪〜何でもないような事が 幸(しあわせ)だったと思う〜♪その歌詞を聞きながら、「子供がお腹にやってきてくれた」そのことの幸せをすごく感じました。
その後も、子育てをしながら、疲れたときには、この『♪〜何でもないような事が 幸(しあわせ)だったと思う〜♪』の言葉を、思い出していました。その後、将くんが亡くなって、この言葉の本当の意味を感じ、涙が出てる曲の一つと、なりました。

そんな『ロード』を歌う事になったらどうしよう。泣いてしまったらどうしよう、ドキドキしていましたが、カラオケのテープがない、というバスガイドさんの言葉を聞いて、ほっと胸をなでおろしました。その代わりに、歌った歌が『おどるポンポコリン』雰囲気の全く違う曲でした。自分で言うのも変ですが、その曲を心から楽しんで歌えた自分に、ちょっと成長をみました。ゆうちゃんも楽しめた一日でした。

2001年4月20日
近所の空地で、マンションを建てる為の工事が、今日から始まったようで、朝から工事の方がきて、草を刈ったりしていました。今、お庭に出ると、チェーンソーの音がして、大きな木が倒れる瞬間を見てしまいました。ゆうちゃんが秋に、ひろうのを楽しみにしている「どんぐりの木」です。他の人の土地なので、どうする事もできないのですが、自然がどんどんなくなっていく中、数少ない近所にあるどんぐりの木だったのに…。とても残念です。震災で家が倒壊した後6年以上もそのまま空地になっていた場所でした。子供たちも、朝学校へ行く時に、工事が始まっているのを見て、「探検ごっこ」できなくなっちゃうね」なんて、寂しそうでした。

大きな木を切る…、家を建てたりする時には、仕方ない事ですがちょっと寂しかったです。

25年以上前、この家を建てる時に、お庭にあった大きな くすの木や桜を切ったことを思い出しました。私が、学校へ行っている間に、切られてしまったのですが、今でも時々、その大きな楠木を切る夢を見ます。切る時にその木が自分のほうに倒れてきて、走って逃げている夢です。どんなにどんなに走っても逃げ切れない、そんな夢です。

ゆうちゃんが学校から帰ってきて、どんぐりの木が切られてしまったことを知ったら、ショックを受けるだろうな。

2001年4月19日
今日は、以前から、交流のあった福岡県の中間中学校のみなさん(詳しくはこちらを)が、関西に修学旅行に来られるということで、神戸までお会いしに行ってきました。

今回、学校の授業で、「将君のホームページ」を資料として、使っていただいてこのホームページが(将くんが)、また、一歩大空に向かって歩き出したような気がします。
ホームページを読んでくださった生徒のみなさんが、自分の事ように色んなことを感じてある時は、涙し、また あるときは、怒り色んな思いをもって、授業を進めていただいたことをお聞きして、本当にありがたく感じています。

そのような授業をしてくださった先生にも、大変感謝しています。
お会いする事によって、その中学校のみなさんが、すごく身近に感じられるようになりました。

今日は、もう一つ、感動した出会いが二つありました。
人から見たらなんだか、つまらない出会いですが、私やゆうちゃんにとっては、思わず写真を撮ってしまうほど、なんだかうれしくて、2人で大騒ぎしてしまいました。

一つは、学校の中で咲いていた『タンポポ』です。



もう一つは、毎年、駅に巣を作るツバメです。
幼稚園の時に、幼稚園からみんなで見にきてから、毎年、この時期になるとツバメがやってきます。その年、初めてツバメを見かけると、親子でとってもうれしくなります。これから、卵産んで、「ひな」が生まれて、それらが巣立つまで、そこを通るのが、とても楽しみになります。



ちょっと、全然関係ないことを・・・。今テレビで『名探偵コナン』の映画が、あさってから始まると言っていた。絶対見に行かなくちゃ…。今から楽しみですv(^o^)

2001年4月17日  その2 
今日、以前やっていたアニメ『タッチ』を見ました。毎日、朝、やっていたのだけど、いつもバタバタしていて、見ることもあまりなかった。

『タッチ』は、双子の兄弟と幼なじみの女の子を中心になって話が進んでいく。しょうくんを亡くしたあと、その『タッチ』で、双子の弟が、交通事故でなくなると言う話を聞いた。

私は、双子の言葉に、強く反応して、いつかその『タッチ』を見たいと思いながら、何年かがすぎた。そして、今日は、その双子の弟が、交通事故で亡くなってしまうという日だった。

今日は、月命日だから、部屋を掃除しないといけないとい思いつつも、『タッチ』を見てしまった。両親の悲しみも表現されていたけれど、双子のお兄さんの悲しみが中心だった。テレビの中で、両親も双子のお兄さんも、泣き崩れる場面がなかった。それどころか、お兄さんは、無理に明るくしている場面もあった。その気持ちが、苦しいほどよくわかって、涙があふれ出た。

たくさんの場面を自分やしょうくん、ゆうちゃんに置きかえてみると、涙が止まらなくなった。久しぶりにたくさん泣いた。ビデオにも撮ったので、また、ゆうちゃんと一緒に見ようと思う。

2001年4月17日
以前、ある中学校の道徳の授業の資料として『将君のホームページ』が使われることになったと、この日記にも書いたことがあるけれど、その学校との交流のページを新しく作りました。
今のところ、生徒の皆さんからいただいた感想文やお手紙を載せているだけですが、これからも、1月の末からの交流について、少しずつアップしていきたいと思っています。
それにあたって、御協力してくださった先生に感謝をいたします。ありがとうございました。
交流のページ
「When you wish upon a star」

皆さんのお手紙を入力しながら、ちょっと聞きたくなったことがあります。『もし、自分が死んでしまったときに、お母さんは、どうしてほしいのだろうか?』という疑問です。それは、すべての子供達に聞いてみたいなって思います。色んな年齢の人たちに…。

亡くなった子供の年齢によって、きっとお母さんの受け止め方も違うんだろうな?私は、『一歳半の子供の死』しか、経験していないので、それ以外の子供を亡くした人たちの気持ちは、想像でしかわからない。子供を失ったという悲しみは、きっとどのお母さんも同じぐらい悲しいんだろうけれど、それを受け止める為の器としてのお母さんの気持ちは、きっとそれぞれなんだろうな…、子供の年齢、なくなった状況、それまでの子供との関わり方、またそのお母さんの生きてきた人生によっても、様々で、きっと1人として同じ人はいないんだろうな。誰もが、間違っていなくて、その人のそのまますべてが、その人にとってあった悲しみ方なんだろうな。そして、その後の出会いによって、またいろいろ変わっていくんだろうな。同じ私でも、出会いによって色んな悲しみ方、前を向いて歩いていく方法も変わってくると思う。これから、どんな自分が待っているんだろう。

今日は、月命日です。部屋を片付けてから寝ようと思ったのに、もう2時になってしまった。明日、ゆうちゃんが学校にいってから、片付けようっと。お花とお菓子だけは、将くんにあげてからにします。

2001年4月16日
今日、朝学校へ行く前に、ちょっと時間があったので、外でゆうちゃんと、ボール遊びをした。すると、近所の方が、「いいね、1人だと、お母さんと一緒に遊んでもらえて・・・」と、話し掛けてきてくれた。

その方のお孫さんは、下の子がいるために、お姉ちゃんの方は、お母さんと、遊んでもらえないという話をされた。私も、色々感じながら、聞いていたけれど、ゆうちゃんが「将くんがいたら、どうなっていた?」と、ボソッと、私に質問して来た。私は、ドキッとした。ゆうちゃんも、その方の言葉に何かを感じていたようだった。

私は、その人にきこえていないか心配になった。何気なく、『ママを独り占めできないね』と、言った。その時、待っていたお友達も来て、そのまま、その会話はそこで終わってしまった。

テレビを見ている時に、兄弟が楽しく遊んでいるのを紹介している場面が出てきた。一通り見たあと、ゆうちゃんは、『ゆうちゃんにも、将君がいたんだけどな・・・』と、寂しそうに(私にはそう感じられた)言った。

ゆうちゃんも将くんのいない寂しさを感じ始めているんだろう。将くんがいたらどんなに楽しいだろうね。最近、ゆうちゃんが色んな事を口にするようになった。

『将くんが死んでしまってどれぐらい寂しい?』からはじまり、『ゆうちゃんが死んだらどれぐらい寂しい?』、『地震で、ゆうちゃんも死んでいたら、ママはどれぐらい悲しかった?』。そして、最後は、『ママ、将くんが地震のとき、死ななくて、生きていてくれたら、今どれぐらい、楽しい?』
で終わる。私は、それぞれ『表現できないぐらいすごく寂しい』、『将くんが死んでしまった時と同じぐらいすごくすごく寂しいし悲しい』『ママ、二人ともいなくなってしまったら、ご飯も食べれなくなって、元気が出なくなって、ずっと泣いていて、病気になってしまっていた』、『すごくうれしくて、今ごろ、ピョンピョン飛び回って、あっちこっちに遊びに行っている』と、話す。

ゆうちゃんは、それぞれ色々自分の意見もいいながら、私の話に納得している様子です。でも、心のどかで何かを思っているのかな?



2001年4月16日
「出会い」

出会い・・・
たった3文字の言葉の中に
色んな出会いがある

心が寂しい時って
素敵な出会いは、何倍にもなって
私に感動を与えてくれる

心が寂しい時
悲しい出会いは、何倍にもなって
私を襲ってくる

私には、素敵に出会いが
たくさんやってきてくれた
その出会いに支えられて
今まで、頑張ってこれた

素敵な出会いを
作ってくれたあなた達に
心から「ありがとう」を伝えたい

2001年4月14日
「あなたのやさしさ」

ママ、おみやげ!と 差し出してくれた 
小さな手にしっかりと握り締められた
小さな小さなお花…

薄い水色でしっかりと
見ないと気がつかないほど
小さなお花たち…

でも、その小さな花に
あなたのたくさんのやさしさがあふれて、
うけとったママの大きな手から
こぼれ落ちそう

いつまでもこのやさしさを
大切にしていてね。

2001年4月12日
最近、親や家族が幼い子供を殺してしまうという事件が続いている。そんな事件のニュースを見たり聞いたりするたびに、辛くなる。幸せいっぱいのニュースを聞くのもいやなんだけど、また違う辛さがある。

そんなニュースが続く中、ゆうちゃんが変な事を聞くようになった。『ママ、ゆうちゃんのこと殺さない?』突然の、質問に戸惑ってしまった。どうも、テレビでのニュースをみて不安に思ったらしい。今まで、私は、ゆうちゃんをたくさん大好きで愛しているという事を、できる限り伝えてきたつもりだった。
ママが怒るのも、優ちゃんにいい人になってほしいからだから、たくさん怒ってもすごく好きだからと話していた。でも、ここ最近、続けて起こったお母さんが子どこを殺害する事件をみて、それが崩れてきているのかもしれない。何度も『そんなことは絶対無いよ』と言っても時々、同じ質問をしてくる。どうしたらその不安が消えてくれるのかな?

今日、ゆうちゃんが、
『ママ、将君のことを話してもいいの?』と聞いてきた。『いいよ、どうして?』と聞き返してみると、『将君のことを話すと、ママが悲しむと思って話さないの』と、答えてくれた。

この言葉にも私は、びっくりした。1歳半の時に震災に遭って、極限の精神状態の母親の姿を幼いながらも見つづけてきた中で、ゆうちゃんなりに、そのようにママを見ていたのかな?将くんのいないことを悲しんでいる事を私は隠さずこの6年間過ごしてきた。

口にする事は、確かに「いてくれたらいいね。」と言う内容が多くて、楽しかった事を話すときは少なかったかもしれない。でも、私の口から、将くんの話しをたくさんしてきたし、私なりに、ゆうちゃんが将くんの事を知りたくて聞きたくなったときに聞きやすいように努力してきたつもりです。だからこそ、今、何気なく今日聞いてきてくれたんだと思います。

そんな質問に大げさに反応してもいけないし、かといって知らん顔する事もこれからまた、話してくれなくなりそうで…、ちょうどいい私の受け答えはなんなんだろう。でも、そのとき、私は、その質問に戸惑って、今のように冷静に考えられなかったんだけどね。

一番いいのは、きっと『自然に・・・』なんだろうな。簡単で一番難しい。
きょうだいを亡くした子供達の色んな気持ちを聞いてみたいな…。今私に出来ることは、ゆうちゃんのことを、すごくすごく愛している事を伝える事かな。


2001年4月11日
今日、ゆうちゃんが学校から帰ってくるなり、片手にしっかり握られた、草を私に差し出してくれた。
よく見ると 昨日、私に教えてくれた学校の近くに咲いているという『ママの大好きな小さなブルーのお花をつけた草』だった。昨日、「明日、帰りにとって来てね」と私がお願いしていたのだった。

すっかり忘れていた(ごめん、ゆうちゃん)私は、小さな手に握り締められたそのお花を見てすごく感激した。すぐにガラスのコップに入れて、記念にと写真をとった。小さな小さなお花がたくさんついていた。ちょうどこの壁紙になっている小さなブルーのお花とそっくりなお花です。


♪ママのために摘んできてくれたお花v(^o^)。ねっ!壁紙のお花とそっくりでしょ♪

しばらくして、将君にも、見せてあげようかと思ったけれど、今日鋸のお花だけは、私だけのお花として、テーブルに飾る事にした。(将くんごめんね、でも、将くんも見れるよね)

ピアノの帰りに同じお花を見つけたので二人で摘んだ。そのあとも近所を少し歩いて、小さなお花を探した。わずかな時間だったけれど、充実したやさしさをたくさん感じられる時間だった。そんな素敵な時間をくれたゆうちゃんに感謝♪

2001年4月10日
おととい、将君のためにお庭に咲いているチューリップを切りました。
母が、やっと咲いたきれいなチューリップを「将君のために切ってあげて…」といってくれたときに、そう思っていてくれるだろうと思っていたけれど、嬉しかった。お庭は、今チュリップが満開v(^o^)。

おとといの日曜日まで、身頃だった桜もあっという間に葉桜になってしまって、あのにぎやかさがうそのように、何事もなかったようにみんなが道を歩いている。過ぎてしまったものには、見向きもされないんだなって、なんだか寂しかった。
人間だって、同じなのかなって思った。死んでしまったらどんどん色んな人の中から薄れていく。生きているのと死んでしまうのでは、すごく差があるんなって感じます。

今日の夕刊で、今年の新一年生は、震災のときに生まれていた赤ちゃんの最後の一年生ということであの時に生まれた子供達が、記事になっていた。あの日に生まれた赤ちゃんが、もう一年生なんだって、寂しくなった。近所のお友達の入学式を心からお祝いできるようなっている自分と、その記事の中の子供達をうらやましく思う気持ちが、複雑に入り混じって元気を吸い取っていく…。

6年という歳月・・・・、私にとっていつまでも、ついこの間だけれど、周りはどんどん時間が過ぎていっているんだなって感じました。

私自身、冷静に考えてみると随分変わったかもしれない。そんなママを将くんはどう思っているんだろう。

2001年4月7日
今日から、2年生がスタートします。毎年恒例の子供についての調査票をもらって帰ってきました。
この時期になると、いつもドキドキします。最初の懇談会での自己紹介、
どのように将君のことを話そうかと・・・。
ほかのみんなも兄弟の事を話しているので、同じ感覚で将君のことを話せばいいんだけどね。
調査票には、将君のことを書きました。家族欄があったので、そこに書きました。
お絵かき掲示板に将くんとゆうちゃんがランドセルを背負って学校に行く絵を書いてみました。
上手ではないので恥ずかしいのですが・・・。
あんな日々を夢見ていたのにもう絶対見ることが出来ないってわかっていても、見てみたい。

学校のクラスのお友だちは、親子で仲がいいお友達と一緒になれて、一安心。
ゆうちゃんも一年生の時よりも不安が少なく、楽しそうです。
こちらの桜は満開をちょっと通り越して、花吹雪が始まっています。